オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

徒歩OLとはなんだったのか

トータスの国沢五月です。

オリエンテーリングを始めてまもなく40年になります。今回の執筆者の中でも1、2を争う古さですかね。

この歳になっても四六時中オリエンテーリングの事を考えているため、いろいろと書きたいことはあるのですが、今回は温故知新のアプローチで日本オリエンテーリング黎明期の話を書いてみることにします。

 

日本オリジナルのオリエンテーリング「徒歩OL」とは?

 

みなさんは「徒歩オリエンテーリング(略称:徒歩OL)」って聞いたことがありますか?

去年、JOA50年イベントで久しぶりに開催されたので、そこで知った人もいるかもしれません。

ちなみに私も40年前、その徒歩OLをきっかけにオリエンテーリングを始めた一人です。

もし聞いたことはなくても、あなたが他人にオリエンテーリング」をやっているというと、特に年長の方から

「あー、あのみんなで歩く奴」

とか

「途中でお昼ご飯食べたりするんでしょ?」

とか

言われたことはありませんか?

そう、それがまさに「徒歩OL」です。

 

徒歩OLの特徴は・・・

  1. 個人ではなく、グループ。
  2. 走ったら失格。
  3. 入賞が時間帯で決まっていて、早くても遅くてもダメ。

などなど・・・

このユニークなルールのオリエンテーリング日本のオリジナルです。

そして、実はそんな不思議なオリエンテーリングが、かつて日本で一大ブームを起こしました。

参加者は数百人から数千人。全国で大会が開かれ、個人クラスより多くの参加者を集めていました。

例えば1974年5月に開かれた「読売全国大会」では、個人クラス885人に対し、徒歩はなんと6941人!

この巨大オリエンテーリングイベントは、日本史上最大の規模で、今もその記録は破られていません。

そう、かつて日本では、徒歩OLがオリエンテーリングの主流だった時代があったのです!

 

日本初の「徒歩ラリー」、そのユニークなルールとは?

 

驚くべき大ブームだった「徒歩OL」。まずはその歴史を紐解いてみましょう。

ものの本によると、オリエンテーリング日本最初のイベントは、1966年高尾山で開かれた「徒歩ラリー」とされています。下記の新聞記事を見ると、参加者は150人ほどだったようです。

 

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「第一回徒歩ラリー」の読売新聞記事。当然オリエンテーリングのオの字すらない。「自然に親しむ明るい仲間づくり」「標高、風向き、風速、温度、雲量を測定しながら」等突っ込み所が多いが、一番は「午後四時過ぎに無事完走完走賞を受けた」って、「徒歩ラリー」では?

 

 この「徒歩ラリー大会」読売新聞社が主催したイベントでしたが、これがまさに「徒歩OL」の基礎となるべきものでした。

 

その要項を見てみると、

 徒歩ラリー:ただ歩くだけではつまらない。自動車のラリーの要素を取り入れた新しいスポーツ

と、書かれています。

 

さらに要項から、その特徴を挙げてみましょう。

・3~10人グループで行う

・地図は国土地理院地図をそのまま利用

・マスターマップ(自分で書き写す)

・ポイントOLまたはラインOL

 1チーム最大10人って、結構な人数ですよね。

またポスト位置を書き写す「マスターマップ」は徒歩OLの定番でした。

当時私もやりましたが、慣れないうちは結構ハードルが高く、きちんと正しいポスト位置を写し取れるかも、競技の一部でした。またラインOLで行われたイベントも多かったようです。

・距離8~10km程度

・走ると失格。

・途中で選手が脱落しても失格。

走っちゃダメなわりには、結構距離が長めです。

実際、トップでも4時間程度、長いチームは6時間とかかかっていました。

また脱落も結構あったようで、運営側も途中でやめるチームのエスケープをあらかじめ想定して、車が入れる場所を選んだりしていたようです。

 

そして、ユニークなのはここから。

・チェックポイントは有人。

チェックポイントに行くと、役員が2人いて、チェックカードにスタンプを押しれくれます。この時、まだポストフラッグは出現していませんでした。

・スタート前に、地図読み講習と天気図を読む講習がある

地図読み講習は参加者必須でした。それに加え、天気の講習があるのが面白いですね。ただし天気図講習はさすがに数年後には無くなります。

・30分間昼食を取るポストがある。

チェックポイントに着いてここで昼食を取ると決めると、30分間昼食の時間を取ることができました。その分は競技時間から引くことに。なんて牧歌的!

有人チェックポイントだからこそできたんでしょう。長時間かかることが前提だったことがわかります。

 

そしてもう一つ大事な特徴が・・

・参加費は無料!

・参加賞がコンパス!

参加費がタダでコンパスも貰えるとなったら、そりゃ出ますよね!

記録によると、ヤクルトや資生堂など当初から有名企業がスポンサーについていて、大会開催の費用を負担していたようです。

またこの参加費無料、徒歩OLが全国的に広まっていく中でも継続していきます。これが参加者が増え続けた理由の一つなのかもしれません。

 

ということで、この「徒歩ラリー」当初からかなり練られたイベントだったと思いませんか? 

これを具体的に考案したのは誰なのか、そもそもなぜオリエンテーリングを参考にしながらこういう形になったのか、残念ながら残っている資料からはその詳細なことはわかりません

ただ主催者は「山や自然を知ること」そして「徒歩(走らない)」「手軽さ」さらに「ゲーム性」にこだわっていることが、ルールから見て取れます。

またこの徒歩ラリー、「タイムレース」とされ、速い順に表彰もあったようです。徒歩の割りには意外と競技的だったようですね。

 

「徒歩ラリー」から、「徒歩オリエンテーリング」へ

さて、こんな形で開催されはじめた日本独自のオリエンテーリング「徒歩ラリー」。

まずは主催である読売新聞や報知新聞で周知されることで、広まっていきます(記事には、最近静かなブームになっている、と書かれています)。

さらに鉄道会社とも連携をして、関東近郊の様々な場所で開かれるようになり、それから4年の間に20回ほど徒歩ラリーを開催。数百人レベルの参加者を得るようになりました。

 

そんな市民権を得始めた「徒歩ラリー」に転機が訪れます。

それは1969年、日本が国際オリエンテーリング連盟(IOF)へ加盟。

それに伴い日本オリエンテーリング委員会(略称JOLC)が結成されたのです。(ちなみに加盟が先で、JOLC設立の方が後でした。面白いですね)

 

ついで翌70年の3月、徒歩ラリーのイベントにはじめて

オリエンテーリング(個人参加で走ることに自信がある人で競う)」

種目が加わります。(下のチラシ参照)

これが日本で最初に行われた、競技オリエンテーリングイベントでした。

 

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 1970年3月、日本最初の競技オリエンテーリングが開かれた時のチラシ。個人で参加するには、走ることに自信が必要だったよう。定員も各クラス15人とびっくりするほど少ない。

 

そして同じ70年の4月より、読売新聞主催の徒歩ラリーもいよいよオリエンテーリングの名称に変更されます。

個人で走って良い「オリエンテーリング」と比べ、従来の徒歩ラリーを「徒歩オリエンテーリングと呼ぶこととなったのです。一方で、これ以降、個人で走ってよい「オリエンテーリング」は「国際方式」とも呼ばれるようになります。

「徒歩オリエンテーリング」は、そのルールは「徒歩ラリー」と違いませんでしたが、唯一「入賞」の概念は見直されました。それまではタイムレースだったのが、入賞時間帯という概念を導入。これは走ってタイムを競う国際方式とその性格を分けるためのものだったと思われます。

 

ちなみにこのオリエンテーリングという用語、導入時期には様々な混乱があり今見ると面白いです。

平然とオリエンテーションと紹介する雑誌、「オリエンテェアリング」と発音に忠実な表記する例も。

一方、オリエンテーリングの訳語もいろいろとあり、導入した社団法人国民健康・体力つくり運動協会は「山野跋渉運動」と訳していますが、ある記事ではオリエンテーリング(探索)」さらにオリエンテーリング(帰巣本能運動)」などの珍訳も。

ネットもない当時、海外からの十分な情報もなく、オリエンテーリングがいったいどんなスポーツなのか想像もできなかったのでしょう。

 

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 雑誌の記事より。全体にオリエンテーリングの紹介としては結構正しいのだが、なぜオリエンテーリングの日本語訳が「帰巣本能運動」になったのか・・・・

 

「徒歩OL」ついに大ブレーク!その理由とは?

 

さて、ここから「徒歩OL」は爆発的な発展を遂げていきます。 

1970年以降、全国各地でオリエンテーリング大会が開かれるようになります。

73年には全国300を超える会場でオリエンテーリング大会が開かれ、そのほとんどが徒歩OLのイベントでした。

 

例えば1973年に開かれた「国際親善大会」。これはスウェーデンなどから数十名のオリエンティアが招かれ、日本初の国際オリエンテーリングイベントとして開催されました。

この時、主催の読売新聞は8ページにも及ぶオリエンテーリングの特集記事を掲載(東京オリンピック以上だそう)、さらに3000通を超えるDMを発送、また西武鉄道各駅にもポスターを掲示するなど徹底的な広報戦略を行いました。その結果、4000人近い参加者(多くが徒歩OL参加者)を集めています。

なお、当時のオリエンテーリングニュースの記事によると「本格的に参加費を集めたイベントで、これだけ参加数を集めたのは画期的」とされていて、各地で行われていたオリエンテーリングイベントは無料が当たり前だったことがわかります。

 

そして1974年から75年にかけて、徒歩OLのイベントはピークを迎えます。

 

1974年5月「読売全国大会」個人885名 徒歩6941名 計7826名

1974年9月「第1回東日本大会」個人1029名 徒歩3462名 計4491名

1975年3月「第1回全日本大会」個人1123名 徒歩4176名 計5299名

 

個人競技の発展もめざましい一方、オリエンテーリング導入されてから10年近く経っても、規模だけみれば、その主役はやはり徒歩OLだったのです。

 

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日本史上最大の大会を伝えるOLニュースの記事。実際は8千人弱だったので、流石に1万人は盛りすぎでは。なお、下段のデサントオリエンテーリングウェアにも要注目。

 

国を挙げて取り組んだ「徒歩オリエンテーリング

 

さて、大ブームとなった徒歩OL。なぜここまでの広がりを見せたのでしょう?

まず見逃せないのが、国の強力なバックアップです。 

1970年からわずか数年の間に、オリエンテーリングは驚くべき発展を遂げます。

指導員制度の開始パーマネントコースの全国展開100kmコンペ都道府県にオリエンテーリング協会を設置年に一回各県でのオリエンテーリング大会を義務づける等・・・

オリエンテーリング発展の施策がわずか数年の間に矢継ぎ早に展開されました。そしてそのほとんどが「徒歩OL」を軸にしたものだったのです。

そのきっかけとなったのが、ある“国の施策”でした。

1964年に閣議決定をされた「国民の健康・体力作り増強対策について」東京オリンピックを契機に、立ち後れた日本国民の体力を増強しようという国を挙げた取り組みでした。

その「健康体力づくり国民運動」の中心的な活動として、70年「全国に体育施設の拡充」「健康調査の実施」などと並びオリエンテーリングの普及」が選ばれたのです。

それにより大規模な資金の投下、県協会などの組織の形成が国の旗振りの元、圧倒的な速度感で達成されていきました。

オリエンテーリングニュースによると、1974年に年間9000万円近いオリエンテーリング関連予算が計上されたとあります。物価を考えれば、現在の数億円規模の額が毎年オリエンテーリングに投下されたわけです。今から見れば夢のような話ですね。

 

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駅前や電車内に掲示されたパーマネントコースや大会の告知。時代を感じる絵もさることながら「用意するものは地図、磁石、赤と青のボールペン、昼食、そしてあなたです」のコピーも味わい深い。

 

「みんなのスポーツ・オリエンテーリング」の真意

 

そうした国の施策だけでなく、当時、日本の社会にも、この新たな市民スポーツを受容する機運が盛り上がりつつありました。

 

例えば、徒歩ラリー開始の翌年、1967年には第一回の青梅マラソンが開催されています。それまで一般市民が参加可能なマラソンレースは無く、これが日本ではじめての「市民マラソン」でした。

同じ頃、盛り上がりを見せ始めていたのは「歩け歩け運動」です。

60年代から、ウオーキングが注目され、65年に富士山から日本橋まで150kmを歩く「国民歩け歩け運動大会」が企画、67年には大阪で3500人が参加する「歩け歩け運動」が開催されるなど、広がりを見せ始めていました。

また、登山はレジャーとして一般的で、特に1953年のエベレスト登頂、56年のマナスル登頂をきっかけとする登山ブームが起こっていました。ところが谷川岳での遭難が相次ぎ66年に谷川岳遭難防止条例が設定されるなど、登山の危険性が喧伝され始めた時期でもありました。

「徒歩ラリー」の当初、天気図の読み方講習などがその競技に組み入れられていたのはそうした背景があったからかもしれません。

 もう一つ無視できないのが、国土を覆う地図の普及です。

それまで国土地理院による基本図は5万分の一でしたが、1964年第二次基本測量長期計画で2万5千分の一地形図が本格的に全国整備を開始します(83年に完成)。

徒歩OLは、当時最新のメディアを利用した新しいレジャーだったんですね。

 

徒歩OLは、当時の日本の置かれている様々な状況から生み出された、ユニークなムーブメントでした。それはそれまでに盛り上がりを見せていたウオーキングやハイキングの進化版であり、まだ市民にランニング文化が根付く前の「市民スポーツ」の萌芽だったのです。

当時のオリエンテーリング関連の文章を読むと「スポーツをエリートの手から取り戻す」というフレーズをところどころで目にします。64年の東京オリンピックを経た日本の空気に、スポーツが一部の特殊な人たちのものになってしまったのではないか、という声があがっていました。

導入以来からの標語である「みんなのスポーツ・オリエンテーリングは、そうしたエリートスポーツとの対比として使われたものと考えられます。

そして確かに徒歩OLは老若男女、誰でもが気軽に楽しめる「みんなのスポーツ」でした。

 

「徒歩OL」が教えてくれるもの

 

日本でのオリエンテーリングの普及を担い、社会現象というべきブームにもなった「徒歩オリエンテーリング」。

しかし70年代後半から、徒歩オリエンテーリングは次第に衰退へと向かいます。

1976年には全日本や東日本でも参加者数は個人に抜かされ、その後もオリエンテーリング普及のための併設的なイベントとして継続されていきますが、数は伸びず、最終的には2005年、JOAが「徒歩オリエンテーリング実施基準」を廃止、39年の歴史を閉じました。

いったいその限界はどこにあったのでしょうか。 

まだ資料に当たれていないので正確なことはなんともいえませんが、ここまでの調査で感じるのは、国の施策に乗り一気に広がったが故の悲運だったのではないか、ということです。

 

「国民体力づくり運動」が落ち着き、オリエンテーリングに流れていた大量の資金が止まると、オリエンテーリングの発展は自治体組織から愛好者の手へと委ねられました。

その後、競技オリエンテーリングが発展していく中、「徒歩OL」は、かつて数千人を集めたそのポテンシャルにもかかわらず、古い組織が作り上げた旧態依然の象徴とされ、オリエンテーリングの発展を拒む「遅れたもの」として捉えられました。

幅広い年齢層が気軽に参加でき、2.5万の既成の地図を使えば、運営者にも手軽に開催できた徒歩OLは、その手軽さ故に、またあまねく広がりすぎたが故に、スポーツとしてのオリエンテーリングを担う層からは軽んじられ、結果、廃れていったのではないか、との仮説を立てていますが、詳しい分析はまた別の機会に譲りたいと思います。

  

ここまで長々と徒歩オリエンテーリングについて書いてきましたが、まとめとして思うのは、やはりスポーツの発展には、その背景にある社会の動きが密接に関連しているのだな、ということです。

2度目の東京オリンピックが近づいている今、これからの日本でのオリエンテーリングの普及や発展を考えていく上で、何をアピールしていくべきなのか、徒歩OL発展の歴史はいろいろなことを示唆してくれていると思います。

 

ちなみに偶然ですが、同日(12/10)にもう一つのadvebt carenderで公開された福西さんの記事「OMMとオリエンテーリングの関係性」https://fukunishi-yuki.blogspot.jp/2017/12/omm.htmlも、最新オリエンテーリング類似イベントの分析から、改めてオリエンテーリングの普及や魅力について考えさせる内容になっていて、併せて読むとより立体的な視野で捉えることができるかもしれません。

 

最後に。今回、同じトータスの小柴君より、このadvent calendarに執筆する機会を与えていただきました。ありがとうございました。また、写真提供はじめ、この文章の執筆にご協力いただいたJOA事務局の濱宇津君にも大いに感謝します。

そして、読んでいただいたみなさま、最後までこの長文にお付き合いいただき、ありがとうございました! 

 

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おまけ。第1回全日本大会優勝者欄より。意外にふくよかだったんですね。

好きな言葉は「真面目に生きる」・・・へー、なるほど。(この写真は本文とは関係ありません)

世界一軽い寝袋の作り方

 みなさん1年ぶりですね。頻繁に下の名前を打ち間違えて「ゆうタオル」となってしまう宮西優太郎です。去年は1秒を削る努力をすればオリエンテーリングがうまくなった気分になれるよ、という記事を書きました。今回は1gを削るお話。どうやって登山の荷物を軽くするかを語っていきます。あまり長くなっても良くないと思うので寝袋の軽量化に絞ります。今年も走るのが大好きな人には面白くない内容かもしれません。ていうかオリエンテーリング関係ないかも?ごめんなさい。

 

 最初に荷物を軽量化するようになったきっかけを、次に僕のシュラフの変遷を書いていきます。

 

OMMに出たい

 大自然の絶景の中、超長いオリエンテーリングをして夜はキャンプ。ナヴィゲーションや走力だけではなくバディとのコミュニケーションやリスク管理も必要なレース…。

 

 これを聞いてロマンを感じませんか?

 

 

 ちょうど3年前、このOMMというイベントが初めて日本で開催されました。OMMとはOriginal Mountain Marathonの略で、イギリス発祥のアドベンチャーレースです。競技は二人ペアになって2日間に渡って開催され、簡単に言えば長いオリエンテーリングをします。1日目の夜は必ず指定地でテントを張って停滞する必要があり、1日目に早くゴールしたからといって2日目のコースに進むことはできません。ナヴィゲーションや走力に加え、悪天候 (OMMはわざと気候が不安定かつ寒い時期に開催される)やケガに対処する能力なども必要となります。そのためOMMは山の総合力を試す場として認知されています。

 僕がOMMに出たいと思ったのはこの3年前のレースの後でした。知り合いのオリエンティアたちが好成績を残しており、皆「楽しかった!」とSNSに書き込んでいました。オフィシャルカメラマンの写真 ( http://theomm.jp/?page_id=47 )を見ると日本とは思えないような草原が広がっていて、参加者は笑顔だったりつらそうな顔をしたりしていましたが皆楽しんでいました。

 

 

出るしかねぇ

 

 

 でも、OMMの長いコースでは2日間で50kmは走ります。オリエンテーリングで長い距離走っても実走15kmくらいですから、それなりの荷物を担いで山の中を50km走るなんて当時の僕には到底できませんでした。そこで、荷物の軽量化をしようと思い立ったわけです。

 

先人たちの知恵を借りる

 新しいことをするときはすごいひとの真似をするのが一番、ということでネットで検索するといろいろ出てきます。

 そのころの僕には装備を自分で作るという発想はありませんでしたし、登山の経験もそこまであるわけではなかったので、軽くて使いやすいとネットで評判のギアをこつこつと買っていきました。買いためたギアを近くの山で試し、次に北アルプス南アルプスを縦走し、十分使えることを確かめたうえで2015年秋、OMM初出場を果たしました。

 

【ここで用語解説】

ウルトラライト: 登山の荷物を軽くすること。夏の幕営であれば荷物の総重量が5~8kgくらいが目安。アメリカのハイカーであるレイ・ジャーディンが2000年頃に当時としては馬鹿みたいに軽い装備でトレイルを歩いたことが始まり。彼は自身のサイト ( http://www.rayjardine.com/index.shtml )で装備やその作り方を公開し、世界的に広まった。タープに庇のついたRay-Way tarpは彼の発明。

 幕営: テントを張って夜を越すこと。テントを張らずにシュラフやエマージェンシーシートのみで寝ることはビヴァークという。ビヴァークにつかう袋状のものをビヴァークサックまたはビヴィという。

 

 

初めてのOMM

 群馬県嬬恋村で行われたOMM。キャンプ地の標高は1000mを越えており、予想ではかなり冷え込みと予想されていました。僕のシュラフはsea to summitのSpark sp I、重さ356g (タグは切断済み)でダウン量180gの夏用シュラフです。これはsky high mountain worksのブログで紹介されており ( http://skyhighmw.blog112.fc2.com/blog-entry-1246.html )、購入に踏み切りました。シュラフは通常湿気があると保温力が急激に落ちますが、このシュラフはダウン自体に撥水加工することでこれを抑えています。さらに高品質なダウンを用い、かつ生地を薄くすることで夏用シュラフの中でもかなり軽い製品です。

 シュラフには通常対応温度が示されており、どれくらいの気温で使えるかが分かるようになっています。このときのシュラフは下限が8℃であり、この下限というのはだいたい成人男性が丸まって6時間寝ることができる最低の気温です。確かに保温着を着なければこれは僕の体感と近いのですが、北アルプスでの経験からフリースを1枚着てシュラフカバーをつければ0℃までは寝れることが分かっていました。しかし嬬恋は-5℃くらいまで下がってもおかしくありません。そこで、ある秘密兵器を用意していました。

 人の体は常に空気にさらされており、皮膚の表面からは水が蒸発しています。水が水蒸気になるとき、気化熱といって皮膚から熱を奪います。これによって汗をかくと体温が下がるわけですが、別に暑くもない時にもこれが起こっています。つまり、汗を止めればその分暖かくなる可能性があります。これを実現したのがVapor Barrier Liner (VBL)システムです。VBLシステムでは、体を透湿性のない膜で覆うことで湿度100%の状態を作ります。湿度 (相対湿度)が非常に高い状態では発汗が抑えられて暖かく感じます。

 VBLシステムでは簡単に保温できますが、デメリットもあります。それは汗で濡れることです。それと汗で臭うことです。湿度が100%であれば温度差によって必ず結露が起こるので、湿った空気が体を覆っている膜の内側で結露することで濡れます。この濡れをうまく対処することが重要です。

 以上のことから僕はこのようなスリーピングシステムを考え、作りました。

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シュラフとVBL用のシート(ライナー)とエマージェンシービヴィとマットを合わせた重量は484gでした。多くの参加者は3シーズン用のシュラフ+防水透湿のシュラフカバー+マットで1kg程度は持っていたと思うので、かなり軽量だと思います。

 実はこの装備、一度も予行演習せずにOMMに臨みました。結果、寒さは感じましたが十分寝ることができました。朝は若干氷点下になるくらいだったそうなので気温もシュラフの性能もほぼ想定通りということになります。このOMMのおかげで自分の考え方が間違っていなかったと確信できました。また僕ほど軽そうな装備の人も見つけられなかったので、この後も自信を持って軽量化を進めることができました。

 

【用語解説】

シュラフ: 寝袋をかっこよく言うとこうなる。登山用語はドイツ語由来が多い。

ダウン: 羽毛のこと。通常のダウンシュラフの中綿はダウン (羽毛)とフェザー(羽根)の割合が9:1くらいで詰められている。ここでは中綿全体をダウンと呼ぶ。

透湿性: 水蒸気を通す性質。透湿性がなければ蒸れるし、透湿性が高ければ蒸れないし結露も少ない。

エマージェンシービヴィ: アルミを蒸着しており体温を反射するシートを袋状にしたもの。入ると確かにあったかい。

 

 

ダウンシュラフの限界

 2015年のOMMでは484gのスリーピングシステムで氷点下の夜を越すことができました。さらに軽量化を進めたいところでしたが、ダウンシュラフを使う限りこの保温力を保ったままもっと軽くするのはほぼ不可能でした。なぜなら、ダウンはふわふわでまとまりがなく、必ずダウンを覆う生地(ここではシェル素材と呼ぶ)と偏りを防ぐための縫製が必要になり、これが結構な重さになるためです。シェル素材は通常ナイロンの生地を用います。ちなみにSpark Iは外側に10D(デニール)、内側に15Dのナイロンを用いています。シュラフ自体の重さが356gでダウン量が約180gですから、ダウン以外は176g。シェル素材は140gで、ジッパー+ドローコード+縫製が40gくらいと予想できます。だいたいです。

 シェル素材を薄くすれば軽くはなりますが、強度が下がるため極端に薄くすることはできません。当時一番薄いのはmont-bellのダウンハガー900シリーズで、8Dとかでした。これならシェル素材を100gくらいまで減らせそうですが、ダウンハガー900は縫製とか伸縮性とかの問題でそこまで軽くありませんでしたし、素材だけ手に入れることはできませんでした。

 ジッパーとドローコードは取り去って軽くできるかもしれませんが、40gだけです。そもそもSpark Iのジッパーは短いですし、ドローコードも簡素なものです。縫製もあるはずなので、30g軽くなればいいほうでしょう。

 より質のいいダウンを使えば保温性を保ちながらダウン量を減らすことができます。Spark Iのダウンは850FPで、当時手に入る最高品質のダウンは1000FPでした。1000FPのダウンにすればダウン量を150gくらいにはできそうです。しかし、価格の問題が大きすぎます。1000FPのダウンを150g用意しようとしたら、7~8万円くらいするんじゃないでしょうか。現在最もFPの大きいダウンを使用しているシュラフでも930FPです(おそらく)。

 以上から、お金のことは考えずにSpark Iの保温力を保ったままどこまで軽くできるのかを試算してみます。

シェル素材: 140g→100g

ダウン: 180g→150g

ジッパー+ドローコード+縫製: 40g→10g

シュラフ全体356g→260g

およそ100g軽くできることが分かりました。一般的な保温力の夏用シュラフとしては約260gが限界でしょう。しかしこれをやるのに一体いくらかかるんでしょうか…。恐ろしい。しかもそれを自作する技術も勇気もありません。どうしよう。

 

【用語解説】

デニール (D): ストッキングの薄さの指標。数値が低いほど地肌が透ける。

フィルパワー (FP): ダウンのかさ高の指標。数値が高いほど同じ重さでもより膨らむ。つまり、より暖かい。

 

 

ダウンじゃなくてもいい

 ダウンだと、100g軽量化するのが関の山だということが分かりました。でももっと飛躍的な、革新的な軽量化をしたいですよね。そのためには寒くて眠れない夜を過ごすしかないのでしょうか?

 解決策を探るため、ネットの海を、仙台の山々を徘徊していると一つのヒントに出会いました。それがFinetrackのポリゴンネスト ( https://www.finetrack.com/products/sleepingbag/polygon-nest/ )というシュラフです。これはダウンの弱点を克服するために作られたシュラフで、中綿にポリエステル製の立体的なシートを用いています。これによってダウンのような水に対する弱さや偏りを防いでいます。この製品は、スペックを見ている限りは重さ当たりの保温力はそこまで高くなさそうです。しかし、ダウンと違いシェル素材がなくても形状を保ってくれそうです。つまり中身の保温層を取り出して、前述のVBLシステムと組み合わせることで一気に軽くできるかもしれません。

 ただ、これも価格がネックでした。既に高性能なダウンシュラフを買ってしまっているのであまりお金はかけたくありません。そこで、似たものを自作してみることにしました。

 薄くて軽くて水に強くて透湿性がなく、加工しやすいもの…そうだ、ゴミ袋だ!ということでまずゴミ袋 (ポリエチレン製で厚さ0.02mm)をひたすら切って開き、自分の体がちょうど入るように袋状にしました。さらにその周りにくしゃくしゃにしてセロハンテープで張り付けていきました。結果、シュラフっぽい形にはなり保温性もそこそこありそうなものができましたが重さが350gくらいとなってしましました。ゴミ袋でできているのでVBLシステムのライナーは必要なくなりますが、約30gの軽量化にしかなりません。また圧縮性も悪く、スタッフサックに押し込んでもSpark Iの2倍くらいの大きさにしかなりませんでした。見た目でも軽そうな装備にしたいですし、大きさは重要です。もっと薄いゴミ袋を使えば重さも大きさも解決できそうな気もしますが、結構作るのも大変だったのでこの方法は諦めました。

 

小さくなる素材は何だ?

 軽くて暖かくて小さくつぶせて自分で加工しやすいもの…。そんな都合のいいものなかなかありません。基本に立ち返って、OMMのシュラフを調べてみました。

 OMMはレースを開催する一方、レースで使える道具を販売しています。OMMはレースとギア、どちらのブランドでもあるわけです。OMMのシュラフはMountain Raidシリーズ ( http://theomm.jp/?page_id=43 )で、1.0と1.6があります。どちらのシュラフもプリマロフトという化学繊維の中綿を用いており、濡れてしまっても暖かさが失われないことが特徴です。通常、化繊はダウンほど軽くコンパクトにはなりません。しかしMountain Raidはデザインや縫製を工夫することで暖かさを確保しながら中綿の量を減らし、ダウンに迫る軽量コンパクト性を獲得しています。軽いほうもモデルであるMountain Raid 1.0は重さ380gで対応温度の下限は8℃くらいです。数値だけ見るとSpark Iより劣っているようですが、実はVBLをやる場合はライナーがいらないので全体としてはほぼ同じ重量になります。(ただ、おそらくSpark Iのがあったかいです。)

 で、重要なのは化繊ということ。これならそこそこ暖かくてコンパクトにもなります。さらに自分で加工するのも容易です。しかし、これまで化繊を使わなかったのにはある理由があったからです。現在一番性能が高い(重量当たりの保温力が高い)化繊はプリマロフト (Primaloft Gold)で、濡れた時の保温性の低下も非常に低く比較的コンパクトにもなります。ただこのプリマロフトは非常に柔らかく、簡単に手でちぎれるほどです。そのため普通はたくさん縫製して偏りを防ぎます。こんな感じ(極端)↓

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http://www.patagonia.jp/ms-nano-puff-jkt/84212.html

OMMのプリマロフトを使っている製品は縫製が少ないんですが、手に取ってみると中でプリマロフトがずれる感じがします(実際偏ることはないんだろうけど…)。そのためシェル素材なしで使うとボロボロになることが予想されました。これが化繊を使わなかった理由です。

 

最軽量シュラフ

 しかしある時、Climashield Apexという化繊は比較的形態を保持してくれるらしいという情報を見つけました。Climashield Apexはプリマロフトほどの保温性はありませんがかなり保温力の高い化繊の一つです。早速アメリカのZpacksというサイト ( http://zpacks.com/ )から2.5oz/sqydのClimashield Apexを52インチ×1ヤード (130cm×90cmくらい)仕入れました。2週間ほどで到着し、触ってみると確かにぽろぽろとちぎれていくような感じはなく、まさにその時求めていた素材でした。

 この最高の素材でどんなシュラフにするか。いろいろ考えてみた結果、外側のシェル素材にSOLのエマージェンシーブランケット ( http://www.star-corp.co.jp/product/detail10124.html )を用いて袋状にしてシュラフはキルト形状、さらに内側のシェル素材は省くことで軽量化することにしました。エマージェンシーシートは輻射熱を90%以上反射するものです。キルト形状とはシュラフの背中側が開いている構造のことです。シュラフは通常背中側にも中綿が詰まっていますが、これは体重でつぶれてしまい本来の保温力を発揮できません。そこで背中側の中綿は取り除き、そこの断熱はスリーピングマットに任せてしまおうというのがキルトと呼ばれるものです。内側のシェル素材はClimashield Apexを用いることで省くことができました。それで出来上がったのがこのシュラフです。

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広げた状態の写真はめんどうだったので撮ってません。ごめんなさい。構造はこんな感じです。

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 実測152gの夏用シュラフの完成です。内訳はシェル素材が60gで中綿が90gくらいとなっています。中綿の面積当たりの重さはOMMのMountain Raid 1.0と1.6の間くらいであり、プリマロフトよりClimashield Apexのほうが若干保温性能が低いため、1.0と同等の保温性能だと思います。また大きさは写真よりもずっと圧縮できて、Spark Iよりも小さくなります。

 ジッパーやドローコード、縫製、さらには内側のシェル素材を省いていて、僕の体に合わせてぎりぎりまで小さく作ることでここまで軽くすることができています。スリーピングマットは全身用 (76g)が必要なのでそこは重くなってしまいますが、防水のエマージェンシーシートを表面に使っていてこれ以上シュラフカバーやビヴィなどの濡れ対策が必要ありません。これによってスリーピングシステム全体の重量はシュラフ152g+マット76g=228gとなり、Spark Iを使っていた時より250g以上の軽量化を果たしています。これより軽いシュラフはなかなか作れないんじゃないでしょうか。

 

OMMで性能を確かめよう

 いくら軽い道具でも実際のフィールドで使い物にならなければ意味がありません。前年よりも気温が下がると言われたOMM2016 in 信濃大町で新作シュラフの性能を検証してみました。

 2016年のOMM2日目の朝。ボトルの水は凍っていました。-3℃くらいまでは下がったでしょうか。気温が下がりきる前に寝て朝方はあまり眠れませんでしたが、なんだかんだ2~3時間は寝れたみたいです。最低限の睡眠はとれました。このシュラフの6時間寝るための下限は0℃といったところでしょう。化繊の耐久性も問題ありませんでした。152gにしては上出来です。

 

さらに軽くできるか?

 152gのシュラフ。これが限界でしょうか?技術革新が起こればさらに軽くなるでしょう。しかしそれを待っていられるほど人生長くありません。そこでどうにか軽くできないかと3つ案を考えました。

  1. 中綿を最も性能の高いプリマロフトに変更する
  2. 中綿の配置および厚さの最適化
  3. マットをイナーシャ型にして隙間をプリマロフトで埋める

 一つ目は簡単でプリマロフトを使うだけです。問題は、前述した通りプリマロフトをシェル素材なしで使うと耐久性がないということです。

 二つ目は寒さを感じやすいところにより多く中綿を入れて、そうではないところは薄くするということです。しかし、ちょっと想像しただけでもかなり手間だと思います。かなりの時間とやる気が必要ですね。

 三つ目はイナーシャというスリーピングマットを参考にしています。これです。

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http://moonlight-gear.com/?pid=34602938

スリーピングマットなのに穴が開いています。実はこの空間にシュラフ背面の中綿が入り込んでより効率的に保温する仕組みです。こんな感じでマットを切り抜いて、そこにプリマロフトを詰めれば暖かさを確保しながら軽くできる可能性があります。シュラフ自体の重さは変わりませんが、システム全体では軽くなりますね。

 今考えているのはこれくらいです。全部やったら30gくらいは軽くなるかなと思います。他にもあったら是非教えてください。

 

今年のOMM

 なんと2017年のOMMはこれまでよりも標高が高く、かなり冷え込むと予想されました。さすがに152gのシュラフでは心もとないと思い、追加の中綿を買うことにしました。Climashield Apexでもよかったのですが、プリマロフトに挑戦してみることにしました。今回はRipstop by the Roll ( https://ripstopbytheroll.com/ )というサイトで購入しました。この3oz/sqydのプリマロフト165gをシュラフの内側に入れて使用しました。152gのシュラフにさらに165gの中綿を入れるのはかなり重いと思われるかもしれませんが、プリマロフトは防寒着と兼用としているので実はそんなに重くはなってませんし、寒さで死にたくはないので必要な重さです。

 実際OMMでどうだったかというと、かなり寒かったです。シュラフに入ればそんなにひどい寒さではありませんでしたが、夜はほとんど寝ることができないまま朝を迎えてしまいました。後から聞いたんですが早朝は-10℃近くまで下がったみたいです。さすがにこのシュラフでは厳しかったです。またプリマロフトの特性なんだと思いますが、繊維同士が引き離されたり絡まったりしやすかったためシェル素材なしでは扱いにくいという印象でした。そのためシュラフの中で引っかかったりちぎれたりしてしまいました。

 

さいごに

 長くなってしまいましたが最後までお読みいただきありがとうございました。軽いシュラフを作る一助となれば幸いです。質問などあれば @iwahage へどうぞ。それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろRun+Trailとかで特集組まれたい

必要なことを考える

こんにちは。京大OLCOB3年目、京都OLCで活動中の田中宏明と申します。インカレとかの大会実績が皆無なので、初めましての方が多いかと思いますが、よろしくお願いいたします。簡単に言えば松下世代です。光栄なことに田中基成くんから執筆の依頼をいただいたので、よい機会だと思い、筆を執らせていただきました。

 

 

近年は母校でコーチ業や練習会や合宿の運営をすることが多くなり、それに伴い、自分自身のことに限らず、「どうやったらオリエンテーリングが上手くなるのか」(これは僕の競技人生における永遠のテーマでもあります)について考える機会も増えてきました。そして、オリエンテーリングを上手くなるために必要なこととは何か、まだまだ短い競技人生ではありますが、これまでの経験から考えたことを書いていこうと思います。(あたりまえのことが多い気がしますが…)

 

 

自分の苦手を見つける

自分のオリエンテーリングにおける苦手を見つけるのに最も手っ取り早いのはやはりアナリシスを見てもらうことでしょう。自分だけでは気づかない問題点も、客観的な視点を加えることで顕在化します。

例えば、「道走りが遅い」という問題点について、ただ単純に「走力が不足している」という原因だけでなく、「途中で見るべきもの(チェックポイント)が不足しているため、スピードを出し切れないor 走りすぎてしまう」など様々な原因があります。自分では「走力が不足している」と感じたとしても、アナリシスを見た人からは、「とっているチェックポイントが少ないな、これでは自信をもってスピードを出せていないだろう」と気づいたりします。見つけた問題点を克服する方法も変わってくるので、原因の特定も大切ですね。

問題点を見つけ、1つ1つつぶしていくことは、能力を向上させる上でも定石と言えるでしょう。

 

自分の得意を見つける

アナリシスは基本的に反省の材料なので、「どうしてうまくいかなかったか」の原因を掘り下げ、弱点を克服していくために使います。これは先に述べた「苦手を見つけること」には効果的なのですが、逆に、「自分の得意」を見つけにくくなります。特に、オリエンテーリングにおいてうまくいっているところは、自分でも無意識なことが多いので自覚しにくいです。

自分の得意を生かしてレースメイキングできれば、かなり優位にレースを進められるでしょう。例えば、直進に自信があって、尾根たどりに苦手意識がある人は、レース開始直後にコースの概要をつかむ際、「3→4はラフ直進で得意だから、6→7の尾根たどりに注意、事前に読み込もう」のように、自分の得意不得意を中心としたレース全体の流れを組み立てやすくなります。

自分の特技を自覚することも、弱点を理解することと同じくらい必要なことです。互いに練習の際にランオブをしあったり、アナリシスを見あったりすることで、各々の得意がわかるときは積極的に伝えるといいと思います。

 

地図読み

 オリエンテーリングの根幹はやはり地図読みにあると考えています。読図が無ければナビゲーションは成り立たないからです。オリエンテーリングを始めたばかりの人が行う地図表記と現地の対照、正置などの基礎技術から、上級者に求められる読図とランニングスピードとのバランスといった応用に渡るまで、地図読みが関与しない場面はありません。技術面が上達の律速になっている人は、今一度地図読みに立ち返ってみると、自分に必要なものが見つかるかもしれません。ここではクラブ内でやっている取り組みや独自にやった取り組みをご紹介します。

 

時間制限地図読み

レッグごとに地図を読む時間を制限します。短いレッグは5秒、長い、難しいレッグは15秒など。読んだ後の実行は地図を見ずに発表します。不整地を走っていると、常に地図を見られるとは限らないので、手軽かつ実戦に近い練習になります。

 

 

 

お絵描き地図読み

上記の発展版で、時間制限を設けたうえで、実行中に見るべき情報(コンタ線や藪や特徴物など)をホワイトボードなどに描きます。シンプリファイやアタックの際に必要な情報の取り方の練習になります。ちなみに僕はこれがめっちゃ得意で好きです(笑)

 

読図走

走りながら地図読むのは臨場感があって大切です。これも、プランする区間を区切ったり、スピード変化をつけたりして行うと効果的です。実際にレッグを走っていることをイメージしつつスピードの上げ下げ、マップコンタクト、地図折り、地図の持ち替えをするとよいでしょう。

 

地形のイメージ練習

地図に描かれた等高線の表現や、地形のイメージなどは、やはり山に入った回数がものをいいます。実際にオリエンテーリングをするか、地図調査をして地形的感性を磨くことが一番だと思います。また、逆ランオブをして、先を走る人がどの地形を見ているか教え、その地形は地図上でどのように描かれているか教えるのも効果的でしょう。

記憶力に自信のある人は、入ったことのあるテレインの地形を頭に思い浮かべ、地図の描かれ方と見比べることで地形の表現方法を経験的知識として蓄える方法があります。これが転じて、地図から現地の地形のイメージが鮮明に浮かぶようになれば、地形のイメージ力が強化されます。要するに机上で「リロケート」と「地形の予測」を繰り返している感じです。実際のレース中でも、先に出てくる地形の予測をし、必要な時にリロケートをする、といった行動を繰り返すことになるので、このサイクルを体に覚えこませるイメージです。僕は毎日朝ご飯を食べながら、新聞読む感覚でやったりしていました。

 

オリエンテーリングにおける現地を想定する力は、そのままテレインへの対応力につながります。その最たる例がモデルイベントであり、藪の基準や特徴物の表現方法など、そのテレイン独特の色を頭にインプットすることができるため、非常に効果的です。最近はスプリントなどで航空写真や現地の動画を探してテレイン研究している人もいますが、これも現地の特徴を掴む上で非常に有効だと感じました。頭の中では地形や特徴物の概要がイメージできていても、現地での実物と照合できないとミスやロスにつながります。

 

予想コースの作成

 セレクションやインカレなど、重要度の高い大会前によくやる練習だと思います。予想コースの役割は、「テレインの地形的特徴を理解すること」、「その上で、このテレインではどのような課題(レッグ)が課されるか想定すること」、「渡河点やエリアのつなぎなど、事前に知らないと致命傷になる部分の事前確認」だと考えています。僕が重視しているのは、テレイン理解のために予想コースを組むことです。ただ、慣れてくれば勝負レッグが組まれるエリアや、難易度の高い要注意エリアは自然と意識できるようになると思います。また、テレインの課題が明確になれば、類似テレインで課題への対策や練習ができるようになるので便利です。

 

 

筋トレや体幹

 オリエンテーリングにおけるフィジカルトレーニングといえば、第一に走力トレが挙げられますが、ここでは上半身の筋力や体幹の重要性を強調したいと思います。体幹は人間の動作の中心に位置する、あらゆる動きの「核」です。体幹や上半身が弱っていると、走っている最中の体のブレが大きくなり、最終的には下半身にもダメージが蓄積されて故障の原因にもなったりします。不整地ではよりそれが顕著になるでしょう。体幹がしっかりしていれば、不整地での走りでケガもしにくく、読図走も安定します。WOC動画とか見てると海外選手の体幹のぶれなさはすごい…(小並感)

 

 

練習会

 最後に練習会について書きたいと思います。自分のオリエンテーリングに必要なものが分かってきた、それを実践するのに練習会はもってこいです。レースでもいいですが、テレインやコースの特性上その技術は使えないかもしれません。それに対し、練習会はメニュー中心、複数回走れる、とコスパや試行回数の面でも優秀です。練習会で大切なのは、「練習内容のコンセプト」だと考えています。

例えば、リレー対策を意識した練習会ではファシュタやチェイシングなどの集団で追い込む練習がメインになりますし、初級者向け練習会では、ラインOやスプリントエクササイズといった、基本的な線状特徴物たどりや正置練をメインに持ってきます。

練習内容のコンセプトは、参加者側から要望があればそれに則したように組みますし、自発的にコンセプトを設定して参加者に呼びかけてもよいでしょう。

 

つい先日、京大の合宿で組んだコースを例に出します。

 

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短いコースですが、すべてのレッグに対してアタックをコンセプトにしました。

 

△→1:道から離れるアタック。右手がずっと高い(尾根線)だが、アタック手前で右手が低く(沢)になる。

 

1→2:尾根に上からアタックするとき何を見るか。

 

2→3:ルートチョイスとアタックポイントの設定。ルートによってアタックの際何を見るか。

 

3→4:アタックのリスク管理とエイミングオフ。直進か、先に奥の傾斜に当てるエイミングオフか。

 

4→5:地形を大きく見るアタックとストッパーの設定。コントロールは大きく見て山塊の先、耕作地を遠目に捉える。

 

5→6:高さを意識したアタックとルートチョイス。直進かコンタリングか。その際のアタックはどうするか。

 

6→7:藪めの尾根たどりとアタック。藪の中で正確な方向維持ができるか。

 

最近の部員はアタックが弱い人が多いと感じたので、様々な場面に応じたアタックを意識してもらうレースを練習に組み込みました。今回は僕が勝手にコンセプトを設定しましたが、事前に参加者のニーズを聞き、うまく練習会をコーディネートすれば、練習効果もぐっと上がると思います。

課題を事前に意識しておけば、より密度の濃い練習が行えますし、教える側も重点的に教えることが分かっているのでやりやすくなるでしょう。教える側としても、何を教えるべきかはっきりしている方と積極的に取り組みやすいですが、逆に教える内容がはっきりしていないとどう指導してよいか難しく悩みます。

 

 

自分の周りでも、自分の苦手を見つけ、それに対する対策を素早く講じている人は上達スピードが非常に速いとひしひし感じています。さらに、そういう人は得てして自分の得意技も自覚している人が多く、レースの戦略も合理的に立てています。

また、アナリシスなどのアドバイスをもらった際、自分の頭で再度必要な情報を取捨選択したり、まとめたりするとよいと思います。自らの上達のために、自らの頭で必要なことを整理することは非常に重要なことですから。

 

 

オリエンテーリングは、アナリシスの内容からもわかるように、PDCAサイクルがものをいうスポーツです。あるプランに対する実行、それを実現した際の問題点とそれに関する反省、並びに今後の対策と、非常に論理的でまさにあらゆる面で「頭を使う」スポーツです。使えるところはどんどん頭を使って、楽しく課題をクリアしていきたいものです。

この、課題をクリアするために、「自分には何が必要なのかを考える」ということ。僕はオリエンテーリングのこういった面が好きなのだと感じています。また、僕は他の人がどのように考えてオリエンテーリングに取り組んでいるのか話し合ったり聞いたりするのも好きなので、他に色々な取り組みをしているという人がいたら、ぜひお話を聞いたりしたいです。オリエンテーリングの上達には、人それぞれ全く異なったアプローチがあると思います。その多様性もおもしろさの1つと考えています。

 

 

最後に、僕は自分が好きになったこのスポーツの楽しさを、後輩に伝えていくことも先輩の役割だと考えていて、オリエンテーリングに興味を持ってくれた人に、もっと上手くなって楽しくオリエンテーリングをできるようになってもらいたい、みたいなコンセプトでこの記事を書きました。本当は指導の視点からのオリエンテーリングみたいなのを書きたかったけど、うまくまとまりませんでした(笑) みなさん、これからも楽しんでオリエンテーリングしましょう!拙い文章でしたが、読んでくださった方、ありがとうございました。