オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

~あなたは一年間戦い続けられますか??~東京大学というチームで選手権リレーを「2度」走るということ。

Orienteering advent calendar 2019 12/5

 

 こんにちは、東京大学OB1年目、入間市OLC所属の佐藤遼平と申します。東海高校オリエンテーリングを始め、現在キャリア7年目となります。個人としては、今年度は全日本大会M21E 10位で、他の実績は中日東海ブロックの選手権者になりました。オリエンテーリング界においては、そこまで目立たぬ中堅選手といったところの自分が何を書こうかと思ったときに思いついたのは、東京大学「2度」「選手権リレー」を走ったことについてでした。以下、章立てしつつ、お話していきたいと思います。

 

 「おおげさだよ~」とか「うちの大学だってそうだよ」とか少し皆様に失礼な内容となる部分もあるかもしれませんが、許していただけると幸いです。画像使用や個人名について、問題等ございましたらコメント等でご連絡ください。即時削除いたします。

 

 余計な一文を付け加えますと、今年学生としてのオリエンテーリングを終えて以降、一レース一レースが楽しくてしょうがない。逆に去年楽しくなかった理由が以下の文章に詰まっています。

 

 目次

Chapter 1 なぜこの内容で?

Chapter 2 一回目走るまで、そして1回目

Chapter 3 東大選手権リレーには「歴史」がある。

Chapter 4 二回目走るまでの一年間。

Chapter 5 憧れを実現するということ。

Chapter 6 二回目を走ったあの日のこと、そして。

 

Chapter 1 なぜこの内容で?

 

 選手権リレー。日本学生オリエンテーリング選手権大会リレー競技部門の通称。各大学だせるチームは1チーム3人のみの戦いで、日本で最も速い大学を決める戦い。毎年3月に行われ、このレースで4年生は引退となります。

 

 東京大学。41回のインカレリレーの歴史において最多の16回の優勝、41回中37度の入賞。ここ10年で8度の優勝を誇る絶対王者です。毎年選手層の厚さが自慢であり、インカレの個人戦の入賞者が選手権リレーを走れないということもザラです。優勝を逃し2位になることは完全なる敗北を意味します。

 

そのようなチームで私は2度走り、2度優勝しました!…自慢ですか?はいそうです。でも、この記事を書こうと思った理由は違います。

 これまでの東大の選手権リレーを複数回走った選手、ほぼ全員がインカレの個人戦優勝or準優勝を経験している中で、私の最高順位は5位。私は東大インカレリレー複数回出走者の中の底辺です。他の複数回出走者 (Y城選手、S保選手、F井選手、T市選手など) の2回目がほぼ年度初めから選手権リレーのメンバー当確であった中で、私が確実にメンバー入りであった瞬間は2年間ほぼありませんでした。

この2年間と同様の経験を知る人間は存在しえないだろうと思い、記事にさせていただいた次第です。このチームで走ることの難しさ、そのうえで勝つことの難しさを通じて、選手権リレーの魅力を少しでも感じていただけたらと思います。

 

Chapter 2 一回目走るまで、そして一回目の選手権リレー

 

 私がなぜ選手権リレーを目指したか。1年生の時に見た先輩たちが優勝する姿がかっこよかったからです。他の大学を圧倒し優勝するその雄姿にあこがれを抱きました。100人の大応援を受ける経験にもあこがれを持ちました。その後、良い競技環境のおかげで成長し、2年生で選手権リレーで補欠となりました。しかしこのインカレリレー2016、東京大学は金沢大学に敗北を喫します。あの瞬間は絶対に忘れません。名大と金大が最終コントロールに現れた現実が受け入れられず呆然と立ち尽くす、あるいは崩れ落ちる先輩、同期たち。自分もまたその一人であり、東大の選手権リレーは東大3走がゴールした瞬間ではなく、1位がゴールした瞬間に終わるという現実をはじめて学びました。

 これを機に本気で選手権リレーを目指すこととなるのですが、この1年については、他の大学の選手権リレーを目指す選手などと別段変わることのない、選手権リレーへのあこがれを持ち、一レースに全力で臨み、速くなっていくことが楽しかった一年でした。

 そして選手権リレーに選ばれ、1走としてM尾選手、T市選手という学生を代表する2選手と共に走ることとなります。

結果のリンク→https://mulka2.com/lapcenter/lapcombat2/relay-result-list.jsp?event=4452&file=3&relayClass=0

 私は体調不良をおして出場したこともあり1位と13秒差の4位で2走松尾選手にバトンをつなぎます。その後、2, 3走のWエースが盤石の走りで誰もを心配させない走り。見事優勝を手にしました。当日は喜びに包まれ、もみくしゃにされ、至高の瞬間を手にすることができました。

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ウイニングランの様子

 と、ここまでは良かったのですが、一日たつと人はいろいろなことを考え始めます。緊張はあったものの、後ろのエースに信頼を置いて自分は戦うべき重圧 (後述) と戦っていたか?4位でつないだ自分は東大の選手としてふさわしい成績であったか?自分は今回の走りを自分に、後輩たちに誇れるか?

 ここから得た回答は、単純でありながら、とても残酷な答えです。3年生の自分にはもう一度がある。だから

必ず選手権リレーをもう一度走り、自分の力で東大を優勝させなければならない。

 

 義務ではないのですが、これをこなさない限り自分は気持ちよく引退することができない、ということがこの舞台で走ったからこそ自分で理解できました。

 そしてこの決意は私の4年生の一年間をひどく苦しいものとさせたのです。

 

Chapter 3 東大選手権リレーには「歴史」がある。

 

 少々閑話休題。他の大学の隆盛衰退の変化が激しいこの界隈において先述の通り、37/41回で東大は入賞。第一回インカレで6位入賞の安藤さん (OLK0期)を擁し団体戦6位 (当時は個人戦団体戦は同レース)からその歴史は始まり、第二回インカレでは入賞を逃すものの (なんとこのときの補欠は山川克則さん)、以後失格以外で入賞を逃すのは第27回 (9位) のみ。当然数多くの名選手を輩出し、地域クラブで今も競技を続ける名選手も多いです。

 今でもインカレではOBの皆さまが結果に注目し、ときに結果が芳しくないと、OBから激励も込めた喝が入ります。身が引き締まる思いもありつつ、注目してくださるOBの皆様には感謝しかありません。

小話① 天国と地獄の祝勝会

 さて、選手権リレーで優勝すると、OB主催の祝勝会が開かれます。Y城さんやH田さんなど若手OBから、0期安藤さんまで幅広いOBの皆さんが祝ってくださいます。とにかく皆さん現役の時の成績もすごい。「俺はあのインカレで勝ってる」みたいな話もポンポン出てきます。競技以外の話のスケールもすごい。「(東大OLKで) 飲んでやらかして新聞に写真が載った」みたなバカ話から、「官僚としてテレインの開発を阻止した」みたいなとんでもない話も出てきます。OBの皆さまの卒業後の活躍にも驚かされます。しかしその日の優勝した当事者たち。話どころではありません。その様子は以下の通りです。

 (2017年度) 5人前はありそうな刺し盛りがでてきた。みんなで食べるものだと思い机の真ん中におくと「それは君の分だよ」と言われる。一人で大皿を平らげていると「どれがおいしかった?」と聞かれ「ウニとかマグロがよかったです!」「じゃあ追加で数人前注文しよう。」...「もうおなかいっぱい...」「いやまだ若いんだから...」

 (2018年度) 熟成肉焼肉店。店頭には人生で3回ぐらいしか見たことのない霜降りの肉塊がある...。霜降り肉のフルコースが終わって満足していたらなぜか締めのご飯のあとにお肉盛り合わせが4回ぐらい出てくる。最初は高級肉にはしゃいでいた一同、沈黙。N田見キャプテン「フォアグラになる...フォアグラ...」佐藤「できるだけ脂の少ない部位...」T市「もう残り全部お前が食えよ..」。

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まだこのころはふざける余裕があった。

 
 人生で最も苦しいレベルのフードファイトをなぜか高級な食材と調理で楽しむことができます。もったいない。ともあれこれも目標の一つとして、この幸せな食事会のために、OBの皆さまが一堂に会する機会を作るために、現役生は今日も戦っています。

小話② もこたん

 東大で選手権リレーを走るということ。私はかなり名誉なことだと思っています。その象徴である一つが東大を象徴する紺碧一色に染まったベンチコート、通称もこたんです。毎年受け継がれ、選手権リレーを走る人が、当日のみ袖に手を通す大切なコート。糸はほつれ3つのうちひとつには大穴が空き、背中の東京大学の文字はもう読むのも一苦労なほどのボロボロさが逆に歴史を感じさせます。このコートが何十年にもわたって選手の汗と涙を吸い続けてきたのでしょう。もこたんと呼ばれているのは単にもこもこだからなのか深い理由があるのか。

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このベンチコート、よく見るとボロボロである

 

小話③ 「インカレを振り返ろう」という冊子

 東大選手権リレー40年の歴史。これが詰まっている冊子がOLKにはあります。第一回から欠かさずすべてのインカレの結果と、当日の様子やそこに至る背景が鮮明に描かれています。180ページ×2冊。

 この中には、東大が優勝から長く離れた苦悩の時期の苦しい結果とその胸中。勝ちが確信されていた年のまさかのレース展開の詳細。メンバー選びが激戦となった年の選考の難しさ。

 文章を読むだけでも心にくるものがあり、東大選手権リレーにかけられているものの大きさとその歴史を感じ取ることができます。気になる人がいたらこっそり貸してあげましょう(笑)。

 

Chapter 4 二回目走るまでの一年間。

 選手権リレーで自分が東大を優勝させるために臨んだ一年は、それまでの競技を楽しんできた一年とは全く別のものでした。そこにあったのは「大学を代表する3人にいつづけること」「重圧と上手に付き合うこと」「他大学の選手と戦うこと」など様々な困難でした。がむしゃらに速くなることを求めればよかった、上だけを見ていたそれまで3年とは違うものでした。

 

①チーム内の位置が気になりすぎる一年

 突然ですが皆さん、自分が学生として、4月に開かれた練習会、ほどほどのレースで大学内2位でした。何を思うでしょうか。「上の奴を抜くために一年頑張ろう!」「ここが課題だなあ」「次のレースの目標は~にしよう」といったところでしょうか。

 しかし私の思考経路はもうすでにおかしくなっていました。「よし、選手権リレー圏内だ。」「でもチームを勝たせるエースになるには1位のT市を倒さなきゃ。」誇張でもなく、こんなことばかりを考えていました。ほどほどのレースをできたときはまだしも、レースを崩したときは、「こんなでは選手権リレーを走れなくなってしまう」というような思考が冷静な反省やたかが1レースだからといった開き直りを阻害します。練習会の1レースでさえも、結果が絶対に求められるようになってくる。ミスをすると冷静さを保てない。

 この中で、当然オリエンを楽しむ余裕は失われていきます。この一年で自分が楽しいと思えたレースは、2レースぐらい。ただひたすらどのレースも順位に支配されて辛い思いをし続けた。楽しい遠征でも、最後のレースが芳しくないと帰りの移動中ずっと落ち込むこともザラでした。

 

②そしてスランプへ

 まだ調子のよかった春は良かった。夏、私は強烈なスランプに陥ります。熱中症を繰り返したことにより発汗コントロールが効かなくなり1~2㎞走ると体が動かなくなってしまう症状に悩まされ続けました。

 否応なしに日々は過ぎていく中で、私がどうしても気になってしまうのは、他の部員の中での私の位置。後輩のO橋や同期のT垣が好調だったこの時期、夏の部内杯で7位となったころから、自分の相対的な評価が落ちていく現実にはあらがう手段もありませんでした。この状況は選挙でメンバーが決まる東大において致命的なことなのです。春は自分が東大の1位になれるかに固執していましたが、この時期は常に3位以内にいるのかを気にするしょうもない人間へと変わります。余裕は全くなく、常にO橋やT垣に勝る部分を探してもがきつづけました。そんなことに意味はないのに。

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この頃周りの人はこんなこと考えていると信じ切っていた、病んでいる

 

③秋以降増える不安と見えた希望

 偶然ギリギリで涼しくなり体調不良より復活したインカレロングで個人戦最高順位の5位をとりますが、東大内4位でもあり...。この時期から無意識のうちに「無理のある」スピードを求め再びのスランプに陥ります。

 秋以降気になってくるのは優勝のために不可欠な、ほかの大学の選手を倒すということ。前年度の結果からも、東北大、慶應、横浜国立、京都など多くのチームに対して完全に勝っているとは言い切れません。ましてや絶対的チーム、東大史上最強 と呼ばれた2012年ですら敗北してしまうという何とも言えない怖さが選手権リレーにはあります。そのためこの時期以降、明らかにほかの大学の選手より勝っているという確信が欲しくて仕方がなかった。強豪選手に敗れても、そういうこともあるとは捉えられず、インカレに直結して考えてしまう。ましてはスランプ気味で、名も知らぬ学生に負けるもんだから余計に焦りは加速します。当然東大内の争いもめっちゃ気になる。すると更に突っ込んだスピードでレースに入ってはミスをする。まさに悪循環でした。

 もう一つ。この時期ぐらいからはOBさんから選手権リレーを意識したような声掛けが入ることもあります。ありがたいことなのですが、自分のことしか考える余裕のないこのころの私には「今度こそ4連覇を」「今年は4年生の佐藤がエースとして...」などの言葉は余りにも重荷でした。

 転機が訪れます。久しぶりに入賞したKOLC大会の次の日の早大OC大会。前日の入賞のおかげの余裕と、少し足を痛めていたこともあり、「9割の力」でのレースを意識してレースに臨みました。するとどうでしょう、目の前の景色がすっと地図に落ちていく感覚が得られます。ゆっくりやったつもりなのに結果は2位。ここで私は自分が最近のレースでつっこみすぎていた事実に気づき、「自分のレース」をすることの大切さを思い出すことができました。このレース以降すべてのレースで自分のテーマは「自分のペースで」ということになります。様々な環境に周りが見えなくなっていた自分に大切だったのは、「結果はレースが終わって出るものであり、レース前からその日のレースの順位にプレッシャーを感じるものではない」「自分のよいレースをすることと、順位をとりにいくことは別」という当然の事実でした。心がぐっと楽になりました。

 そしてその年の年末の東北大合宿のファシュタでは、各大学のエース級と五分以上で戦い前に出ることができました。このたった1レースから得た自信は、春インカレまで自分を支え続けることとなります。

 

④そして冬を迎える

 選手権リレーの3番手付近の実力で冬を迎えるというのは恐怖です。10名を超えるロングエリートを擁し、2年生以下の成長が著しい時期でもあり。少し気を抜くと、その日好調な誰かというのは常にだれかいるのでその人に負けかねません。4人や5人で3つの席を争っているのではないのです。

 しかし、秋~冬で得た自信はここで大きな支えとして発揮されます。筑波大大会や山リハでの好成績は、この得た自信なしではなかったことでしょう。

 今後の選手権リレーにもかかわってくるので選考方法については語れませんが、この選考を私は危なげなく通過します。私に選手としての自信があったことが、選考通過するのに最も大事であったことだと考えています。前年の3月に目指した東大を勝たせることのできる選手に、紆余曲折を経つつもなることができました。

 これまで複数回選手権リレーを走ってきた選手には皆、インカレが近づく前から備わっていたものであったのではないかと思います。それだけの実績があったとも言えますが…。実績がないながらに、東大を勝たせる自信のある選手になれた→選手権リレーの選手になれたということだと思うのです。

 そしてともに選考を通過したT市選手、T垣選手と共に当日を迎えます。

 

Chapter 5 憧れを現実にするということ。

 

 また少し話がそれます。東大のセレクション。当然エリートレベルの実力をもった十数人で競い合って最後に残った3人。そんな捉え方もできますし、実際そういう部分もあります。その十数人のほとんどがインカレ個人戦入賞の可能性は全然ある選手ばかりでした。

 でも実は「自分が走って優勝することのイメージは全く持てなかった」「「選手権リレーを走りたいと思ったことは一度もなかった」なんて言葉が出てくることがよくあります。これ、同じ年度のインカレロングで6位と7位になった人たちの言葉です (勝手に使ってごめんなさい)。そのレベルの人たちから選手権リレーのせの字も出てこないときもあります。

 多くの選手が一年生のころ先輩たちを見てあこがれた姿でありながら、そのあこがれと自分を埋められるほどに打ち込める人、はこのスポーツにおいてはまだまだ少数であるのかもしれないですね。

 

 実際に選手権リレーに向けて動くチームという意味でも、チームのメンバーは東大の選手みんなでありながら、直接的にかかわる人間は少数であり、この人数が多い年ほど強い年でもあると言われています。東大において選手権リレーの舞台は特別である、という事実に今回さまざまな資料を漁り、見て改めて気づきました。

 

 それがどうであれ、選手権リレーの結果は東大を、それどころか東大OLK全体のそのインカレの雰囲気を支配します。これもまたほかの大学とは違うところです。その結果にだれもが歓喜し、ときに絶望します。当然他の個人、他の東大OLK所属大学の活躍にも一喜一憂しつつも、良くも悪くも春インカレの中心はそこにあります。OLKのたくさんの人たちが1年間サポートし続けてくださいます。

 それなのに3人が団体の年度終わりの雰囲気の多くを決めてしまう怖さと、だからこそ得られる憧れがその舞台にはあって、だからこそみんなを喜ばせ歓喜の輪の中心となれる舞台として、私は選手権リレーを走りたかったんです。

 

Chapter 6 二回目を走ったあの日のこと、そして。

 

 前日のインカレミドルにはもはやあまり力は入りませんでした(3月のインカレはミドル競技とリレー競技)。リレーへの気持ちが大きすぎたんだと思います。重圧、責任を感じつつも、当日リレーに対して緊張はあまりしませんでした。一年間感じ続けたプレッシャーのおかげで、大きく大舞台への耐性がついたように感じます。

 当日のレースのこと。今思い出すよりもずっと鮮明な、インカレ直後に書いた会内報の文章を引用します。(一部改変)ちょっと長いので読み飛ばしてもらっても大丈夫です。

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 スタート枠入り。OLK もっと盛り上げていけ!(オフィシャルの)K島さんがニヤニヤしてない。 大丈夫だって。右のほうの早稲田のO石の動きがうざかったから下を向いた。去年地図を開けるのに苦戦したからテープに指をかけておく。 1 分前。静寂が今年は気持ちいい。スタート!去年と同じペースで飛び出したら前に出たのでペースを抑える。スタートフラッグまで登り。スローペースで入りたかったからわざと先頭で歩く。誰も無理に抜いてこない、よしよし。R6 をしっかり捉えて乗る。ジョグペースだがみんな R6 に乗れてないので前に出る。1ポ先頭。ちょっと予定外。2 ポはパターン差でO石ともう一人誰かが前。コンタリングみんな遅すぎてイライラするのはよくないと思って前に出る。3 ポ。R2までコンパス振ってラフに下ればいいレッグ。加速したら誰もついてこない。落ち着いて、自分を信じて。人を気にしてもしょうがないので中盤まで丁寧に。足音やガサガサ音も聞こえない、一人ぼっちのレース。中間ラジコン。ここから難しそうだ。長い直進レッグ。CP まで完璧。あとはアタックだけ。コンパスを振りなおす。ここで振るのを失敗。なんかミドルスタート待機所っぽいエリア。リロケしろリロケ!

 こういうときいつもは焦って走り回っちゃうんだけど、不思議と落ち着いていて、ゆっくり丁寧に拾えるものを探して 亀裂を見つけてリロケ。体感 3分弱ミス。さすがに誰かに抜かれただろうがまだ立て直しは効く。(実際は抜かれてなかった)序盤京都が出遅れたのもでかい。2 レッグ続けてアタックを決めて、次はちょっと外したけど冷静にリロケしてミスは最小限に。2 本目の勝負レ ッグが来る。この日はまっすぐでいけると思った。藪を切って視界が開ける。誰もいない。見えないほど前に誰かがいるとは不思議と思わなかった。俺が1位 だ。14 のアタックで 30 秒ミス。高難度レッグだし必要経費だ。体力は残ってるしここからだ!と思ったら膝を打撲する。痛い。俺のレースこんなんばっかかよ。後ろを見るが誰も見えない。なら大丈夫だ。俺の仕事は一番前で渡すことだ。

 スペクテーターズレーン、雪がすごい。視界が広がると応援するみんなの姿。みんなの声で1位を確信、少し膝の痛みが引く。最後の登り、思い出したのは裏本郷トレ、あの登り、これまで一年間辛すぎたよな、でもこのためだったのかな?とか考えてたら膝の痛み復活。最後の直線は、T垣に何伝えるか考えてたり膝痛かったりでめっちゃ遅かった。「難しいよ!」って叫んでチェンジオーバー。1位、これは勝ったな。

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 今思い出しても、気持ちよくて仕方ないレースでした。この気持ちはインカレ報告書に最も現れています。

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ICMR2018報告書より抜粋

 最後になりますが、私は一生、あの森を抜けてみた景色を忘れることはないと思います。

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,会場では3月にしては強い雪が舞っていました。

 

 

結果へのリンク→https://mulka2.com/lapcenter/lapcombat2/relay-result-list.jsp?event=5128&file=3&relayClass=0

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 いかがでしたでしょうか。東大の選手権リレーのことを客観的に伝えるつもりが、団塊世代が退職後に書いた自叙伝みたいになってしまいました。これが老いというものなのでしょうか笑。思っていたものと違っていましたら申し訳ございません。

 

  とにかく、一度走るともう二度と引退まで離れることのできない選手権リレー舞台は一年間私を大いに苦しめました。選手権リレーにはいろいろな要素があります。部内での戦い、他の大学の選手との争い、名選手たちが残してきた歴史との戦い、その重圧の中での自分との戦い。でもその戦いの中でもまれることは大きな成長へとつながり、決して無駄なんかじゃなかったとわかる日につながります。そう断言できます。そしてこのレースは私の大学四年間、ひいては人生において、あまりにも特別なものでした。

 

 さて、また今年度、矢板の舞台にてインカレリレーは毎年のように開催されます。(http://www.orienteering.com/~icmr2019/)選手たちの戦いは既に始まっていて、その戦いは段々と私たちの目に入ってくる段階に来ています。

 

 この駄文を読んで興味を持った方はぜひ、当日現地で選手たちの一年の戦いの成果を目撃してほしいです。プレッシャーと戦いぬいてきた紺碧の映える東大の選手たちと、その歴史を崩そうと努力してきたライバル校たちの戦いに、今年も注目しましょう。

 

 最後にこれまでの戦いの歴史へのリンクを載せて、選手権リレーを走りたいと思った人、学生の戦いに興味を持ってくれた人が増えたことを祈って、締めとさせていただきます。どうか選手の皆さん、今年も一年の努力の乗った、「自分なりのベストレース」、見せてください。

 

ICR2016 

www.youtube.com

ICR2017 

www.youtube.com

ICR2018  

www.youtube.com