オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

地域クラブについて

こんにちは。
京大OLC4年目、大阪府の地域クラブKOLA所属、そして日本学生オリエンテーリング連盟の幹事長を務めている藤本拓也です。

私は「地域クラブに入ろう!」という話と、「地域クラブに入る人を増やすには?」という話をしたいと思います。


自己紹介

京都大学2016年度入学、そしてご多分にもれずオリエンテーリングを始めたのは大学1年生のときなので、今年でオリエンテーリング4年目となります。

京大4年といえば岩井が有名ですが、実は彼とは中学の頃から部活同期です。一方で私はというと今までまともな競技成績を残したことがなく、あまり広くないオリエンテーリング界の中でも無名なこと間違いなしの存在です。

が、2年生の頃に関西学連副幹事長に就任したのを皮切りに関西学連幹事長、日本学連幹事長と順調に出世しており(なんとここまで1年先輩の遠藤さんと全く一緒!)、その肩書きもあって今回Advent Calendarの執筆依頼をいただきました。

 

やはり学連のことを書くべきかとも思いましたが、まともな記事を書ける気が全くしなかったので学連と直接は関係ない内容を書きます。すいません。

幹事長の立場としては、昨年度幹事長の遠藤さんの記事 

はとても読んでほしい内容なので、こちらも是非。

 


なぜ地域クラブの話?

自分自身が地域クラブに入っていてみんなもっと入ればいいのに、って思っているからです。

それに加えてもっともらしいことを言うとすれば、「大学卒業後のオリエン離れをなんとかしたいから」です。

JOA競技者登録している人のうち、学連登録者の占める割合はなんと6割弱です。これは学連登録することで自動的で競技者登録できる、というもあるとは思います。

とはいえ、大学卒業後大半の人はやがてオリエンテーリングから離れていくというのは確かなことのようです。たとえば全日本大会の21クラスよりも高齢のクラスの参加者を見てみると各クラス多くても15名前後。

これは「生涯スポーツ」を謳うスポーツとしては寂しくないでしょうか?

 

そこで私が取り上げたいのが地域クラブです。もちろん大学卒業後のオリエンテーリング離れには様々な背景があり、簡単な話では片づけられないと思います。

ですが、地域クラブに所属する人が増えれば、オリエンテーリングを続ける人も少しは増えるのではないか、と思ったのです。日本人は帰属意識が強いと言われていますし。

 


もう少し前置き

私が大阪府の地域クラブKOLAに入った経緯について話したいと思います。

私がKOLAに入ったのは2017年夏、つまり大学2年生の夏です。そんなに早いうちに地域クラブに入る人ってほとんどいないですよね。色んな人に入ったきっかけを聞かれます。

とりあえず「クラブの雰囲気が良さそうだった」とか答えますが、「外堀を埋められたから」というのが正直なところです。

ただ、入ったことは全く後悔していないです。KOLAには競技派な人はあまりいないのですが、毎年必ず3回大会を運営していたり、リレーは複数チーム出したりとゆるいながらもオリエンを参加者としても運営者としてもちゃんと楽しむ雰囲気が僕は好きです。

あと、トリムを無料でもらえました。関西以外の人でも大会会場で見覚えのある人も多いのではないでしょうか(笑)

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そういえば、本日12月19日はKOLA新春大会の申し込み締め切り日です。来てください!お願いします!(唐突な宣伝)
https://japan-o-entry.com/event/view/384

 

前置きはこれぐらいにして本題に移ります。

本記事を書く前に4年生を中心とした現役大学生及び若手OBOGを対象に地域クラブに関する簡単なアンケートをとってみました。

現役生で回答してくれたのは52人、OBOGで回答してくれたのは38人でした。ありがとうございます。

 


地域クラブに入ろう!

◎ 大学卒業後もオリエンテーリングを続けるために

おすすめする理由としては、これが一番大きいです。

実際アンケート結果を見ると地域クラブに入った動機として8割近く「大学卒業後もオリエンテーリングを続けたい」が選ばれていました。

大学生の間は大会に一緒に行く仲間がいますし、申し込みや交通も誰かが取りまとめてくれます。しかし卒業すると(or卒業して数年経つと)それらがすべて無くなってしまいます。

当たり前と言えば当たり前ですが、これはとても大きなことだと思います。無所属だと大会参加のハードルを高く感じる人は多いのではないでしょうか。私はこれが「大学卒業後のオリエン離れ」の原因の1つだと思っています。

 

実際に「地域クラブに入っていて感じるメリット」として、

・(大会に)行こうか迷っている時に行く方に傾くきっかけになる
・知り合いが増えるので卒業してからも大会に行きやすい
・卒業後も競技者登録を取りまとめてもらえる

などの声がありました。

 

また、地域クラブに入っているとリレー大会に出られます。大学を卒業してからもクラブを背負って走ったり仲間を応援したりと、リレー独特の雰囲気を味わえるのは良いことではないでしょうか?そしてそれがオリエンテーリングを続けるモチベーションにもなると思います。

 

さらに、地域クラブに入ると知り合いが増えます。地域クラブのメンバーは出身大学が様々で年代も幅広いです。大学クラブのつながりだけでは聞けなかった話も色々と聞けます。

大学を卒業してしまうと所属コミュニティが狭く小さくなりがちと言われます。そこにコミュニティの1つとしてオリエンテーリングの地域クラブがあると生活が豊かになるのではないでしょうか?

 

大学を卒業して、「これからもオリエンテーリングを続けたい。けれど、面倒だな…知り合いも少ないし…」と思っている人、将来そうなりそうな人には地域クラブに入ることをおすすめします

 


◎ いつ入れば良い?

院進するかしないか、居住地が変わるかどうか等があり、人によってタイミングが全然違いますよね。

ですが、私は地域クラブに入るなら早い方が良いと思います。院進・就職するとほとんどの人はオリエンテーリングの頻度が減少します。日々の生活も忙しくなります。そうなってから地域クラブを選ぶのは結構大変だと思います。

 

就職したら移住するし…という人は年度始めの各クラブ主催のイベントに行ってみて雰囲気をつかんでみることをおすすめします。4月~6月あたりの時期は多くのクラブが大会や練習会を開きます(はっきりと「新歓」と名のついたイベントもありますね)。

 

これから今住んでいるところを離れる予定だけれど、知り合いのいないクラブに入るのは…と感じる人は、今のうちに地元のクラブに入っておくのはどうでしょうか。住んでいる場所から遠い地域のクラブに所属してCC7は走りに行く、運営は行けたら行く、というスタンスの人も結構います。私も4月からそうなる予定です。

 

あと、地域クラブに早く入っておいて損をすることはほとんどないと思います。次の大会運営に入るよね?とか、リレー出るよね?とか、そういう雰囲気ではないです(たぶん、多くのクラブでは)。学生なら会費タダですし(たぶん、多くのクラブでは)。

深く考えずに入ってみるのも悪くないと思います

 


地域クラブに入る人を増やすためには?

ここからは地域クラブ目線で自分たちのクラブに入ってくれる人を増やすにはどうすればいいのかについて考えてみます。

地域クラブに入ったら、やっぱり自分の所属するクラブにたくさん人が入ってほしいですよね。お隣のクラブは最近どんどん会員が増えているのにどうしてうちには…って思う人も多いのではないでしょうか。

 

前述したアンケートの中で既に地域クラブに入っている人・入ることを検討している人に対して「地域クラブを選ぶ上での決め手」を聞いてみました。

選択肢は「クラブの雰囲気」「知り合いが多い」「活動拠点の場所」「リレー大会で強い」「参加費補助等の金銭面」「運営している大会が魅力的」「その他」で、複数選択可および一つ(最大の決め手)選択の2つの質問をしました。

 

結果は「クラブの雰囲気」「知り合いが多い」「活動拠点の場所」の3つは半数以上の人が選び、その他の選択肢を選んだ人は僅かでした。まあ当たり前だと言われればそうですね。

一方で最大の決め手に関しては、上記3つが拮抗していました。これはちょっと意外でした。3要素のどれもが重要だということです。この結果を踏まえていくつか考えてみます。

 

◎ 全日本リレーに出場する学生選手にアピール

全日本リレーに出場する学生選手は、普段とは異なり都道府県を代表として走ります。前日には同じ宿で決起会を行う都道府県も多いと思います。

これこそ絶好のタイミングではないでしょうか。出身地や居住地が近い人が集まるのは当然として、社会人と学生が交流することで学生にクラブの雰囲気を知ってもらうことができ、学生にとっての社会人との心理的距離も縮まります。

 

◎ 若手クラブ員が積極的に勧誘

大学生や若手OBOGから見たクラブのイメージは、同じ年代・知り合いのクラブ員から感じることが多いのではないでしょうか。若い人から勧誘される方が心理的ハードルはかなり低くなると思います。勧誘する方としても同じ年代の人が増えるとより楽しくなるのでwin-winですね。

私も今まで若手としてチヤホヤされていました(たぶん)が、これからは頑張ります(たぶん)。

 

SNSの利用

今や広報活動においてSNSは欠かせない存在です。たとえば大学の新歓でTwitterを見て来た、と言ってくれる人は多いですよね。

学生オリエンティア御用達のSNSTwitterは地域クラブの広報にも使えるのではないでしょうか。定期的に普段の活動や運営について流すことができれば効果的な宣伝媒体になると思います。

 


ぼんやりと3つ挙げてみましたが、結局のところ大事なのは「学生との接点を増やす」ことだと思います。ほとんどの学生には地域クラブとの接点がそもそも無く、どこの地域クラブに入るか以前に地域クラブに入ること自体のイメージが湧かないのだと思います。

 

オリエンテーリング界は狭い世界ですが、その中でも地域クラブに入り、さらに自分たちの地域クラブを選択してくれる人というのはごくわずかな割合になります。大学等でオリエンテーリングを知らない新入生たちを相手に新歓をするときのように、クラブとして戦略を立てることが必要なのかもしれないですね。

 

最後に

取りとめのない文章になってしまいましたが、この文章を読んで少しでも多くの人が地域クラブに入ることについて考えるきっかけになれば幸いです。

 

もちろん、KOLAも会員募集中です!

http://kola1975.mbsrv.net/

生死を掛けたナビゲーション

 

1.初めに

 

この度、執筆のお声掛けを頂いた鈴木篤と申します。

 

しばらくオリエンテーリングの世界から遠ざかっているので私を知らない人がほとんどだと思います。

自己紹介をさせてもらいますと、

早実OCから早大OC18期(1991年入学)と経て、主な戦績はインハイ個人及び団体優勝、インカレ新人王、JWOC代表

などで、現在46歳になります。

高校時代は高連幹事長を務めて高校生による一般大会「高連競技会」を立ち上げるなど、OL界独特の繋がりやオリエンティアの皆さんが大好きでしたが、インカレ団体戦で2年連続でひどい結果を残してしまったのと、ずっとやってきた登山でヒマラヤに行くためにOL界から離れてしまいました。

 

OL界には十分な恩返しが出来ていないことが心の重しとして残っていましたが、現在生じているオリエンティアの皆さんとの接点がそこにつながれば、と願っています

その接点もあって、今回、書かせて頂くことになりました。

オリエンティアの皆さんのどなたかの心に、少しでも届けば幸いです。

 

 

2.オリエンテーリングとアドベンチャーレースとアルピニズムと

 

私はオリエンテーリングを始めるに当たっても精神的なベースは子供の頃からの登山にありました。要は自然が好きなのです。

そして、早稲田実業高校と早稲田大学ではオリエンテーリングだけでなく山岳部にも属し、学生時代にヒマラヤの8000m峰無酸素(登頂していませんが)、ヨーロッパの北壁、シベリアや南米などレースも入れれば約20回の海外遠征を行い、現在もアルパインライミング(「より高く、より困難へ」を掲げるアルピニズムという精神に基づく登山)を続けています。

大体、こんな感じです。

 

 

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ヨーロッパアルプスの6大北壁の一つ、イタリアはドロミテのドライ・チンネにて

 

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鹿島槍北壁 北アルプス鹿島槍ヶ岳が持つ北壁で、高度差は900m。赤が登ったライン。

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谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁  世界で最も多くの死者(900人以上)を出していることで知られる谷川岳の岩壁の一つ。赤丸が私。青丸は私のザイルを押さえているパートナー。緑丸は史上数回しか登られていない歴史的ルートに挑む知人の3人。

このアルパインライミングに加えて、多種目・長距離・男女混成のアドベンチャーレースを極初期に始め、多摩OLの田中正人さんと一緒にプロチーム「EASTWIND」を創設して海外のレースを走ってきました。

最長で720㎞を13日間掛けて踏破した南アフリカでのレイド・

ゴロワーズ(11位)、最高順位では4位に入ったニュージーランドでのサザン・トラバース(3日間で約300㎞)などがあります。

他に国内ではハセツネ5位、OMMストレートロング2位などです。

 

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去年初めて国内で開かれたワールドシリーズ戦にて。250kmを完走してのゴール。最後はMTBセクション。 後ろの旗はチームで掲げている「毘沙門天」と「懸かり乱れ龍」。

また、テレビ朝日で働いているため、ディレクターとして長く担当していた情報番組「スーパーモーニング」で立ち上げた「スパモニ探検隊」というチームでは、仕事とは別に2008年からアドベンチャーレースに復帰し、競技人口を増やすことと競技自体の発展に貢献することを目指しています。

「スパモニ探検隊」の主催は12年目になり、オリエンテーリング界の優秀な人材に助けられてシリーズ戦で年間優勝などもして、大会への参加は国内最多の延べ300人以上となっています。来年は海外レースにも復帰します。

 

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「スパモニ探検隊」のメンバーたちと。通常は3人で1チームとなる。この時は偶然山の中で一緒になったので皆で降りてきました。

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山口県日本海側でのシーカヤック。大海原にも漕ぎ出せます。個人的にノンサポートで駿河湾40㎞を横断したことも。

同時に、雪山での装備や歩き方から学ぶ雪上訓練をはじめ、アルピニズムを継承してくれる後身の育成も行っています。

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北アルプスの雪稜を夜に登る。雪崩への警戒でやることもあるが、この時は通常3日程かけるルートを一日で登りきるため。左右はすっぱりと切れ落ちている。

 

3.お伝えしたいこと

 

肝心のこの場をお借りして伝えたかったことですが、その要旨は、このカレンダーの第1回目、12月1日の「オリエンティア軍団とは」がいきなり見事に伝えてくれました。

私なりにまとめれば、

 

「優秀なオリエンテーリングの技術と人材を外の世界でも活かし、相互の発展を目指す」

 

という考え方こそ、私がオリエンテーリング界を見ていて感じているものです。

オリエンティア軍団広報部長様、ありがとうございます!

 

 

と、ここで終わっては、声を掛けてもらったのに申し訳ないので、盛り上げるためにも?少し「おそらく普通の人は書かないであろうこと」を書かせて頂きたいと思います。

身の回りにこういう人間がいる人は少ないでしょうから、珍しい生き物を見るくらいの気持ちでお付き合い下さい。

 

 

 

4.自然とどう向き合う人生を送るか

 

オリエンテーリング…。

これを楽しむオリエンティア

「自然好き」

「競技とかで追い込むのが好き」

なことに間違いないことでしょう。

 

では、もう少し発展させて

「本当に死にかねないほど自然の中に浸りたいですか?」

「本当に死にかねないほど自分を追い込んでみたいですか?」

と問われたら、いかがでしょうか…?

 

ふもとの町から空に浮かぶかのように見える雪を抱いた大きな山を見上げる時、「きれいだな」で終わるのか、

垂直にそそり立つ大岩壁や空気を切り裂くように水を落す巨大な滝を見上げた時、「すごいな」で終わるのか、

全てを白い世界に埋めてしまう豪雪を見た時、「豪雪地帯に住む人は大変だな」で終わるのか。

 

そうではなくて、現実に自分が対峙する実態として、

大きな山に体ひとつで浸りながら生きようとあがいている自分を想像し、

巨大な岩壁や滝にどうすれば登れるのか目を凝らし、

命などどこにも感じられないような雪だけの世界に全身全霊で突っ込む恐怖に耐えられるのか。

 

前者と後者では、文字通り人生を左右するほどに大きな違いとなります。

どれほど自然に浸るのか、どれほど自分を精神的肉体的に追い込めるのか、どれほど命というものをリアルに感じるのか、それはまさに「生き方」や「生きざま」に直結していくのです。

 

私はそんな世界に少しばかり足を踏み入れてきました。

高校生の頃から一人で冬の北アルプスなどに入っていたので、「行ったら死ぬかもしれない」という漠然とした不安と向き合ってきましたし、

岩壁にとりつくためにいつ雪崩が襲ってきてもおかしくない谷に入れば、「数分後には自分は生きていないのかもしれない」と考える、およそ日常では体験しない感覚に包まれます。

状況が切迫する中で「鈴木、俺と一緒に死ぬか?」と叫ぶ先輩もいましたし、暗闇と雪しか見えない急斜面で仲間と「生きて還ることを優先しよう」と安全策を採って行動を中止し、仕事を休んでしまったこともあります。

一方で「鍛えたきたもので人の命を守れるなら」と救助活動にあたったこともそれなりにあります。

 

そうして過ごしてきた約30年の中で、これまで死んでしまった仲間たち、救助出来た命の数は、おそらく普通に生きていたのではまず経験しないものでしょう。

普通に「死」というと、「老衰」「病死」「不慮の交通事故」「自殺」といったところでしょうが、アルピニズムの中には、決して望まないにしても明確に「自ら挑む中での死」があるのです。

 

「自分の生命が両手の指にかかっているこの遊びの重大さが私にはわかった。

それは一つの発見であった。このことを意識すると、私はもう一度うまれてきたような気がした」

(ガストン・レビュファ)

 

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冬の岩壁を登る。凍傷を避けるため手には手袋、岩が凍っているため足はアイゼンをつけるため、非常に困難な動きを強いられる。

5.オリエンティアのすごさ

 

この山の話の流れがどうオリエンテーリングに結びつくのかというと、簡単です。

オリエンティアの持つ能力はこうした世界に挑むベースになるのです。

また、オリエンテーリングの技術をすれば山での遭難の危険を大幅に減らすこともできます。

要は、オリエンティアはものすごい能力を基礎から丁寧に身に着け、実践してきたエリートなのです。

今も、オリエンティアと一緒に山に入ると、その素晴らしい技術と体力に感心しています。

 

これらから、私はオリエンティアの皆さんにそれを自覚してもらい、その優秀な技術をもってして様々な世界に踏み出してもらいたいのです。

 

12月1日で紹介された「オリエンティア軍団」はスカイラニングの世界で活躍しています。

スカイランニングがオリエンテーリングに活かせるというのはもちろん、相互の発展もうたっています。

 

この様に、

「自分は〇〇だけ」と自らの可能性を狭めることなく、

そして、「自分が楽しめればいい」という私的な観点ではなく、

「自分が役立てるなら」「その世界の発展に貢献につながるなら」という公の観点から広く見てほしいのです。

 

 

余談ですが、かつて母親が私に「あなたがいたらみんな死なずに済んだのに」とこぼしたことがあります。

私の学んだ早大山岳部では、1992年に先輩二人と同期一人の三人が壮絶な吹雪によってルートを失い命を落とす遭難がありました。指揮をとっていた別の先輩も贖罪のように登り続けて6年後にヒマラヤで亡くなったので、ある意味、この遭難での死者の一人です。

また、1997年にヒマラヤの8000m峰に挑んだ際の隊長は、登頂後に戻るルートを見失い、行方不明となって今も見つかっていません。同行していた仲間が「ルートはこっちです」と言っても隊長は違う方向へ向かっていったと言います。

 

山岳部の遭難の時は私はヒマラヤを目指すために退部した後でしたし、ヒマラヤでは私は第一次アタック隊で隊長は二次隊と、双方とも私は居合わせていませんでした。

せめて地図読みをやってきた私がいれば、ルートを見出したり、説得したりで違う結果になったのではという思いからの、母親の言葉なのです。

 

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命が掛かるだけに、もう会えない仲間も多い。だが、彼らが望むのは残った者がやめてしまうことではない筈。

 

警察庁の統計では、平成30年の山での遭難のうち道迷い遭難は4割弱を占めます。

他の態様に分けられている「滑落」「転倒」「疲労」など様々なカテゴリーも、場合によってはトリガーは道迷いだったかもしれません。

それも、これらの多くは、クライミングと呼べる困難な登山というより、ハイキングの延長である一般登山での遭難がほとんどでしょう。

一般登山者が基本的な地図読みや、意識としての道迷いへの備えさえ持っていれば防げたかもしれない遭難です。

「全体の4割」のその数は1,187人で、死者数は統計には出ていませんが100人近いと思われます。

 

オリエンティアの技術や、それを伝えてきた文化をもってすれば、多くの命が救えると信じています。

オリエンティアはすごいのです。

 

一方で、私は「オリエンティアの持つ能力はこうした世界に挑むベースになる」と書きましたが、

ステップとしてふさわしいと考えるものに、アドベンチャーレースがあります。

 

 

6.アドベンチャーレースの利用

 

アドベンチャーレースは、そもそもネーミングが間違っています。そこには真の意味での冒険要素がある訳ではありません。「アドベンチャー」という言葉を借りて、そう見せているだけです。

世界のアドベンチャーレースで活躍するニュージーランドでは一般的に「マルチスポーツレース」と呼んでいるようです。こちらの方が実態に近いでしょう。

 

例を挙げれば、アドベンチャーレースではよく岩壁の懸垂下降などのシーンを「どうだ!すごいだろう」とばかりに見せていますが、懸垂下降の本当の危険はロープをセットする支点の構築にあります。

自然の中ではこの支点を木や岩、あるいはハーケンやボルトといった人工物を自分で岩壁に打ち込むことで設けるため、もしこれらが抜けたり折れたりすれば全体重を預けるだけに相当の確立で死に至ります。

ですが、アドベンチャーレースでは主催者が確実にセットしたロープを使うだけなので、何ら恐れることはありません。器具をセットして正しく使うだけです。

なので、アドベンチャーレースしかやらない人で実際に支点の構築をやったことがある人はまずいないでしょう。

他にもマウンテンバイク、カヤックなどがありますが、「冒険」ではなく「競技」なので、失敗すれば死んでしまうような場所や荒れた海に出ていくようなことはまずありません。

やる気さえあればそのハードルは決して高くないものなのです。

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アドベンチャーレースのラフティングセクション。凄そうに見えるが、後ろにはプロガイドが乗って安全にコントロールしている。

一方で、アドベンチャーレースには他の競技にはないものがあります。

「男女混合」「年齢不問」「多種目」「数日に亘る長距離行動」などがその最たる特徴です。

これらは、私は「自然の中で人が行動するのに必要なもの」と思っています。

年齢を問わず男女が協力して、様々な障害を様々な技術で乗り越えて、何日も進み続ける。

これは人類の大移動グレート・ジャーニーか、あるいは軍隊の長距離偵察行動かというくらい、稀有な行動です。

 

私は多くのアドベンチャーレーサーを見てきましたが、この競技を行うに当たっても、即戦力となるのはオリエンティアでした。

競技なので、いつでもリタイヤ出来て、救助も呼べることを利用して、追い込むことができるアドベンチャーレース。

これを利用して、是非、更なるものを身に着けてもらえたらと思うのです。

 

 

ここまでをおさらいします。

 

オリエンテーリング

・地図読み

・ランニング

・山走り

・競技的思考

を身に着けたら、そこからの発展として、

 

アドベンチャーレースで

・年齢も問わない男女混合のチーム行動

・数日に亘る長距離行動

・海や川など多彩な自然に対応できるカヤックMTBといった様々な技術

を経験していき世界を広げます。

 

ここまで来たら、もう「競技」とか「ルール」とかを飛び出せるのではないでしょうか?

そして、この系譜の先には何があるでしょうか?

冒険や探検も素敵ですが、ここには学術的なものも必要になります。

次の段階として、私のお勧めは、アルピニズムです。

 

 

7.アルピニズムへ

 

私の早大山岳部の同期で高校時代にラグビーで花園まで行ったほどのラガーマンがいましたが、なぜ山の世界を選んだのか問うと「命の掛かることをやりたかった」と短く答えました。

海外に一緒に行った仲間は自分たちを称して「死にそうな目に遭って、生きて還りたい人間」とまとめています。

私の好きな言葉としては「そこには死がある。従って、より大きな生がある」というものもあります。

 

山を語るのは、もう悩ましいだけなので、安直にウィキペディアを引くと、

 

日本で「アルピニズムという言葉を用いる場合には、「より高く、また、より困難な状況・スタイルによる、スポーツ登山を志向する考え方・発想」として用いられている。(中略)自称・他称を問わず、アルピニストを称していたとしても、そこにアルピニズムの精神が見られなければ、それは虚像に過ぎない。アルピニズムには、ある見方をすれば「純粋な」、また違う見方をすれば「ストイックで偏狭な」、独特で深遠な精神世界が存在している。

 

とあります。大方賛成です。

考えるのも面倒くさくなると、「山よ、お前は美しすぎる」と溜息まじりに叫んで終わらせますが、この言葉が題名になっている写真集があることを最近知り、「みんな同じだな」と納得しました(笑)。

それが何であるかを表現しきれるだけのものを持ち合わせないので、事象としてお伝えできるものを挙げます。

 

・どこの山域のどの山か、どのルートから登るのか、どのようなスタイル(尾根、岩壁登攀、沢登り、アイスクライミング、スキーなど)なのか、どの季節に登るのかなどあり、地球規模で楽しめるので、一生涯で楽しみつくすことは絶対にできません。

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こんな清流を泳ぎながら泊りがけで遡っていくことも。水に溶け込んでしまいそうになります。

・私が創設メンバーのチーム「EAST WIND」の田中陽希とNHKエンタープライズの国沢五月さまの活躍もあって、深田久弥氏の日本100名山が特に有名です。

この100名山を登った人は大勢いますが、冬にすべてを登った人は現在1人しかいません。ですが、この第一人者も困難な場所では山岳ガイドを付けたお客様として登っています。残念ながらアルピニズムと言うのは難しいでしょう。よって、すべて自力で冬も登った人はまだいないと言っていいと思います。

 

・8000m級の高峰14座すべてに登った人間はまだ世界で31人しかいません。日本人は1人だけです。酸素ボンベを一度も使わない完全無酸素となると数人しかいません。ちなみに日本人で達成した竹内洋岳氏の妹さんはオリエンティアでした。

 

・困難な目標が出来ると、命に関わるので、他のことが些末でしかなくなります。私の先輩は「どんなに生活が苦しくても自殺とか考えている暇もない。山をやっていて良かった」と言っていました。名言です。

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井上靖の「氷壁」で有名な穂高岳滝谷。岩がもろいのでただ登るだけでも恐ろしく、日々の悩み事など思い出している余裕もありません。

・同様に「命」や「生きていること」をかみしめるようになるので、日々普通に生きられることに感謝したり、何を食べてもおいしく感じられるようになります。

 

・歴史的な人物の遭難や、かつて事故があった場所や事例などを研究するので、必ず「死」を意識するようになります。時には知人や友人の死もあるでしょう。それがもたらす功罪は人それぞれですが、得難いものだと思います。

 

大きく、美しく、荘厳な自然の中で、これらを学べるのです。

安全に登りきるため、冬の北アルプスや富士山を夜間に登ることもありますが、星空や暗闇の中、雪の斜面をひたすら高みへと登るのは、もう、自分が人間であることも、ここが地球であることも忘れそうになります。

あとはもう、その人の持つ個性による方向性でしょうか?

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自由が故に、個性も出る。何を目指すかは、経験的には、必然に見えてくると思っています。

 

 

8.その先へ 

 

命が関わったところまで来ると、もうその先はどうなるのか、分かりません。

経験や技術の継承なのか、後身の育成なのか、社会やその世界への貢献なのか、果ては精神世界なのか。

むしろ、そこからがその人らしさが出て、面白いのかもしれません。

 

私などはまだまだですし、何かを極めた訳でもありません。

それでも、体験し始めている一つに歴史探索があります。かっこよく言えば「時間の壁を越えた」活動です。

私は専門家でもありませんが、いずれも自然に呼ばれるようにして、これまで下記のような調査をやってきました。

 

・鹿児島県の沖永良部島で3960±40年前の縄文人全身骨を発掘

約9㎞と日本第二位の長さを誇る大山水鏡洞という洞窟の最奥部に骨があるとの情報に接し、探検隊を2回編成、行政の許可も得て学者2名と共に現場から発掘、搬出に成功する。埋葬でない縄文人の全身骨としては全国3例目。大山水鏡洞人として日本考古学会で報告される。

 

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発見した人物は4000年前、洞窟の入り口が崩壊したことで閉じ込められた男性だった。

・初の洞窟祭祀遺跡「鳳雛洞第4洞口遺跡」を発見

上記の大山水鏡洞人の発掘の際、別の洞窟で骨を見たとの情報に接し、これを調査。平安期の人骨を発見する。同時に完全に洞窟の中で土器や骨を燃やして割るなどの祭祀が行われていたことが分かる。遺跡調査としては初の3次元測量も行われ、日本考古学会で報告される。私の当時小学生の長男も発掘に参加。

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洞窟内での調査に参加する長男。時には水の中を潜って向こう側に出なければならないため、必死(笑)

・初の「抜け穴」機能を持つ城跡地下トンネルの全容解明

青森県弘前市にある石川城の地下に城内から外へと出られるトンネルがあり、敵をまどわすためか複雑に迷路状になっているその全容を測量と模型によって明らかにする。城郭構造の専門家の日本大学の教授によるとこのような「抜け穴」機能を持つトンネルが発見された例はないとのこと。日本城郭学会に報告するも「地下については議論の下地がない」と拒否される。

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ある日の探検隊。学者3名、測量隊2名。学術的にやらないと公式な記録にはならない。

・天草島原の乱の国指定史跡「原城」にて初の水源確認 地下トンネルの測量調査 隠し部屋の発見

天草四郎で知られる天草島原の乱で、一揆勢3万7千人が全滅するまで戦った原城は、それまで井戸が一つも見つからず、水源が分かっていませんでしたが、城の中腹に空いていたトンネルの調査を実施し、水源を確認。また、埋められた井戸跡も確認。一揆勢が落城直前に隠したかったものがあるとみて周辺を調査の結果、岩で埋められた地下の隠し部屋を発見。今後、調査の予定。

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隠し部屋で見つけた1600年代初頭に作られた唐津焼の大皿の一部(人間国宝級の人物が鑑定)。 天草島原の乱と時期が見事に一致し、この隠し部屋を使った人物が限られてきた。

 

静岡県最古着工のトンネル「山田隧道」の初確認。行政も確認。

仙台市地下に眠る4㎞のトンネルの調査

新潟県南魚沼市黒又沢の奥に眠る「赤い鉄橋」の現状と廃棄の背景を調査

 

他にもまだ公表できませんが、謎の城跡の調査や、記録にない謎の坑道の調査などを続けています。

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2017年に発見した人骨の一つ。行政に連絡し、学者に来てもらい炭素14測定などを行う。

オリエンテーリングで地図読みと山を自由に走ることを身に着け、

アドベンチャーレースで仲間と共同して様々な技術で限界まで追い込むことを知り、

アルピニズムで命の掛かったことをやってきた自分が、

歴史の中で人知れず死んでいった人たちから呼ばれ、未発見の人骨や遺跡にたどり着いて、そこに光を当てる役目を担うことになったと、今は考えています。

 

そう考えないと、専門家でもない私が、日本の歴史にその名を残す3万7千人が皆殺しにあった戦いの場所、国指定史跡で新たな発見をし、今後も核心に向けて調査していけるたった一人の人間になるなどといったことが、理解できないのです。

 

オリエンテーリングから始まった私の人生のナビゲーションは、今、私自身がとても楽しめるものとなっています。

自らの体験をもとに「同じことをやりなさい」と押し付ける訳ではありません。

ただ、「こんな可能性がありますよ」と示させて頂きました。

 

今、「スパモニ探検隊」のもとには多くのオリエンティアが来てくれて、アドベンチャーレースを通して多様な価値観に触れ、

雪山に登り始めるメンバーも出てきています。

若い彼らがそれらに触れて、今後どういった道に進むのか、心から楽しみです。

 

「自分も新たな世界に踏み出したい」と欲する若者がいましたら、是非、チームに来て下さい。

心より歓迎します。

 

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12月14日撮影の「スパモニ探検隊」。オリエンティアの若者がいっぱいです。

 

JOAの理事になってみました。

こんにちは。はじめまして、宮川と申します。

 

タイトルは、「JOAの理事になってみました。」です。

これまで知らなかったJOA(日本オリエンテーリング協会)の世界に飛び込んだ話を、少しだけできたらな、と思い寄稿します。

 

1.はじめに

 

まずは、自己紹介です。

私はいわゆるオリエンティア2世で、子供の時から大会会場に連れられていました。

選手としてはJWOCやWOCにチャレンジし、インカレに熱を注ぎ、卒業して3年間は東大OLKでオフィシャルをしていた社会人4年目です。

今はES関東CとNPOトータスに所属しています。

運営はインターハイ(2013)、全日本スプリント(2015)、伊豆大島大会(2018)、AsJYOC(2019)はメインで関わっておりました。

次の春インカレでは競技責任者を務めます。

 

オリエンテーリングが好きで、楽しくて、ここまでやってきました。

気付けば、代表選手、大学生オリエンティア、コーチ、運営者といろいろな立場を経験しました。

 

さて、そんな自分が、今年の春に村越さん(全日本大会で歴代最多優勝回数を誇るレジェンド)から、JOAの理事をやってみないか?とお誘いを受けました。

聞けば、JOAの女性理事を探しているとのことでした。

 

その時は、なぜ女性理事が必要なのかも、わかっていませんでした。

 

 

2.自分はオリエンテーリング界になにができるか?

 

理事を引き受けるかは相当悩みました。

私はこれまで日本学連や関東学連の幹事でもなかったですし、学問的に何か優れたものを持っているわけでもありません。

仕事も新卒以来、営業(人が作ったものや人の仕事を売る仕事)をしており、自分はなにかを生み出せる人材ではないと思っていたから。

 

でも唯一、できるかもしれないと思ったことがあります。

それは、「つなぐこと」でした。

 

何度か、オリエンテーリングをやめようかと思ったことがありましたが、結局好きで続けてきました。

森の中での"あの感覚"がいつも忘れられず、週末自ら山へ足を運ぶようになって10年目になります。

 

この10年、オリエンテーリング界でたくさんの人に出会いました。

 

狭い世界です。

たしかにオリエンテーリング以外のコミュニティでの出会いは全く違う新しい発見を与えてくれて、私にとってとても大切です。

でもオリエンテーリングを通して出会った人たちは、いや・・これうまく言葉にできないんですが、何か特別で、何というか・・・好き???なんですよね。

たとえ、今はオリエンテーリングをやっていなくても、それでも、です。

 

過去4年間のAdvent Calenderでもたくさんの言葉でオリエンテーリングが綴られています。

Advent Calenderに綴られているような、それだけではなく過去も今も多くの人から注がれた、たくさんのオリエンテーリングへの愛を、つなげられたらいいな、と思いました。

 

本当は、もっと明確なビジョンを持って飛び込みたかったです。「この組織の課題は何で、こんなプランを持ってすれば解決できるのだじょ!」、とか。

でも自分の中で腑に落ちたのは、その1点(つなぐこと)でした。

様々なスゴイことが出来る人たちがまわりにたくさんいるので、そんな人たちと日本のオリエンテーリングを作っていけたらと思って、結果的には飛び込むことにしました。

 

 

3.そもそもJOAってなに?

 

JOAの理事に誘われるまで、あまりJOAのことを知らなかったです。

 

①JOAへの疑問:JOAってどんな組織なの?

②理事への疑問:理事って何人いるの?何をする人なの?

③その他の疑問:全日本大会って今後どうなるの??

 

JOAってなんだか雲の上の存在でした。

よくTwitterなどで「JOAはうんぬんかんぬん」という批判を目にしますが、普段呼んでいる「JOA」ってなんぞや?というのを私は分かっていませんでした。

 

箇条書きではありますが、これまでに知った「JOAとはなんぞや」、という部分を書いてみます。

参考:http://www.orienteering.or.jp/joa/

 

 

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日本オリエンテーリング協会

 ・JOA(日本オリエンテーリング協会)は公益社団法人です。

 日本のオリエンテーリングを代表する中央組織で、毎年厳しい審査を通り内閣府から公に益する事業をしていると認められています。

 

・日本でオリエンテーリングを事業として掲げられる公益社団法人JOA以外に認められていないので、JOAが日本一と決めたチャンピオンは、「日本」の中で「オリエンテーリング」の競技で(当該年度にその種目で)頂点であると認められることになります。

 

IOF(国際オリエンテーリング連盟)日本スポーツ協会JOC(日本オリンピック協会)の承認団体として加盟をしています。縦や横のつながりもしっかりしております。

これらの組織に加盟しているから、世界選手権に選手が派遣できたり、国際大会を日本で開催することになったり、東京オリンピックの候補種目として手を挙げられたりします。

 

要は、日本のオリエンテーリングを代表する組織だと社会から認めてもらっている、のがJOAです。

 

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JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE

・2019年6月に岸記念体育館からJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREに事務局がお引越しになりました。他の競技団体と共有ですが、オリエンテーリング協会のスペースを持っています。

 

・ 事務局には事務局員がおります。時給を支払ってます。JOAの事務作業を担う役割で、会計業務や広報業務など、様々な事務仕事を担っていただいています。

誰かが「オリエンテーリング協会に問い合わせをしたい」と思った時に、電話を取ってくれる人がいるというのも対外的に見れば大切な役割です。

 

事務局が”主務”なら、理事が”主将”です。

 理事は、組織全体の事業方針を決めていきます。そして、その実行部隊が「委員会」です。ちなみに、事務局員以外は無報酬です。

 

・まずは委員会から。2019年12月時点で18の委員会があります。

 専門分野に分かれて、3~8名程度で活動しています。

 ★委員会の代表例

  競技委員会:日本の競技規則を策定する、イベントアドバイザーを派遣するなど

  強化委員会:日本代表選手を派遣する、選手強化をするなど

  地図委員会:日本の地図規則を策定するなど

 他にも、スキーO/トレイルO/MTB-Oの各委員会や、女性委員会、地域活性化委員会、国際委員会などがあります。

 

・そして、理事です。理事・・というか「役員」の中でも役割が決まっています。

 

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会長・山西哲郎

 JOAのトップ(会長)は山西先生です。よく全日本大会でメダルを授与してくださるおじさまです。ランニングの伝道師です。

 参考(写真も拝借しました):https://runnet.jp/award/detail_n30.html

 

 ・そして、副会長が2名、業務執行理事が5名、理事が11名という構成です。

 組織構成:http://www.orienteering.or.jp/joa/organization.php

 日本学連がJOAに加盟してからは、日本学連の幹事長がJOAの理事になっています(藤本くん)。理事の中で若手と呼ばれるのは、藤本くんと、東大OBで2年前に日学幹事長だった瀬川くん、そして私です。

 

・理事は、地方ブロックの代表+学識経験者+日本学連からの選出で構成されています。私は首都圏Bブロックの代表で、JOAの理事になるタイミングに神奈川県協会の理事にもなりました。

 

というわけで、JOAの内部組織は「理事(役員)」、「委員会」、「事務局」に分かれており、それぞれ、理事は方針を決める、委員会は各専門分野で事業を実行をする、事務局は業務を円滑に回す、という役割のもと動いております。

 

これまで、運営者や競技者として、オリエンテーリングを愛好しているだけでは知ることができなかったのは「社会・スポーツの中でのオリエンテーリングの地位」を守るために、JOAの方々は多くの力を注いでいたということでした。

誰かひとりの力ではきっとなしえなかったことだと思いますし、心から敬意の念を表したいと思っています。

 

でも、残念ながら、その対外的な地位をまだまだ活かしきれていないのが現状で、だからこそ、年間5,000円の競技者登録をしている私たちにとって、メリットが感じられない・競技者登録をする意味が分からない、という事態になってしまっているのだと思います。

 

4.みんなオリエンテーリングが好きなのに

 

先から書いているように、私はJOAが雲の上の存在であると思っていました。

おかみの存在で、そこで代表選手の選考方針が決まったり、全日本の日程・開催場所が決まったり、様々な規則が決まったりしていると思っていました。

 

でも実際入ってみて、他の理事や委員長の方々とお話すると、こんな声をよく耳にします。

 

 ①若手の意見をどんどん出してほしい

 ②後身がいないから自分がやっている

 

あ、おじさま方は若手のことをもっと知りたいんだ、というのは発見でした。

先日、副会長の愛場さんから頂いたメールの中には、こう綴っていただいています。

 

これからのオリエンテーリング界を背負って立つのは皆さんの世代です。
より広く、多くの人が、オリエンテーリングを楽しくできる環境を作ってゆきたいと思います。
そのために、是非力を貸してください。今後とも、ご協力のほどをよろしくお願い申し上げます。

 

私がこれまで感じていた、JOAと競技者との溝

「競技者のことを分かろうとしないJOA」だけではなく、「JOAのことを分かろうとしない競技者」もいたのではないかと、そう感じています。

 

感じているのは、競技者との溝だけでなく、事業者との溝もしかりです。

オリエンテーリングで生計を立てて行こうとしている方々との棲み分けを明確にして、しっかりその方々が「食べていける」ようにする環境づくりも必要です。

 

みんな、オリエンテーリングに対して時間・お金・人生・愛を注いでいるのだから、それらをつなげて、未来のオリエンテーリング界の仕組みを組み立てていくのが今の目標です。

と、だいそれた&照れくさいことを書きましたが、そんな大きな話、私や理事の力だけでは到底できるものではありません。過去の取り組みを振り返り、たくさんの人と協力しながら、ひとつひとつ、役割分担をして進めていけたらと、思っています。

 

5.これから進む先は

 

かつて私の母が所属していた、筑波大学オリエンテーリング部の活動方針ページ(http://tsa.tsukuba.ac.jp/orienteering/activity/)にこんな記載があります。

スポーツには勝利至上主義としての「チャンピオンスポーツ」の側面と、みんなのスポーツとしての「一般体育」の側面があり、どちらも欠かせない視点として重視していますが、さらに「支える側のスポーツ」として大会や対抗戦の運営、地図調査にも取り組んでいます。

 オリエンテーリングには、3つの価値(選ばれる理由)があると思っていて、それを要約してくれているのがこの文章です。

 

昨日、濱宇津が綴った、紺野晃氏が広めた日本のオリエンテーリングの世界。

 

チャンピオンスポーツも、支えるスポーツも、全てを包括した「みんなのスポーツ」というオリエンテーリングの文化

そこに至るために、JOA、事業者、都道府県協会、地域クラブ、大学クラブ、中学・高校クラブと共に、みんながオリエンテーリングを楽しみ競い合う場が続くことを願って、これからも進んでいこうと思っています。

 

 さて、理想ばかり語っていても仕方ないので、JOAでやろうとしていることを書いておきます。

まずは、新たにアスリート委員会の設立を進めています。

JOAと競技者が少しでも近くなるよう、寺垣内さん、堀田さんの力をお借りして、委員会の方針を固めようとしているところです。

近々、一部の選手の方々にも声をかけさせていただく予定です。

 

公認大会・全日本大会の再編も考えてはいますが、これまで多くの人が悩み考えチャレンジしていっても、お金/理想/インカレとの差別化、他様々な要因から、形が出来ているとはいえない状況です。

 

冒頭に書いた、女性理事が必要な理由は、JOAはスポーツ協会の中央組織に日本スポーツ協会から課せられているガバナンスコードに基づいて組織形成を行っているのですが、その中に女性理事40%以上という目標があるそうなのですね。(厳しい)

なかなか厳しい目標ではありますが、多様性を求めるという点では参考になる考え方かと思っています。理事は難しくとも、委員会レベルから、新しい風を吹かせていきたいです。 

 

若輩者ですが、ぜひたくさんの人たちと楽しみながら、創っていけたらと思っています。

 

It's all about Orienteering.

 

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WOC2013

 

オリエンテ―リングの誕生秘話

オリエンテーリングの誕生秘話 

 こんにちは。トータス&東大OLKOBの濱宇津佑亮です。

 12歳でオリエンテーリングに出会い今年で11年も経ちました。2019年は卒論でオリエンテーリングの歴史を書いて、社会人オリンティアの皇居ラン始めて、アジアジュニアユース選手権を運営して、家をクラブハウス化するために一人暮らしを始めたりしました。

 さて、今日12月15日は大河ドラマ『いだてん』の最終回ですね。東京オリンピックに賭けた人々の物語が最高潮を迎えます。この1964年の東京オリンピックに関わり、そしてオリンピック後もスポーツの理想を追った先人たちが、実はオリエンテーリングの誕生と深く関係していたということを本日はお話したいと思います。

 来年2020年オリンピック東京大会を目前に控えた今だからこそ、振り返っていただきたいと思っています。

 

 1964年東京オリンピック成功の立役者の布石

●「あすに向かっての命題」

 

東京大会*はほんのステップストーンに過ぎなかった.わたしたちは大会が終わった途端に,目の前いっぱいに2本の柱,すなわち競技力の今後の強化向上と国民スポーツの振興がとてつもなく大きな姿で迫っていることを発見したのです.

*1964年オリンピック東京大会

 

 オリエンテーリングの誕生を語るには、まずこの一文から始めないとならない。1965年1月、東京オリンピック選手強化対策本部の機関紙『Olympia』の最終号に大島鎌吉選手強化対策本部長が寄せた「あすに向かっての命題」の一文です.

 1964年のオリンピック東京大会は、日本代表が金メダル16個の過去最高の成績を残して日本中を熱狂させました。そんな快挙を成し遂げた日本代表選手団の中心にいたのが、選手強化対策本部の本部長・団長として代表選手の強化を担った、大島鎌吉でした。今でも大島は「東京オリンピックを作った男」と呼ばれています。

 そして、大島鎌吉と大島鎌吉のスポーツに賭けた想いを受け継いだ弟子たちによって、日本にオリンテ―リングが芽吹いていったのでした。まずは、大島鎌吉がどのような人物だったのかに迫っていきたいと思います。

 

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来日したスウェーデンオリンティアに賞状を渡す大島鎌吉

 

●大島鎌吉と「みんなのスポーツ」

 大島は1908年金沢市生まれ。金沢商業学校で三段跳びに出会い、そこから選手として活躍していきます。1932年の第10回オリンピックロサンゼルス大会では銅メダルを獲得し、1934年には15m82㎝の世界新記録を樹立しました。トップアスリートです。競技を引退後は毎日新聞の記者をしながらも、(第2次大戦中にはドイツ戦線を取材し、軍の高官になりすましてヒトラーと体育政策について議論したという武勇伝も、、、)日本のスポーツ界に関わり続けていました。

 

 そんな大島は、戦争終結後の1947年の時点で日本のスポーツ界に対して次のように述べています。 

 

従来の日本スポーツが学生選手の独占的花園でしかなかった.オリンピック選手のほとんど全部が学生で占められた実際は,日本資本主義を母体とする社会環境の生んだ奇形だが,勝利追求に急なあまりこれをきよう正せずいよいよ変質型に追い込んだ事大主義的失敗はこの際断じて繰り返すべきではない.われわれがスポーツ界に声を大にして叫ぶとは「スポーツは国民大衆と共にあれ」「スポーツは大衆に基盤をもつて育成させよ」ということだ.壊れかけたピラミッドの先端だけをながめて回顧し,弱弱しく「復興」をさけぶ愚人の夢を追ってはならない.(大島 1947: 2)

 

 

 大島はスポーツの参加者が学生のみになっている現状を批判し,スポーツの大衆化の重要性を訴えていました。そのころの大島は毎日新聞社の記者の立場から、高度な競技者の育成を中心に据える日本体育協会に対して警鐘を鳴らしていました。そのため、競技力の向上を唱え続けて日本体育協会をリードした『いだてん』主人公の田畑とは長年の思想的ライバルであったと言われています。

 では大島のスポーツへの考えはどのようなものだったのでしょうか。その背景には、オリンピック思想があります(※大島はオリンピックの父・クーベルタン著『オリンピックの回想』の訳者でもあります。)

  それらは、オリンピックの精神「青少年の育成」、「平和の祭典」、「勝利することではなく、参加することに意義がある」です。大島は青少年の育成のためにスポーツ少年団の設立、東京オリンピックの招致を行い、平和の祭典のオリンピックの政治的ボイコットに対しては反論の先鋒を担いました。また平和に関しては、戦争の経験も合わさり、スポーツという身体文化を戦争=死に対抗する生の実践運動として捉えていました。

 

 そんな大島にとって、オリンピック東京大会を終えた後に至上命題として残ったのが冒頭「明日への命題」における、競技力の今後の強化向上と国民スポーツの振興の両立だったのです。重要なのは、競技力向上とスポーツ文化の普及を結び付けて両立するという点です。スポーツが人々の生きる糧になると信じていたからこそ、スポーツが日常に溶け込み文化として根づくことを理想としていたのでした。大島の理想は「みんなのスポーツ」=sports for all運動として実践されていくのでした。

 

●大島鎌吉の布石

 さて、競技力向上にしか興味のない日本体育協会がスポーツ界の中心を占める中、大島はどのように彼の理想を追い求めたのでしょう。そこには大島が1964年の東京オリンピック前に仕掛けた大きな布石があります。

 大島は東京オリンピック開催間近の1964年1月26日に国会に呼ばれます。その当時、国民の関心はオリンピックで日本選手が何個メダルをとれるのか。それを選手強化本部長の立場として、説明に国会の場に出席しました。大島はそこで、過去最高の金メダル15個以上獲得を明確に宣言します。

 

 

御承知のとおりに,東京オリンピックにおけるところの選手強化対策本部の成績の目標でございますが,それは昨年と同様でございまして,大体十五以上の金メダルを取ろう,1位を取ろうということになっているわけでございます.

 (『第46回国会参議院オリンピック準備促進特別委員会議事録第2号』  1964)

 

 

 これにより日本代表は大きな期待を背負うことになります。大きなプレッシャーにさらされた中、16個の金メダルをとった日本選手団は天晴れという他ありません。

 さて、重大な発表を行った大島ですが、同時に理想のための大きな布石を打っていました。

 大島は、上の金メダル宣言から間髪を入れずにこう続けています。

 

  

私たちがもう1つ関心を時っております問題は,これは善後処理と申しますか,今日ここまでやってまいりまして,いろいろと手を広げてまいったのでありますが,しかしオリンピックが終わると,それが何もなくなるというようなことでは,将来の日本のスポーツのために,あるいは体育のためによくないのではなかろうか.したがって,これだけ手を広げたものを何らかうまく組織をいたしまして,オリンピックが終わりではなくて,オリンピックを新しいスタートとして,これらを日本の体育,スポーツの将来のために備えたいというような考えを持っているのでございます.(中略)その節は従来に変らず御協力をお願いしたいと,かように存じております.

 (『第46回国会参議院オリンピック準備促進特別委員会議事録第2号』  1964)

 

 

 

 大島はオリンピックの成果を約束すると同時に、オリンピックの選手強化本部を基礎した新たな組織の発足と国の支援の約束を求めたのでした。そして大島が宣言通りにオリンピックで成果を残し、当時のオリンピック担当大臣の河野一郎の協力もあって、「体力つくり国民会議」とその事業実施団体として「国民体力つくり事業協議会」が設立されました。オリンピックの選手強化本部にいた人々が多くこの組織に入り、行政の支援を受けながら、民間とも連携して「みんなのスポーツ」運動を進めていきます。

 この組織がオリエンテーリングを日本に普及させていくことになるのです。

 

「みんなのスポーツ」とオリエンテーリング

 オリエンテーリングの父 アーネスト・シランデル

 さて、一旦オリエンテーリングの本場北欧での発祥について簡単に振り返ります。オリエンテーリングは北欧が発祥のスポーツです。19世紀、軍隊の斥候訓練として行われていたものが、スポーツ化されていきます。本格的に普及するのは1918年にスウェーデンストックホルムでアーネスト・シランデルが開いた大会以降と言われています。シランデルがルールや規則を整備していきながら愛好者が増えていきました。その功績からシランデルはオリエンテーリングの父と呼ばれています。

 当時ヨーロッパでもスポーツは特定のエリートに占有されていました。そこでシランデルは"スポーツをすべての人の手に!""自然を再びわれわれの手に!""いますぐそのままの姿で始めよう!"を合いことばにオリエンテーリングを一般市民に広げていきました。それが、ヨーロッパにおける地域クラブを基礎としたオリエンテーリングの発展につながっていきます。

 シランデルは日本で「みんなのスポーツ」運動が始まる約50年前に、「みんなのスポーツ」としてオリエンテーリングを生み出し、ヨーロッパに根付かせたのでした。

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●大島鎌吉の弟子・紺野晃とオリエンテーリングの出会い

 さて、東京オリンピック後の日本に戻り、日本でのオリエンテーリングの芽吹きをみていきます。ここからの主人公は、大島鎌吉から代わり、大島の弟子であり、日本のオリエンテーリングの父・紺野晃になります。

 紺野晃さんは1934年新潟生まれ御年85歳です。新潟大学教育学部を卒業後『山と渓谷』の編集をした後、東京オリンピックで『Olympia』の編集を行います。(『Olympia』は東京オリンピック選手強化本部の機関紙でしたね)そこで、紺野さんは大島と出会い、大島の弟子として大島のスポーツの思想を学びます。

 そして、この『Olympia』の記事集めで外国雑誌を収集していた際、紺野さんはオリエンテーリングと出会います。そのときの気持ちを次のように語っています。

 

 自然の中で,子供も大人もエリートも昨日ルールを覚えたばかりの者も,自分の能力に見合うカテゴリーで楽しむことが出来て年齢と言うカテゴリーの中で楽しむことが出来るスポーツは当時の日本に他にない

   

 スウェーデンで「みんなのスポーツ」を目指したオリエンテーリングと、大島思想を引きついだ紺野晃が出会った瞬間でした。

 そして、東京オリンピックの後に発足した「国民体力つくり事業協議会」で紺野さんはオリエンテーリングの普及に邁進していくことになります。

 

オリエンテーリングの芽吹き

 1966年6月26日、東京都高尾で日本初のオリエンテーリングが開催されました。紺野さんは読売新聞社と組み、読売新聞徒歩ラリーという名前でオリエンテーリングを実施します。 

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日本ではじめてのオリエンテーリングコース

 

 読売新聞の広報欄で募集を行い、第1回は106人の参加、その後徒歩ラリーとしては1969年までに15回開催され500人規模にまで拡大していきました。

 徒歩ラリーの順調な成功を見た紺野さんは次なる一手を打ちます。1969年6月23日単身渡欧し、なんとIOFに加入してきてしまいます。まだ日本にオリエンテーリング組織はない状態、つまり加入できる団体がない状態で、日本の加入を認めてもらうというなかなかの荒業をしています。 

 荒業ではあるのですが、このIOFへの加入によって、一気にオリエンテーリングの社会での認知は高まっていきます。新聞、テレビ局、雑誌でオリエンテーリングが大々的に取り上げたのです。そして、この盛り上がりを受けて国もオリエンテーリングを全面的にバックアップしていきます。今では考えられないですが、総理府の名前で 都内の国鉄(JR)と地下鉄車内に5千枚のポスターを掲示しました。また、国のオリエンテーリング振興予算として1971年には7570万、1973年には1億304万が計上されます。

 IOF加盟によって、国と民間の巻き込みに成功したのでした。

 

 もう一つのIOF加盟による大きな変化として、個人で行うオリエンテーリングが上陸したことでした。それまでは徒歩ラリーとして、グループで歩きのみで行うオリエンテーリングを行っていましたが、IOF加入によって役員が来日しIOFの競技規則が日本に知られることになります。

 個人形式&走ってよいオリエンテーリングの最初の大会は、当時SILVAの社長の息子で東大に留学中だったトッド・チェルストロムが監修し行われました。

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日本初の国際方式のオリエンテーリング大会。田園都市線市ヶ尾で。それまでは、スタートが△でなかったり、位置説明はついてなかった。


 日本では、徒歩オリエンテーリングオリエンテーリング(個人方式)という二つの形式でオリエンテーリングが広まっていくことになります。

 

●普及の戦略

 1億円近い予算を獲得した紺野さんはどのようにオリエンテーリングを普及していったのでしょう。紺野さんが整備した枠組みが今のオリエンテーリング界を形づくっています。その取り組みについて重要なものについて、見ていきたいと思います。

 まず1つ目は、競技規則と地図規則の整備です。これはIOFからの情報や、海外に派遣して国際基準に合わせつつ整備していきます。
 2つ目は、組織の整備です。まずJOAの前身である日本オリエンテ―リング委員会を組織し、そののち地方組織を整備していきました。地方組織は主に地方自治体か高校に設置されました。1976年には47都道府県すべてにオリエンテーリング委員会が発足します。この仕組みが今の都道府県協会制に引き継がれます。

 3つ目は、指導者育成です。組織を作っても、まだ日本にはオリエンテーリングについての知識がまったくありません。ルールや地図の読み方、大会運営方法それらの情報に詳しい人は紺野さん含め国内に数人にしかいませんでした。その知識を広めるために全国各地で指導者講習会を行いました。

 4つ目は、全国でのオリエンテーリング大会の促進です。鉄道会社と組みながら沿線にパーマネントコースを設定し、開設記念大会の実施。1975年には全国で300万枚の地図が使用されたそうで、当時は家族やグループの参加だったことを考えると述べ1000万人以上の参加がありました。

 また、新聞社とも協働し読売新聞大会などの冠大会を実施していきます。1974年の読売大会では7824人の参加がありました。(赤根に7000人が押し掛けた。市民マラソンの元祖である青梅マラソンの4397人を超える規模で市民スポーツとしての最も早く盛り上がったともいえるかもしれません。)

 紺野さんの取り組みにより、オリエンテーリングは一気にブームを迎え、オリエンテーリングを知っている人→やったことある人→愛好者が生まれるようになっていったのです。

 そしてこれらの取り組みは、「みんなのスポーツ」を標語に実践されました。「みんなのスポーツ」という大義があったからこそ、ここまで国や民間を巻き込んだ普及活動ができたのです。

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読売新聞1969年5月1日朝刊。読売新聞は3面全部オリエンテーリングを特集してくれたこともあった。

 

 

 

「みんなのスポーツ」とO-Ringen

 ここまでの流れをまとめると、スポーツの大衆化と競技力の向上の両立を目指した「みんなのスポーツ」運動は、大島の東京オリンピックの成功があってこそ始まり、その先鋒としてオリエンテ―リングが日本で普及されていったのでした。そして、紺野晃さんの普及活動によってオリエンテーリングに出会った、次の世代がオリンテ―リングの発展を担っていきました。

 では、「みんなのスポーツ」はオリエンテーリング界に今も残っているのでしょうか。それを僕はO-Ringenに見出しています。

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世界チャンピオンから老人と子どもまで一同に会す



 O-Ringenは毎年7月下旬にスウェーデンで行われる世界最大規模のオリエンテーリング大会です。2~3万人の参加者が世界各地から集まり、6日間にわたってレースを行います。参加者はクラブ単位で参加し、クラブの仲間たちとキャンプやコテージ等を借りて大会を楽しみます。

 3年前自分もオーリンゲンに参加しましたが、その規模に圧倒されると共に、何よりもレベルや年代に関わらずオリエンテーリングを楽しんでいました。そのオリエンテーリングの楽しみ方の多様さにとても感動しました。忘れられない大会です。

 

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おしゃぶりをしたお孫さんと嬉しそうにスタートに来たおじいさん。人生を通じてオリエンテーリングが楽しまれている。



 

 そして、実はオリエンテーリング普及初期においてもO-Ringenは「みんなのスポーツ」の理想が現実の姿として現れたものとしてオリエンテ―リングの普及関係者を魅了していました。1973年に参加した日本オリエンテ―リング委員会の事務局長の猪川清の言葉を引用させてもらいたいと思います。

 

 

10才から70才以上の人びとまで,しかも国際級のエリート選手も,昨日はじめたばかりの初心者も同じゲレンデで45000の大観衆の応援のなかを懸命にゴールインする姿,最初のゴールインから最後のゴールインまで12000人の人びと(おとなも子どもも)がつぎからつぎへ約5時間にわたって,流れる人間の川のようにゴールインする姿,これこそファミリー・スポーツであり,「みんなのスポーツ」である,”社会体育”という観念上の言葉がここに現実の姿となって展開されていることを,参加した日本人の人びとはこの目で見,この身体で体験したことが何よりの成果であった.

 山形県から参加した62才の後藤さんはこの状況を見て感動のあまり,まぶたが熱くなって泣けてきたと私に語った.(中略)

 「参加することにこそ意義がある」といったオリンピックの父・クーベルタンの言葉どおりの,「すべての人びとのためのスポーツ大会」がここに存在するのである.(中略)

 21世紀のスポーツといわれるオリエンテーリングは,すぐれた大衆性をもっている点で,国民の体力つくり運動推進の大きい柱となる資格をいつまでも失わないであろう.「みんなのスポーツ」―社会体育の夜明けの幕を引くものは,オリエンテーリングであるということを信じて疑わない.(猪川 1975: 53-55)

 

 熱くO-Ringenを語られています。O-Ringen、そしてオリエンテーリングに理想を見た先人たちが最初の最初のオリンテ―リングを支え育ててくださったのです。そして、その理想は時を超えて、今もO-Ringenにみることができると思います。

 

●終わりに ―「人生に野遊びを」―

 オリエンテーリングの誕生秘話を書かせていただきましたが、歴史を振り返ってみて、これからのオリエンテーリング界を考えてみると、自分は「オリエンテーリングは文化である」ということを心にとめることが一番大切かなと思っています。大島の「みんなのスポーツ」とは今の時代に読み替えれば、スポーツを「文化」として捉えて楽しむことだと思います。競技で勝つことだけが、大会に出ることだけで全てではなのではないです。

 昨日の高野さんはピーマンの肉詰めの話をされていたので、料理で例えてみると、プロのシェフもいれば、家で自分のため友人のため家族のために作っている人もいます。そして、それぞれの料理に個性があります。また、料理がうまければ偉いというわけでもないです。そして自分のためだけに作る料理より、人のために作ってみんなで食卓を囲むとよりおいしくなったりします。それを人は食文化と言ったりします。

 そんな風にオリエンテーリングでも仲間を作って、一緒にトレーニングしたり、大会に参加したり、ある時はオリエンテーリングを教えたり、ご飯を一緒に囲んでオリエンテーリング談義に花を咲かせたり。そんな風にオリエンテーリングを楽しむというのは何歳になっても人生を豊かにしてくれると思っています。

 

「人生に野遊びを」by Snow peak

 

これからも一緒にオリエンテーリングを楽しんでいきましょう。

 

 

※今回の内容は2018年度東京大学文学部社会学研究室卒業論文「日本におけるオリエンテーリングの成立―体力つくりとスポーツの狭間で─」に基づいて書いています。卒論は社会学研究室の優秀賞にも選んでいただけました。嬉しい。

 

※内容としては、卒論の3割くらいです。他にも、「競技者」の誕生(「優勝」を目指す柳下惇夫物語)や、O-Mapの発展(元祖巨匠たちの物語)、全英チャンピオン杉山隆司という黒船、徒歩OLとオリエンテーリング(国際方式)の闘争と紺野晃の苦悩など、オリエンテーリングの歴史は面白いので、興味ある方は卒論フルバージョンも読んでいただければと思います。興味ある方は連絡ください~。

 

※改めて卒論でお世話になった祐成保志先生,国沢五月様、船橋昭一様,高村卓様,池ヶ谷悦朗様.柳下惇夫様,豊島利男様,山川克則様,青木高様,長谷川純三様,小笠原揚太郎様,寄金義紀様,紺野晃様,森川正己様,見上和美様,加藤隆幸様,山岸夏希様.日本オリエンテーリング協会事務局様にお礼申し上げます。ありがとうございました。