東北大大会開催まで
オリエンティア Advent Calendar 2023の16日目の記事を書かせていただくことになりました、東北大学の鷲津加子です。はじめまして。
企画者の方より声をかけていただいて、せっかくだし投稿してみよう!と思ったのですが、部内会報に数回短い記事を書いたことがあるレベルだったので何を書くか悩みました。お時間ある方はお付き合いください。
自己紹介とか
東北大学2020年度入学で、来年はそのまま大学院に進学予定です。オリエンは、フォレストよりもスプリントの方が好きですが、細かくて難しいテレイン・コースは苦手です。
ありきたりですが、趣味はランニングです。走るのが好きな点に関しては、部内トップ5には入ると自負しています。
※これより下は、自己紹介なのか走ることについてなのかよく分からなくなってしまいました※
走るのが好きとは言っても、平地◎、ロード◎、不整地×、登り下り×です。同じランニングでも「トレイル」ランが大好きなオリエンティアの皆さん、めちゃくちゃ尊敬です(泣)。毎度毎度、オリエン向いてないよな、といつも思いつつここまで来ました。ただ、なんの長所でも無いですが、距離を踏むのは得意で、たまに月300kmを超えることもあります。今年の7月後半から1か月ちょい、院試勉強期間ということで研究室の教授からお休みをいただいたので走りまくりました。明るい時間に何時間も走れたあの頃に戻りたいです。(結果、院試勉強が間に合わなくて直前に泣く羽目になりました。)
そんなわけでオリエン中のランには苦手意識があるのですが、しばらくオリエンをしないでロードばかり走っていると、不整地・藪・崖などのストレスも楽しい!ってなります。ロードランをいっぱいすることでオリエン中の律速要素が楽しく感じられて、逆にオリエンでストレスを感じることでロードランを更に楽しめる仕組みになっています笑
藪々ゴツゴツテレインで合宿day1に参加した翌日にハーフマラソンに出たら、爽快すぎて爽快でした。運よく入賞し(1:32:23、次は1:30:00切りたい!)、景品もいただけて嬉しかったです。その時のハーフマラソンが初ハーフ、かつそれ以降レースに出ていないのですが、自分の距離耐性的にハーフがベストな気がします。それより短いとスピードが無くてダメだし、フルマラソンまでいくと40kmも速いペースを保てないです。
ちょっと話は変わりますが、東北大の部室の近くには金博と呼ばれるトレイルコース(東北大生のstravaに必ずと言っていいほど登場)があり、このコースは往復でupが300mも稼げちゃう、オリエンティア的にはお得コースです。東北大OLCに入ると誰でも金博に魅了されるらしく、不整地&登りが苦手な私は肩身の狭い思いをしています。去年も今年も朝金博なるもの(平日朝に金博に行く)が開催されていました。以前、金博楽しい!って思い込んで週3~4で走ってみた期間があったのですが、効果なしでした。いつになってもただただしんどくて慣れません。そんなことを書いていたら、なんと明日は金博でタイムトライアルが行われるようです。信じられません!!(先ほど悪天候のため中止との連絡が来ました。)
しかし、最近、治山の森という一か所のえぐい登りを除けば比較的upが少ない5kmコースを教えてもらいました。めちゃくちゃ楽しいです。えぐい登りのところは歩くので問題ないです。 1つ難点があるとすれば、治山の森は金博の奥にあるので一度経由、もしくは別の道で上らないといけない点です。が、本当に楽しいので頑張る価値はあります。
最後に。
練習終わりに、坂ダッシュしよう!っていうと「は?」みたいな目で見てくるのに最終的にぞろぞろと集まってくる東北大生大好きです。あと、深夜1時出発で松島に日の出を見に走っていくという企画をしたときにも最終的に15人以上来てくれてびっくりしました。夜道を大集団が走っているのちょっと怖いですよね、通行人に二度見されました笑
大会運営の感想
ジャストタイミングで、昨日、東北大大会前日大会がOKアウォードにてベストコース賞をいただきました。投票してくださった皆様ありがとうございます(by 運営一同)。意図せず翌日のアドベントカレンダーの担当が私という偶然にも驚いています。これは書くしかないですね。
私たちの代(東北大2020年度入学)は、昨年「岩切」(フォレスト)にて第45回東北大大会、今年11月に「あづま総合運動公園」(スプリント)で第46回東北大大会前日大会の運営をしました。
本大会
昨年の大会運営は、とにかく調査が大変だった記憶しかないです。東北大大会は例年3年目の代が大会を運営するのですが、コロナの影響でオリエン歴は実質1年半で自分の調査に自信もないけどとりあえず往復3時間弱自転車を漕いで森に入っていました。一応マッパーだったので、大会が近くなると、午前から森に入って調査→18時過ぎに家に帰りその日の調査範囲をocadで反映→翌日午前からまた森に入る、、ということもありました。
調査は3時間を超えると集中力が切れて周りのガサガサっていう音に敏感になり、早く帰りたい...としか考えられなくなります。同期達のおかげで、どうにか大会開催までこぎ着けましたが、私はもう一生フォレストの調査はやらないぞ、と心に決めました。
前日大会
本大会ではなく前日大会、しかも参加者100人余りの大会だったので予想以上の反響で驚きです。コースは皆さんご覧になりましたか?コース解説だけでもとても面白いと思うのでぜひ目を通してみてください!少し裏話(?)をすると、別団体が利用していたエリア&駐車場で地図の真ん中がどーんと立禁になったため、どうやってもつなぎレッグになっちゃうね、と話していました。まさかそれを利用して超ロング勝負レッグを組んでしまうとは...コースプランナーさすが!!
上で述べたように昨年の本大会のフォレスト調査が本当にきつかったので、前日大会の準備が始まった時には、スプリントの調査ならいくらでもやってやるぞ、と正直ちょっぴり舐めて意気込んでいました。実際に準備が始まると、フォレストの大会運営とは違った難しさがあり、これまで出場してきたスプリント大会の運営に感謝の気持ちでいっぱいになりました。(この機会に...今年のインカレスプリント、自分自身はDISQという結果に終わりましたがとても楽しいコースでした!素晴らしい大会を用意してくださりありがとうございました!)
前日大会の運営をしてみて大変だったこと(競技責任者だったので、運営面というより競技面)がいくつかあったので、この機に共有したいと思います。
・時間的制約
・渉外
・公園の変化
・当日のハプニング
まず、時間的制約とは何のことかというと...。去年の調査は自転車移動でめちゃくちゃ大変でしたが、テレイン行き放題、調査し放題という利点はありました。それに対して、今年の前日大会はテレインが隣県に決まったので、仙台からレンタカーで調査や試走に行きました。予算的に全5回という限られた回数で調査と試走を終わらせなければならず、中々大変でした。
次に渉外について。優秀な渉外担当と、柔軟に対応してくださった公園のスタッフの方、その他ご協力いただいた関係者の方々のおかげで最終的に利用できる範囲はとても広がりました。ですが、フォレストに比べると、ここは入らないように注意しなきゃ、あそこは危ないからコースから外さなきゃ、一般の公園利用者もいるから動線を考えなきゃ、など大会直前まで渉外担当に沢山動いてもらうことになりました。本当に感謝!!
そして公園の変化、これがスプリント大会特有の難しさだと思います。まじか!ってなった出来事をいくつか紹介します。
1.結構時間をかけて修正した藪エリアが、大会の半月前に行ってみると伐採されてほぼA藪になっていた。
2.試走に行ったら、ポストを置く予定だった小さな藪が丸ごと伐採されていた。
3.工事範囲が度々変わったり、突然プレハブが建ったり。
最終試走の日にもコースを変更しなければならないことが決まり、かなりギリギリでした。それ以降も、どこか現地の様子が地図と変わるんじゃないかとずっとひやひやしていました。大会が無事開催されたのはやはり、これだけ広い公園にも関わらず親身に大会運営を支えて下さった公園のスタッフの方のおかげです。
当日に起こったハプニングも紹介します。やはり、前日入りできなかったのがきつかったですね。
1.強風により人工柵の杭が折れる、ポストも人特(目パンダ)も倒れる
一番に出てきた感想:あ、終わった。
結局、各ポイントに配置していたパトロールパートの人達を集めて、競技時間中ずっとオレンジネットを支えてもらい、どうにか乗り越えました。
2.開けるはずのゲートが中々開かない
試走段階では一度も開けていなかったゲートなのですが、鍵を開けてもらったのにいつまでも開かない!結局、鍵が錆びていたとかでスタート30分前にどうにか解決しました。
3.最終ポ確の段階で、コース内にロープを張り始める人を発見
別団体の方でしたが、渉外担当から話はしてあったので説明したらすぐに中断してくださいました。が、最終ポ確のタイミングがあと少し早かったら気づけなかったと思うとぞっとします。
私は前走を務める予定でしたが、当日朝にトラブル多発で残念ながら走ることはできませんでした。結構楽しみにしていたので、唯一の心残りです…
それはともかく、本当に多くの方のご協力があって、無事に大会を開催することができました。感謝でいっぱいです。
最後に、調査終わりに見たあづま総合運動公園の銀杏並木のライトアップの写真を載せて終わります。綺麗ですね、これを見たら調査の疲れも吹っ飛びました。そんな訳ありません。
終わりです。最後までお付き合いいただきありがとうございました!
社会人デビュー上達と静岡OLCの関係
12/15担当だった静岡OLCの横井です
登山で滑落事故 骨盤骨折
- はじめに
- 自己紹介とこれまで
- 岩手山での滑落事故
- 2か月の入院生活
- たくさんの奇跡
- 岩手山での事故と、中国の100kmレースでの事故
- その後の対策
- 世界選手権ミドル予選で30箇所蜂に刺された事故
- 事故後の同年10月、トレランでも九死に一生!?
- 最後に
はじめに
初めまして。
岩手大学オリエンテーリング部OG(2014年卒)で現在はじゃじゃじゃOCを名乗る盛合美誉です。この度、Advent Calendarの運営者さまからお声がけいただき、執筆させていただくことになりました。
内容は私が岩手山で滑落した話です。正直なところ思い出したくもない嫌な経験です。しかし、このような機会をいただけたことは、山岳スポーツを愛するみなさまに自分の経験が少しでも役に立つかもしれないと思い書くことを決めました。
乱文ですがご容赦ください。
自己紹介とこれまで
私は岩手大学でオリエンテーリングに出会い、タイムを競っているのに足の速さだけでは勝てない、競技の難しさに魅了され競技に打ち込みました。
社会人になり、競技から離れた時期もありましたが、大学時代からのライバルであった粂早穂と稲毛日菜子に山リハに誘われ、それをきっかけに再びオリエンテーリング熱に火が付きWOC2018 inラトビアを目指しました。私は岩手で競技に打ち込むことの難しさを感じており本気でやるのはWOC2018まで、と決めていましたが、個人戦のミドルでは頭部や腕など30箇所を蜂に刺され救急車で運ばれるという事故に見舞われました。途中棄権という結果になってしまい、このままでは終われないと思いました。
同年12月、香港で行われたアジア選手権で優勝することができ、翌年のWOC2019 inノルウェーの出場権を得ることができたので、またWOCを目指してトレーニングに打ち込みました。WOC2019ミドル予選では海外の個人戦の中で一番いい走りができ、決勝の結果はひどいものでしたが、私は予選での走りに満足したことと、もうトレーニングせず、好きなように山を駆け回ろう!という気持ちですっきりしていたので、帰国後はトレランと登山にはまっていきました。
そうして、登山も夏だけでなく冬の登山も覚え、いろんなルートに挑戦していくことになりました。
岩手山での滑落事故
私は2021年4月、残雪期の岩手山(2038m)で滑落し、ヘリで救助されました。
天候は雲ひとつない快晴、朝4時過ぎに登山口から登り始めました。装備はアイゼンとピッケルで、残雪期にしか登ることができないるルートに挑戦しました。
標高を上げるにつれて木がほとんど出てない一面雪となり、今から登る雪に覆われた岩手山を眺めて、楽しみな気持ちになりました。しかし、高度を上げていくと、だんだんそこにいるのがとても怖くなりました。障害物の全くないこの雪の斜面で転んで停止動作に失敗したら、1000mくらい止まることは不可能だと思いました。そのため、3点支持で絶対に転ばない、転んでもすぐにピッケルを指して止まろうと緊張しながら登りました。
そして、雪ゾーンを無事登り切り、その先は雪のないザレ場と岩になりました。雪がなくなっただけで、だいぶ気持ちは落ち着きました。それでも、足元はジャリジャリして斜度もそれなりにあるので滑りやすく、慎重に登っていきました。
そして、ここを登ればもう稜線、という1930m付近の崖まで来ました。地図を見ながら取付きやすそうな場所を探し、比較的安全に登れそうな場所を見つけ、そこから岩をよじ登りました。(イメージは岩手山鬼ヶ城コースの岩場をよじ登る感じの難易度に見えました)
私が先頭だったので、後の仲間に、落石があったら危ないので充分に間を開けてから登ってくるように言いました。そして、つかんだ岩が浮石ではないか、体重をかけれるか確認しながら少しずつ登りました。しかし、大丈夫と判断した岩を左手でつかみよじ登ろうと体重をかけた瞬間に、つかんだ岩の先っぽだけが、パキっと欠けました。感覚的には5センチくらいの出っ張りが欠けた感じです。雪解けで岩の表面が脆くなっていたのかもしれません。体が背中から真後ろにふわっと落ちて、真っ青な空と、岩を掴んだはずの自分の左手が見えました。あとは、あ、と叫ぶ仲間の声が聞こえました。
その瞬間は、ただ、死ぬんだな、と思いました。
その後背中に衝撃が走り、体はなす術なくバウンドしながらザレ場を10mくらい滑り落ち、うつ伏の体勢で停止しました。不思議なことに落ちた瞬間の痛みはありませんでした。息が詰まり、呼吸がうまくできませんでしたが、意識はずっとあり、生きてる、と思いました。
体の衝撃が柔らいできて、足を動かしてみようと少し力を入れてみると、大声で叫んでしまうほどの激痛が走りました。仲間が駆け寄ってきて、私をどうにか稜線まで運べないか試そうとしましたが、歩きづらいザレ場では二次災害になりかねませんし、何より激痛で絶対に無理だと思いました。自分のミスなので自分でなんとかしたかったですが、救助を呼ばざるを得ませんでした。
そして、事故のおよそ20-30分後くらいの9:00頃仲間が救助を呼び、1時間後にはヘリが来て、10:30頃救助されました。(ちなみに後から知ったのですが、救助を呼ぶ時は緯度と経度を伝えると捜索がスムーズだそうです。緯度経度は地図アプリなどで確認ができます。)
事故の原因としては、登れるだろうと思い、回り込むことなく崖をよじ登ったことです。今考えれば登山道になっていないルートだったので、岩が脆い可能性は充分にあったと思いますが、掴んだ岩が欠けるだなんて1mmも思っていませんでした。
2か月の入院生活
その後運ばれた病院では、骨盤骨折(3箇所)、親指関節の骨折と診断されました。搬送されたときはとにかく激痛で大声を上げながらベットに移されました。
以下はメモに残していた日記です。
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◆4月27日入院カテーテル生活に。下の世話は看護師さんに。
ベット間の移動の際、骨盤に激痛。声が出て顔が歪む。絶対安静の寝たきり。起こしていい体の角度は30度まで。おむつと◆4月29日
リハビリ開始。補助ありで理学療法士さんに膝を引く動きをしてもらう。 ◆4月30日
夜、咳の衝撃で骨盤が痛すぎて泣く。眠れない。つらい。
◆5月2日寝たまま頭だけシャンプーしてもらう。スッキリ。ヒップリフトの許可。楽しい。
◆5月3日ヒップリフト30秒×3セットを朝昼晩やることを決意。腕の筋トレも30回3セット。昨日は違和感があったけど、今日はヒップリフトがスムーズになった気がする。
◆5月4日親指の手術について説明を受ける。親指付け根の関節の少し上が折れており、粉砕も見られるそう。ピンで固定することを想定しているが、粉砕の度合いでプレートを入れる可能性がある。皮膚を切るので全身麻酔でやってくれるとのこと。こわああああ。完治までピンのみだと1〜2ヶ月、プレートだと半年くらいかかるそう。ピンだと良いなぁ。骨盤はズレていないのでとにかく安静にとのこと。 ◆5月5日 今日はまたシャンプーをしてもらいスッキリ!筋トレで二の腕が筋肉痛。 ◆5月6日
シャンプーしてもらう。寝たきりだと腸の動きが悪く、う〇ちが出ない。使わないよう粘ったが、坐薬を投入され3日分が一発で出た。
◆5月7日全身麻酔による手術の日。13:00に手術室へ。全身麻酔に耐えようと思ったけど、眠くなりますよ〜と言われてから水の中に沈んでいくような感覚に。看護師さんと何か話したと思ったらもう記憶なし。体感30分後に盛合さーん、と呼ばれ意識が戻った瞬間に手術をした右手が痛む。痛い!意識が朦朧としながら喉に入っていた管を抜かれて酸素マスクを装着。その日の夜にヨーグルトを食べれたけど、喉がイガイガして食べづらかった。ピンだけの手術となった。良かった。 ◆5月8日
楽しみにしていた朝ごはんがお粥でショックを受ける。右手はとても痛い。
◆5月9日右手の痛み、だいぶ良くなる。2週間ぶりのパン。喉がイガイガして咳が出る。でも骨盤には響くほど痛くはない。けど横になると咳が出るから苦しいのは苦しい。咳止め明日からは1日3回飲ませてもらうことにPCR検査。親指のリハビリをしてもらう。針金が入っててもリハビリできるんだ〜と思って驚いた。手の腫れはだいぶ引いてきたけど、手のひらはまだ腫れてる。明日から座るリハビリが始まる。ワクワクすっぞ! ◆5月11日 歩行機を使って立ち上がる。2週間ぶりに立ち、少しめまい。20mくらい歩けたが外科の先生方が無理させるな、とあわあわして、私も無理しないでと注意される。無理しないって、具体的にどんな行動が無理なのか分からん ◆5月12日車いすに乗る練習。体重をかけないように車いすに乗り移る。 ◆5月13日車いすでトイレの行き方を教わり、カテーテルを抜いてもらう。看護師さん付きでトイレに行けるようになる。 ◆5月15日 見守りなしでトイレに行けるようになる。歩行機で足踏みの練習などする。右足が上げづらい ◆5月16日 3週間ぶりの風呂でシャワー。気持ちええ。スクワットのような動きが容易にできるようになる。動かした部位は次の日もっと動かしやすくなっている感。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5月10日 咳止め飲んでも咳が止まらず、この後順調に回復したため、メモを残していませんでした。
2か月間入院し、3か月後には違和感があるものの軽いランができるまでに回復しました。
入院生活の最中、いろんな方からお見舞いの連絡をいただき元気づけられました。本当にありがとうございました。
また、叱咤のコメントもいただいたり、もう山に登るのはやめるよう言われたりもしました。心配をおかけし申し訳ありませんでした。
たくさんの奇跡
私は事故を起こしてしまったもののたくさんの奇跡が重なりました。
❶頭まであるザックを背負い、スノーシューをつけていたため、それがクッションになり、背中から落ちたにも関わらず、頭や背骨が守られた。(鞭打ちにすらならず)
❷斜度とザレ場のおかげでうまく滑り、落ちた時の衝撃が逃げた。
❸落ちた付近には大きい岩も点々とあったのに、岩の上ではなくザレ場に落ちた。
❹風はなく晴天だったので、ヘリがすぐに救助に来てくれた。
❺骨盤は骨折したが、折れた骨がズレていなかったので内臓破裂などの重症にならなかった。
これらの奇跡のおかげで、骨折した親指は元通り、骨盤も異常なくトレランやオリエンテーリングも何の問題もなくできます。ただこれらの幸運はほんとうにたまたまです。今思い起こしても生きていることが不思議なシチュエーションだったと思います。こうなっていたら、ああなっていたら、などと考えると本当に思い出したくない記憶です。
岩手山での事故と、中国の100kmレースでの事故
私が岩手山で滑落しヘリで救助された次の日、福岡からのソロ登山者が岩手山山頂付近で低体温症により動けなくなり、17:00ごろ自ら救助を呼ぶも悪天候と時間が遅かったこともありでヘリが出動できず、翌日遺体で発見されるという遭難事故がありました。
私だったかもしれない、と思いとてもつらい気持ちになりました。
また入院中、中国の甘粛省で開催された100kmのトレランレースで、急な悪天候によりトップ選手を含む21名が低体温症により命を落とすというニュースを見ました。運営側の責任なども言われたりしていましたが、命を落としてしまっては、だれの責任だろうが関係ありません。自分の命を守るのは自分なんだなと思いました。
この事故も自分が滑落事故を起こした直後だったので、他人事とは思えず大変ショックな事故でした。
その後の対策
私はオリエンテーリングや登山の他にも、トレラン、スノーボード、バックカントリーなどの山岳スポーツを楽しんでいます。それらを続けるためにもこのままではいかん、と思い退院後は以下のことをしました。
❶山岳保険加入
→未加入だった!
❷ココヘリ加入
→未加入だった!
❸山のリスクマネジメントや雪崩の本、山岳事故の記事を読む
→どこかで自分は事故らない他人事と考えていたため、これまで目を通すことがあまりなかった。実際には誰にでも事故は起きる、ということが分かった。
❹ホイッスルは口元らへんに必ず装備
→この滑落でスマホがぶっ壊れ、自分では外との連絡手段が絶たれてしまった。何かがあったときに居場所を知らせるツールが必要と感じた。
❺ツェルト購入、張り方練習
→ビバークすることになってしまった時の備え
❻生きて返ることが最大の目標、危険なことはしない
→臆病に山を楽しむようになった。
そんなの当たり前だろ、と思う方もいると思いますが、けがをする前の私にとっては恥ずかしながらそうではありませんでした。私のような人が同じ経験をすることがないよう、参考にしていただければ幸いです。
世界選手権ミドル予選で30箇所蜂に刺された事故
自己紹介でもすこし触れましたが、私はWOC2018のミドル予選で蜂に体中30箇所を刺される事故に遭いました。
経緯としては、前を走るランナーが地バチの蜂の巣を踏み抜いたようで、地面から煙のように蜂が沸き上がっていました(まるで熊のプーさんの蜂みたいでした)。そこに私が通りがかり、虫が湧いているな、と認識した時には蜂に襲われていました。約10~20m先には、私の目指すポストが見えていました。
蜂は一度刺すとその臭いを追ってほかの蜂も刺しに来るそうで、私は一度競技を続行しようと試みましたが、ポストに近づこうとして再び蜂に襲われてしまいました。結果、頭部や、黒い衣類を付けていた腕を中心に30箇所刺されました。
悲鳴を上げ頭にくっついてくる蜂を搔きむしりながら、逃げ回り、異変に気が付いたメディアのイケメンカメラマンに助け出されました。そして、救急車を呼んでもらい、私と私のGPSは時速100kmでマップアウト。病院に運ばれました。
驚いたのは、ルート上でしかもポストの近くに蜂が大量に湧いていたのに、競技中に襲われたのが私だけだったということです。黒い髪と黒いアームカバー、ソックスを身に着けていたからだと思います。同じ黒髪のアジア勢もいましたが、衣類は黒ではなかったので襲われなかったんでしょうか。。。謎です。
この経験から、夏は黒いウェアは怖くて身に着けるのをやめました。
トリムが黒い方は本当に注意が必要です。
他人事ではありません。その時は突然やってきます。
事故後の同年10月、トレランでも九死に一生!?
私はこれまで、蜂に襲われ、滑落で骨盤を骨折し、次に来る不幸は熊に違いない!と思い、熊の対策をいろいろと調べたり勉強をしました。そして、熊を見つけてしまったら背中を向けずにゆっくり下がる、最悪持ち物を放棄して気をそらす、大声を出さない、などと出会ってしまった時をイメージして過ごしていました。
そして、滑落した同年の10月、栗駒山に紅葉トレランに行きました。小さいトレランザックには熊スプレー、熊鈴ももちろん携帯し、早朝の登山道を走っていました。風が少しあり、つづら折りで、両脇の藪が高い場所でした。つづら折りを曲がった瞬間、目の前に熊がこちらを向いて座っていたのです!手を伸ばせば届く距離です!
あまりにも近い位置に急に熊が現れたことに驚き、気が付いたら
ぎゃあああああああああああああああああああああ
と大声を出して後ろをついてきた仲間に背中ごとぶつかりました。
熊も突然のことで驚いたのか、くるりと向きを変えて藪のある斜面を下の方に逃げていきました。ほんの2~3秒の出来事でしたが、訳が分からず数分間動けませんでした。せっかく準備した熊スプレーは出す暇なんてありませんでした。滑落に続き、今度は熊に襲われるところだったと思い、本当に最悪な気分でした。
その後の対策としては、見通しが悪いところでは鈴だけではなく笛を吹いたり、手を叩いて大きな音を出すようになりました。ただ、昨今のニュースでは、人を怖がらない熊が多くなっているということなので、もはや何を対策していいか分かりません。
とにかくここでも思ったことは、事故は誰にでも起こる、と再認識しました。
最後に
私の事故の経験を書くことは、恥をさらすことではないか、自分の不注意を不快に思う人もいるのでは、責められたられたらいやだな、など色々な嫌な感情があり、ずっと何かに残すことをためらっていました。ですが、読んでいただいた方には、自身の山との向き合い方やリスクを今一度考えていただき、山岳スポーツを楽しんでいただければ幸いです。
いろんなスタイルがありますし、あれもこれもこうしなければいけない!!!と説教臭く言うつもりはありません。
正解はないと思うので、スタイルに合わせて備えをしつつ末永く山を楽しみましょう!
これまで色々な事故に遭ってきましたが、家族をはじめたくさんの方に支えてもらいました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました!
以上、滑落事故の経験談でした。
ご清覧ありがとうございました。