オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

勝ちの価値~勝つことについて真剣に考えてみる~

はじめに

 京葉オリエンテーリングクラブの寺垣内 航です。広島県出身(当然カープファン)、オリエンテーリング歴18年目で、強化指定選手としてナショナルチームにも所属しています。光栄にもクラブの後輩である田中基成氏から記事の依頼を受け、12月22日の記事として投稿します。

 

自己紹介

 本タイトルの記事に入る前に、まずは自己紹介を。

‐大学時代‐

 2000年に早稲田大学オリエンテーリングクラブ(以下早大OC)に入部し、オリエンテーリングとインカレに魅了された大学4年間を送りました。入部時の早大OCはインカレリレーで2連覇する強豪校で、とても恵まれた指導環境でした。毎週末(というかほぼ全行事)山に行き、クラブの定期練習にもほぼ毎回参加していましたが、始めてから1年間はなかなか上達できず、それでもオリエンテーリングが楽しく、少しでも速く、上手になりたいという気持ちを持って練習していました。

 1年生最後のインカレで見た、先輩たちの走りは今でも忘れられず、それからはとにかくインカレで活躍できる選手を目指して残りの大学生活を送りましたが、大学3年の夏から4年の夏までは故障生活が続き、ほとんど走れない状態であったのを覚えています。そして故障明けの4年生秋以降は順調にトレーニングを積み、インカレクラシック(現インカレロング)で優勝。今でも鮮明に覚えている情景がたくさんあり、良くも悪くも自分の原点はインカレにあったと間違いなく言えます。(今でもインカレ併設大会に参加し、観戦をしていると特別な感情になることができる素晴らしい大会だと思います。)

 

(インカレエリートクラス全成績)

インカレショート2001   予選敗退

インカレ2001 クラシック 9位

         リレー   3位(3走)

インカレショート2002   予選敗退

インカレ2002 クラシック 23位

         リレー   2位(4走)

インカレショート2003   13位

インカレ2003 クラシック 優勝

         リレー   7位(4走)

 

 一方で、毎年OC大会を運営しており、大学3年生時の赤根での大会では、コースプランナー兼競技責任者を務めました。当時、ナショナルチームのトップ選手として活躍していた鹿島田浩二氏(前日のAdvent Calendar著者)にコントローラーを務めて頂き、競技、コースプランのいろはを教えて頂いたことはとても大きな経験でした。

 

‐大学卒業後‐

 大学卒業直後に、日本代表としてユニバーシアード(2004年)に行く機会に恵まれ、そこで大きな壁を感じはしたものの、さらに上の世界選手権(以下WOC)を目指すことに。その頃は2005年に日本(アジア)で初めてのWOCが予定されており、トップ選手は皆そこをターゲットに猛練習を積んでおり、日本オリエンテーリング界全体が2005年を中心に回っていました。しかし結局、WOCセレクションを通過し、WOCに出場したのは2010年までかかることになりました。

 一方で、大学卒業直後に、地域クラブの京葉オリエンテーリングクラブに所属し、クラブカップリレーで優勝を目指しつつ、超一流のマッパー田中徹氏とタッグを組んで、コースプランナーとして(当時はまだ珍しかった)スプリント大会を開いたり、インカレ運営(2004年度、2006年度は競技責任者)を務めたり、母校のオフィシャルや大会コントローラーを務めたりもしました。

 ナショナルチーム(日本代表)としては、WOC2010,2011,2012,2013,2015、およびASOC2008,2010,2014に出場。その中での個人的に選ぶベストレースは、団体戦はWOC2015(1走27位)、個人戦はASOC2014ロング(4位)。

 

‐最近の活動‐

 近年はOMMという2日間のナビゲーション耐久スポーツに出場したり、その経験を生かしてナビゲーションスポーツの講師をやらせてもらったりもしました。でも自分にとってはやっぱりオリエンテーリングが一番楽しいです。

 また現在は茨城県日立市に住んでおり、地元の茨城大学オリエンテーリングクラブ、ときわ走林会にお世話になりながら、北関東のオリエンテーリング練習機会を積極的に活用し、WOCを目指している最中です。

 

勝ちとは何なのか

 長々と自己紹介してきたが、振り返ってみて、自分にとってオリエンテーリングは競技であることが、あらためてわかった。そこで本記事では私の経験、知識を交えながら、オリエンテーリング勝つことについて考えてみたいと思う。具体的なハウツーや、ノウハウを示しているわけではないですが、読者の皆さまが、少しでもオリエンテーリングという競技を考える一助になれば幸いです。

 

‐勝つとは‐

 まずは「勝つ」ことの定義を辞書で確認してみる。大きく分けると、相手に勝つ、自分に勝つの2つの意味が見て取れる。

 

争って相手を負かす。競争して他の者をしのぐ。 《勝》 ↔ 負ける 「大事な試合に-・つ」 「選挙で-・つ」

(多く「克つ」と書く)欲望などを抑える。 「誘惑に-・つ」 「己に-・つ」

③ 一方の力や傾向などが他方より強い。まさっている。 《勝》 「赤みの-・った色」 「理性の-・った人」

④ 能力を超えた負担を負っている。 《勝》 「荷が-・ちすぎる」“

‐引用:weblio辞書‐

 

‐なぜ勝ちたいのだろう‐

 なぜ勝ちたいのだろう。野球やバスケットボールをやっていた時は、勝たないことで怒号をくらったり、罰則があるから負けたくないという気持ちもあった(そのようなスポーツ根性の時代でした)。でもそういうことも含めて、勝とうとするのは当たり前だと。

 人は本能として競争意識を潜在的に持っているのかもしれないが、やっぱり世間一般的に「勝つこと」=「良いこと」という方程式が成り立っており、幼い頃からそのような考えが身近にあったことが大きかったのではないかと思う。

 オリエンテーリングを始めて、順調に成長して結果が出始めている時は、勝ちの意味について考えることはなかった。チームあるいは自分のために勝ちたいと思い、上手くなりたいと思って練習するのが楽しかった。しかし、明確な目標を見失った時、あまりにも大きい壁にぶち当たった時、故障やスランプから抜け出せない時、「なぜ勝ちたいのだろう」という気持ちと度々向き合ってきた。実際に負けたことからの方が、学びがたくさんあったということも事実としてある。

 ではなぜ勝ちたいのだろうか。勝つことは一般的には(特にスポーツ界では)とても価値があることだと考えられていると思う。でも、そういう一般論を無視した場合、自分にとって勝ちの価値とはどういう所にあるのだろうか。

 

‐何を勝ちと考えるか‐

 思考を繰り返し、勝ちの定義を「自分で決めた目標を達成する」「成長する」と考えたこともある。これは、自分で勝つことを定義し、相対的なレースの順位やできあしではなく、自分にとっての満足感、次につながるもの(ある意味絶対的なもの)に重点を置くという考え。それで良いと納得していた時期もあるが、何か違う。沸き上がるような、燃えるようなそんな感覚がない。そして再度思考を重ね、相対的な勝ちを目指さないことは、自分が勝てなくなったことに対する逃げや言い訳ではないかと考えたこともある。

 

‐もう一度勝ちたい理由を考えてみる‐

 ではなぜ勝ちたいのか。今は、自分にとっての満足感に過ぎないのかもしれないと考えている。勝つことを本気で目指し、仲間ライバルと切磋琢磨し、その過程を味わいながら突き進む。そして、実際に勝てることが自分にとって一番楽しいことだからだと考えている。欲張りなことに、相対的な勝ち、絶対的な勝ちどちらとも目指したいと。

 

‐勝ちの価値‐

 皆さんは下記偶数番号と奇数番号どちらに価値を感じますか?

 ① ほとんど練習をしていないが、才能で勝つこと

 ② 想像を絶する練習を積み、元々の才能がなくとも努力でカバーして勝つこと

 

 ③ 勝つことにこだわりクラスを下げて勝つこと

 ④ 最難関クラスにこだわりそこで苦労を重ねて勝つこと

 

 ⑤ 競技歴は短い若い選手が怖いものなく無心で挑み勝利を手にする

 ⑥ 苦労を重ねた競技歴が長い選手が経験と工夫で勝利を手にする

 

 ⑦ 大金をはたいて戦力、環境を充実させて勝つ

 ⑧ 今いる戦力、環境の中で成長させて勝つ

 

 ⑨ ラフプレーやファウルを厭わず勝つ

 ⑩ 正々堂々と勝つ

 

また勝つことの比較ではないが下記はどうですか?

 

 ⑪ 多くの強豪選手が出場を回避した大会であり、自分のパフォーマンスはかなり低かったが、優勝することができた。

 ⑫ とてもハイレベルな大会で、とても難しいテラインであり、自分のパフォーマンスとしてはキャリアハイであったが、ぎりぎり入賞できる順位にとどまった。

 

 ⑬ 勝つためにスタイルを変えて勝つこと

 ⑭ 自分の信じるスタイルを貫き、そのスタイルの極みに近づくものの優勝を逃す

 

 今の私は全ての問いにおいて、どちらかと言うと偶数番号の方に価値を感じている。だからと言って奇数番号の考えを否定するわけではなく、そういう価値観もありだなと思っている。何よりも勝つことを優先するのも一つの価値観。努力が尊い、困難な勝ち、苦労して得た勝ちこそ勝ちでしょうと押し付けるつもりはない。どちらとも勝ちは勝ちという価値観だってある。オリエンテーリングと同じでベストルートは人によってそれぞれ。ラスポ~ゴールまでの区間で勝つことに執念を見せる。それも一つの価値観。

 一方、その時々に置かれている心境、境遇によって、勝ちの価値は変わってくるのではないかと思う。絶対的な自分の価値観といっても、結局は自分の体験、今の境遇から価値観を決めているのではないか。何か基準や比較がないと考えは生まれないのではないか。自分の価値観といってもその都度変わりうるもので、何かを基準にして勝ちの価値を決めているのではないかと思う。もし私がスポーツで勝つことで生計を立てているのであれば、何よりも勝つことを優先する選択をすると思う。それでも自分の価値観のもと決めたものを本稿では「絶対的」と言うこととしたい。

 

‐もう一度勝つことの意味を考える‐

 私にとって「勝つこと」は目標になり得ても目的ではなく手段だと思う。目的はゲームを楽しむこと、喜怒哀楽の感情を楽しむこと。成長を感じること。その上で、勝ちを目指して練習、レースに出場し、実際に勝てることが一番楽しいから。自分にとっては以下の方程式。

レースにおける満足感 =(相対的な順位+自分のレースの評価)× 準備に要した努力度

 勝ちの価値を信じ、勝ちを目指して、日々練習する。これは自分が現役学生オリエンティアだった時のスタイル。色々考えてきたけど、結局目指す姿、やりたいことは自分の原点にあるのかもしれない。そして、勝ちの価値がわからなくなったら、一度歩みを止めればいい。

 

レースを振り返る

 次に過去のレースを振り返ることで、勝ちの心境を探ってみたいと思う。

 

‐勝ったレースを振り返る‐

 選手権と名のつく大会で私が勝った経験は、下記のレースとなる。

 

  1. 日本オリエンテーリング学生選手権 クラシックの部(2003年度)※1
  2. 全日本スプリント大会(2012年度)
  3. 全日本ミドル大会(2014年度)

 

※1 現在のインカレロング。2003年度までは秋にインカレショート(現インカレミドル、当時は予選、決勝方式)を行い、春にインカレクラシック(現インカレロング)とリレー(当時は4人制)を行っていた。旧方式での最後のインカレが自分にとっても最後のインカレでした。

 

 ここでは、レースまでの軌跡、レースの詳細は割愛するが、振り返ると下記の共通点があったように思う。

 

・故障や不調期間を経た後のレースで、納得のいく練習が積めていた。

・練習が積めているため、オリエンテーリングが心底楽しい。

・自分のオリエンテーリングスタイルとテラインの相性が良い。

・レース直近~レース中においては、絶対に勝ちたい、勝てるという気持ちではない。勝ちを狙っていない。落ち着いた心境。

 

 練習を積むためのフィジカル、メンタル的な休養が十分取れており、そこから十分な練習が積めることで心技体が高いレベルで推移。十分な練習により自信がつき、レース(結果)に対する不安な気持ちがなかったということが功を奏したと思う。テラインとの相性については、裏を返せばきちんとテラインの特性を理解した上で、テラインに応じた対策を行うことが重要であると言えよう。(余談ですが、2017年3月のインカレでは、通常の山塊、森と異なるフラットなスピードテラインでした。走った感想としては、森で練習するよりも、公園でパークOの練習をする方が対策になっていたのではないかと感じました。)

 

 一方で、連続して勝つ(連覇をする)ということは経験がなく、そこにはまた違った次元の心技体のレベルが必要になることは間違いなく、連覇する選手のメンタル、準備面についてもいずれどこかの機会で聞いてみたいと思っている。

 

‐インカレクラシック インタビュー記事(寺垣内 航)‐

 続いて2人の選手のインカレに関するインタビューを紹介したいと思う。

 1人目は筆者。最後のインカレを終えた後に、松澤 俊行氏(※2)に受けた下記インタビュー記事を参照。

 

オリエンテーリングマガジン2004.06 松澤俊行著 『松澤俊行のオリエンテーリング道場「勝者の心得」』”

http://www.orienteering.com/magazine/2004/06/12_dojo.pdf

 

※2 松澤 俊行

大学4年時のインカレクラシックは2位。2000、2003、2011年度全日本チャンピオン。今年度5年ぶりにWOC日本代表に返り咲く。茶の間管理人。

 

‐インカレミドル インタビュー記事(今井 直樹)‐

 2人目は今井 直樹氏(※3)。インタビュアーは筆者。インタビュー日は投稿前日。

 

寺垣内:4年生最後の秋のインカレロングでは7位ということでしたが、その後どのような心境で春のインカレミドル、リレーを迎えましたか?

 

今井:インカレロングに向けて誰よりも体力面でのトレーニングをした自負があり、勝てる自身に満ち溢れていたので、インカレロングで7位は今まで何をやってきたのかと思うくらい辛い結果でした。

その後、競技に力の入らない期間がありましたが、ショートセレの運営で当時インカレロング入賞者の図情大の高橋や千葉大の小林のレースへの取り組みや練習方法を聞き、まだまだ自分にやれることがあることに気づかされ、インカレミドル、リレーまで今までやってこなかったような練習にも積極的にチャレンジしました。

インカレロングの時とは異なり、大会当日まで優勝できるという自信はなかったものの、心身ともに緊張感もなく自然にレースへ望めました。

 

寺垣内:レースでは1か所のミスが大きかったと思いますが、ミスの原因はどのような所にあったのでしょうか?(確か勝ちを意識したためだと記憶しています。)

 

今井:中間ラジコン前に2分前の東工大の小山に追いついて、想定よりも早く追いついたことで優勝を意識しすぎ、1レッグだけ集中力が切れた時に大きなミスをしました。

十数秒で優勝を逃したのに対してそのレッグだけで2分ミスしたというところは、4年生の最後でもいつもの大きいミスしたなと思います。

 

寺垣内:レース後の「誰よりも速く山を駆け抜けた」という言葉がとても印象的でしたが、その時の心境(本音)についてお聞かせください。

 

今井:半分負け惜しみです。ただ、インカレロングの時とは異なり、タイム・巡行速度は誰よりも早いという実感値と結果が伴い、やってきたことは間違っていなかったという点で充実感はありました。そういう意味で、自然に出た言葉です。

 

寺垣内:ずばり勝ちたかったですか?

 

今井:もちろん個人戦では優勝するために4年間を賭けていたので、優勝・勝ちたかったです。ただ、結果が全てではないと思いました。

 

寺垣内:(スポーツの勝負という意味では)負けたという事になろうかと思いますが、その経験はその後生かされたと思いますか?

 

今井:勝ちたいという反面、負けたからからこそ、その後僕は良い経験が待っていたと思います。インカレロングで優勝できず、これ以上練習しても上手くならないと思ったときでも、改めて現状を見直し目標に対しての道筋を考えて実行するというプロセス自体は、仕事や恋愛そのものでやっていることと同じで、間違いなく活かされていると思います。

また、視野も広がりました。リレー含め4年間思い描いていたことを、成し遂げられなかったことを後輩に託したいと思い、自ら監督として育成やマネジメントに携わりました。

指導した後輩の結果に、自分が競技しているように一喜一憂できるような経験をできたのも、インカレで優勝できなかったからこそ見えた世界です。

目標を達成できなかった時こそ、改めて自分を見直せ、新しい経験をできるチャンスだと思います。

 

寺垣内:(生かされていたとしても)やはり勝ちたかったですか?

 

今井:当時は勝ちたかったです。たらればで、インカレミドルで勝っていたら個人の競技に専念できる環境に身を置いて、今でもオリエンテーリングの一線で活躍していたかもしれません。

今はというと、インカレ競技生活や監督時代の経験が生きて、仕事や生活さらに趣味の広がりが出ているという点では、よかったかなと思います。結果は何であれ、インカレに向けてチャレンジできた大学生活は充実していてよかったです。

 

寺垣内:翌日のリレーに向けての気持ちの心境はいかがでしたか?

 

今井:リレーも優勝というのは、表向きは言っていましたが、現実的でないという部分は内心思っておりました。当日は、4年間やってきたことを出し切ることに専念しました。

表彰式を見るととても悔しい気持ちになりましたが、その時に後輩に全て託そうと決心しました。

 

 

※3 今井 直樹

筆者の2学年下の後輩で、ともに良くトレーニングに励んだ仲。大学4年時の成績はインカレロング7位、インカレミドル3位。ユニバーシアード2006日本代表。3000mのベストタイムは8分42秒。2016年に念願の起業を果たし、現在、アールイー株式会社代表取締役

 

 両者ともに最後のインカレまで個人での入賞経験はないことが共通点ですが、
一方は、最後の個人戦で実際に勝つことができ、一方は勝つことができなかった。
私もインカレリレーで勝つことを第一に考えていたことを踏まえると、
どうやら勝ちというものは意識し過ぎると逃げるものなのかもしれない。 

 

競技スポーツで勝つこと

 次に視点を変えて、オリエンテーリング以外のスポーツも含めて、競技スポーツ(以下スポーツ)での(順位的な)勝ちについて考えてみる。

 

‐ルールがある‐

 第一にどんなスポーツでもルールというものがある。ルールで勝ちを定義している。裏を返せば、ルールで勝ちが定義できないものは競技スポーツと言えないだろう。ケンカに勝ち負けはあるかもしれないが、ルールがないのでスポーツは言えない。

 ルールがあるということは、制約がある、管理されているということ。スポーツは一見すると思い切り自由に楽しんでいるというイメージもあるけど、あるルールの制約のもと、管理されて不自由さもあると言えるのではないか。

 

‐運不運の要素を極力排除し公平性を保つ‐

 第二に運不運の要素を極力排除して公平性を保つということが言えよう。一方で、天候や順番等に左右されるものもあり、不確定要素があるからこその楽しさもあると思う。

 オリエンテーリングの場合は、スタート順番、時間差、地図の精度の限界、自然相手のスポーツということで、スポーツの中では不確定要素が強い方なのかと思う。でもだからこそ、何が起こるかわからないところもあるため、オリエンテーリングは面白いのではないかと思う。

 

 上記2つから、スポーツにおいては、ある程度どのような能力が問われるのかが明確である必要があると言えよう。裏を返せばどのような能力が問われるのかがわからなければ、そのスポーツの勝ちの価値が関係者以外にはわからないということなのではないか。

 

団体競技の個人の評価とは‐

 団体競技になると勝ちの価値がより複雑になってくるように思う。団体としての勝ちの定義はあるが、団体の中の一人一人の選手の価値はどのように評価するのだろうか。プロ野球でMVP賞というものがある。最も活躍した選手に送る賞を何人かの審査者で選ぶというものだが、ポイント制でもなければ、基準が極めて明確というわけでもない。非常に難しい評価だと思う。

 私が小さい頃は、プロ野球では投手では先発投手、野手ではバッティング成績が評価されている時代であったように思う。(私のフィルターでそう見えただけかもしれませんが。)一方、最近では投手では中継ぎ投手、野手では守備、走塁ということがより評価される時代になってきたように感じる。かつては実際に球場に足を運ぶ以外は、一部のテレビ中継くらいでしか選手のプレーを見ることができず、新聞等で成績としての数字を見ることが大半だったことが背景にあるのではないかと思う。今はインターネットの発展により動画サイト等で実際の選手のプレーを見ることができ、守備、走塁の凄さが見えやすくなってきたのではないか。

 

つまり、外部環境、時代によってスポーツ選手の評価は変わってくるものなのだろう。

 

 さて再度質問。皆さんは下記①と②どちらを評価しますか?

 

 ① チームの勝ちは少ないが、個人成績では抜群の選手

 ② 目立つ成績がなくてもチームの勝ちに多大な貢献をしている選手

 

 一般的には、やはり成績(数字)の方がわかりやすい。でもそのスポーツを知っていれば知っているほど、裏事情を知っていれば知っているほど、②の選手の成績に出ない貢献度が評価できるようになる。私は走ることを始めてから、トラック競技やマラソン、駅伝選手の速さが実感としてわかるようになった。また実物の選手をリアルで見た時に、本当の凄さをさらに感じることができた。

 

オリエンテーリングと競技スポーツ‐

 オリエンテーリングがより競技スポーツとしての認知を深めたいのであれば(例えばオリンピック種目としたいのであれば)、運不運の要素をより排除すること、観戦者へのわかりやすさ(見えやすさ)が問われる。だからこそスプリント種目が始まったのだろう。

 私自身は正直、無理にオリエンテーリングを一般的に評価されるようにする必要もないとも思っているが、それでも国内でのオリエンテーリングがより競技に近づけば良いと思っている。そのためにはオリエンテーリングのルールを良く理解すること、競技における不確定要素を極力排除すること、問われる能力を理解する競技者が増えることが必要だと思う。

 

 

最後に

 今一度、皆さんにとっての勝ちとは何かを考えてみてはいかがでしょう。周りの仲間やアスリートが、どのような価値観を持って勝とうとしているのか聞いてみてはいかがでしょう。きっともっとオリエンテーリングが好きになれるのではないかと思います。

 本気で取り組んでいる選手の表情はどんなスポーツでも素晴らしいです。そしてその価値は自分で決めれば良いのではないかと思います。

 私自身、WOCという最高の舞台で自分が思い描く最高のレースができることを目指して、プロセスを踏んでいる最中です。自分自身が信じる勝利のために。今もなお勝ちの価値を探す道半ばです。

 最後に。こうして振り返ってみると、本当に多くの皆さまに支えられて競技生活を歩んできました。この場を借りて御礼申し上げます。また、本執筆に当たりご協力頂いた田中基成氏、松澤俊行氏、今井直樹氏に感謝します。そして、読者の皆さま、最後まで長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。それではごきげんよう