オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

ランチェスタ戦略とオリエンテーリング

                                鹿島田 浩二

「初めまして」

の人が多いと思う。競技を始めたのは83年、大学の卒業は93年。それに最後に競技的に走ったのは2015年の全日本、そろそろ2年半くらいオリエンテーリングからご無沙汰してる。中学の頃から競技に目覚めて以来かれこれ30年以上走り続け、10年ほどはJOAで強化委員会活動もしていたが、一身上の都合もあり2年前から殆どオリエンテーリングに携わってない。そろそろオリエンティアと呼ばれるのも気が引けてくるのだが、長い人生ではそんな時期もあると思う。30年以上続けてきたオリエンテーリングという競技は自分にとってライフワークだし、落ち着いて機会が訪れたらまた楽しみたいと思う。

 

 話はがらりと変わるが、古いオリエンティアなので、少し日本のオリエンテーリングの歴史を振り返ってみたい。

 様々な見方はできるものの、競技人口という側面から見るとオリエンテーリングの歴史は3つの局面を持つ。①黎明期から80年代までの隆盛期、②その後の00年代までのゆるやかな長期的衰退、③そして00年代以降のゆるやかな回復だ。もちろん1999年のPWT(パークワールドツアー)開催から2005年の世界選手権開催までは国際大会が連続した時期がある。しかしその一時的な盛り上がりを除けば、オリエンテーリングという競技は比較的緩やかな変化を見せているのが特長ではないかと感じている。

 例えば同じアウトドア競技をみてみると、トレイルランニングはわずか20年かからずにオリエンテーリングと変わらない規模のスポーツから20万人の愛好者を得た。クライミングのジムは5年で3倍に増えているという。一方ウインタースポーツの華であったスキー人口は90年代と比べて3分の1に減ったともいわれる。

 その中で、規模小さいけれどオリエンテーリングは相対的に安定した人口を保っている。何故だろうか。裏を返せば爆発的なヒットもしていない。世の流れに比較左右されることなく競技の歴史を刻んでいる。

 とても感覚的だが長くオリエンテーリングに携わると、時の流れが止まったような感覚を味わうことがある。今の若い学生も30年前の学生も本質的な雰囲気や特長は変わらないし、見た目も親近感の沸く子が多い。世の目まぐるしい変化に比べるとゆったり時間が流れてるような錯角に陥るのだ。それが良さなのか、それとも抱える課題なのだろうか。

 

オリエンテーリングをどうプロモーションするか?」

 おそらくこの議論は、多くの大学新歓の最前線から、JOA内部に至るまで幾度となく繰り返されてきた永遠のテーマだと思う。大会の参加者数を増やすには?世界に通用する選手を生むには?企業スポンサーをもっと集めるには?? 私も、オリエンテーリングに関わってきた人生の中で、長い間、かなりの時間、脳の知恵を絞ってきたテーマである。

 明確な回答はない。一つの意見が出れば、弁証法のように批評、対案が出て意見は収束しない。しかし、いろいろな可能性について考えてみることはできる。そしてオリエンテーリングから少し離れると、今までと違う方向からこのスポーツを見ることもできる。ここ1,2年そのように感じている。そこで、ここではオリエンテーリングのマーケッティングについて、少し考察してみたい。

 

ランチェスタ戦略

 話はそれるが、有名な経済学の古典で、「ランチェスタ戦略」といとわれる理論がある。もともと戦争の理論で、自軍と相手軍の相対的な兵力の比率によって、最適となる戦略を変えるべし、と示した理論である。

 つまりこうだ。もし自軍の数が敵よりも圧倒的に多ければ、自軍は「強者」の戦略をとるべし。全方位戦略である。敵が攻めてきたら、その方向に数で圧倒する軍で対抗して打ち負かす。

一方自軍の数が敵国と変わらないか、むしろ少ない時はどうするか。その時は弱者の戦略である。ある特定の方角に兵力を集中させ、敵の手薄なところにめっぽう強い連隊を形成してそこから突破するのだ。

 古典だが今でも十分応用できる理論だ。マーケットでの強者は、市場のマジョリティのセグメントに注力し、他社の先発の新製品にも同じジャンルの製品で真正面から対抗し、広告は具体性よりイメージ、ブランドを重視する。トヨタスターバックスGoogleなど市場の占有率の高い企業を分析すると、強者戦略をとっていることが分かる。一方弱者は、強者があまり力を入れないニッチな市場を狙ってそこでポジションを獲得する。

 アウトドアランニングという市場を考えてみる。強者はトレイルランニングだろう。自然の中で体を動かす爽快感やチャレンジ精神という二ーズにこたえるために、絶景の中を走るスタイリッシュなランナーをイメージして競技をPRする。これは多くの人の憧れを喚起する王道の戦略である。

 オリエンテーリングはどうだろうか。残念ながら弱者である。だからセオリーに沿えば戦略も弱者を前提とするのが正しく、強者の戦略をとるべきでない。爽快感やスタイリッシュなイメージ、達成感を頑張って宣伝するのは間違いとなる。競技規模、選手のカリスマ、スポンサーの数と華やかさで圧倒的に上のトレイルランニングにどうしても勝つことはできない。同じ理由でフィジカルに強い選手に特化してリクルートしようとしても定着しない。幅広い人々に訴求しようとしても、競技の魅力は伝わりにくいのだ。これは私自身が随分と苦い経験をして実感している。

 ではどういう戦略があり得るか。オリエンテーリングという競技が本質的に持つ特性、強みを見極めて、その強さを発揮できるニッチなセグメントに集中して訴求することが必要になる。

 

 「オリエンテーリングの強み」

を考えてみると、すぐに思いつくのは「地図読みの面白さ」である。アウトドアだけでなく、地図読みが好きな人というセグメントにPRできれば、オリエンテーリングの魅力はより強く伝わり、普及活動は成功するはずだ。

 実はこの視点ではすでに多くの活動がされている。ロゲイニング、OMMやウルトラロングなどの競技を通じて、地図読みに興味をもつ人が増え、そのルートでオリエンテーリングに興味をもつ人も多い。もちろんこのルートは大切にすべきなのだが、思ったより難しい面が多いこともまた分かってきている。一般の人が感じる地図読みの面白さと、オリエンティアが求める地図読みでは、精度、こだわりの面で隔たりがあり、その壁を越えて興味をもてる人の数は意外と限られるのだ。

 かつて誰かが、「オリエンテーリングは盆栽のようだ」と表現したことがある。うまい表現だと思う。確かに緑の植物が好きな人でも、盆栽の芸術を理解してのめり込むには一段ハードルがあるだろう。盆栽の形式美から特別の何かを感じ取ることのできる人だけがのめり込む。オリエンテーリングの地図読みも似た要素がある。

 

  他に攻めどころのセグメントはないだろうか。 

 

 これに対しての確実は答え存在しない。しかし、一つの可能性セグメントは、「知的集団」である。

 

 オリエンティアなら納得するだろう。インカレの歴代優勝上位校の大学、世界選手権代表に占めるマスターへの進学率、数少ないアクティブな高校の進学率など、客観的な数値で他のスポーツと比較したら、特異的な数値になるはずだ。

 一例をあげる。例えば東大の全学部生は1万4000人程度であるが、オリエンテーリング部の人数は70-100人程度(私の知る限り、今は違うかもしれないが大雑把な数としてとらえてほしい)。その割合は、控えめにみても0.5%。これは全国の大学生の数280万人で計算すると1.4万人に相当する。全国民に当てはめれば60万人だ。現在のオリエンティアの数よりはるかに多い。つまり、オリエンテーリングを好きになる人が偏在している。「理系」に限るともっと偏在してるかもしれない。

 いずれにしろある種の知的興味の高い人は、特異的にオリエンテーリング(の地図読み)に興味をもつ。そしてこれは通常のスポーツとは明らかに異なるセグメントで、マーケッティング上無視できない現象である。

 

 冒頭で、私は、「何故オリエンテーリングは、他のスポーツの競技人口が大きく変わる中、極めて緩やかな変化しかしないのか?」という疑問を投げかけた。私の仮説は、「知的集団」という他のスポーツとかけ離れた特異的なセグメントに訴求する魅力を持つオリエンテーリングは、世の中のブームに影響されず、競技人口をコツコツとつないできたからだと考える。

 

 「知的興味の高い人がチャレンジするアウトドアスポーツ」

 オリエンテーリングを、そう定義してみる。マーケッティングの対象は社会人であれば、学術機関、研究機関、企業の研究所、大学であれば今の学生に加えて大学院や研究生、留学生などがターゲットとなる。中学高校であれば有名進学校、各地ですぐに候補はあがるだろう。そしてアピールは、自然を走る爽快さ、かっこよさ以上に、情報処理能力、マネジメント力を総合した知的ゲームとしての側面を強調する。爆発的な人口増加は望めないが、潜在的に獲得可能な競技人口に近づけることができるかもしれない。

 

 それでは身体的能力が高いアスリートのエリート選手層が育たない、と心配する人もいるかもしれない。しかし、心肺機能の高い人はそういった人たちの中にも確率論で一定の数いるはずだ。母数が増えれば確実にフィジカルの強い選手も増える。

 

 少し異なる分野だが、トライアスロンは、「経営者に人気のスポーツ」、というイメージが定着している。一つの能力を高めるのではなく、複数の要素を高めて総合的な成績を追求する、というセルフマネジメントが企業経営に通じるという解釈だ。正直そこにアナロジーがあるか、疑問も感じるが、上手なマーケッティングだと思う。いったん経営者同志のつながりで同胞の人を巻き込むようになると、マーケッティングの力は自走するからだ。

 

 「知的集団」に向けたマーケッティングは、何も新しい考えではなく、おそらく多くの人が感じている点だと思う。一方でこの説はオリエンティアにとって感じても口にし難い。自身が「知的である」と自画自賛していることに繋がるからである。私自身も同じような躊躇いを正直感じる。

 

 もちろん、今までと同じように老若男女どんな人も参加できるオープンなスポーツを目指すことは変わらないで欲しいし、その点ではもっと初心者に分かりやすく入りやすいスポーツになることを意識すべきとも感じる。しかしスポーツとして能動的にPRするセグメントを特定することは不自然なことではない。魅力的なアウトドアスポーツが多い中でオリエンテーリングが確実なポジションを確立するには、一つの戦略なのではないか。

 

 皆さんどう思うだろうか。様々な感想、意見、反論があると思う。それが当然だと思う。これは弁証法であり、一つのテーゼだ。建設的なアンチテーゼはウエルカムである。その上でジンテーゼが生まれるならば願ってもないことなのだから。