登山で滑落事故 骨盤骨折
- はじめに
- 自己紹介とこれまで
- 岩手山での滑落事故
- 2か月の入院生活
- たくさんの奇跡
- 岩手山での事故と、中国の100kmレースでの事故
- その後の対策
- 世界選手権ミドル予選で30箇所蜂に刺された事故
- 事故後の同年10月、トレランでも九死に一生!?
- 最後に
はじめに
初めまして。
岩手大学オリエンテーリング部OG(2014年卒)で現在はじゃじゃじゃOCを名乗る盛合美誉です。この度、Advent Calendarの運営者さまからお声がけいただき、執筆させていただくことになりました。
内容は私が岩手山で滑落した話です。正直なところ思い出したくもない嫌な経験です。しかし、このような機会をいただけたことは、山岳スポーツを愛するみなさまに自分の経験が少しでも役に立つかもしれないと思い書くことを決めました。
乱文ですがご容赦ください。
自己紹介とこれまで
私は岩手大学でオリエンテーリングに出会い、タイムを競っているのに足の速さだけでは勝てない、競技の難しさに魅了され競技に打ち込みました。
社会人になり、競技から離れた時期もありましたが、大学時代からのライバルであった粂早穂と稲毛日菜子に山リハに誘われ、それをきっかけに再びオリエンテーリング熱に火が付きWOC2018 inラトビアを目指しました。私は岩手で競技に打ち込むことの難しさを感じており本気でやるのはWOC2018まで、と決めていましたが、個人戦のミドルでは頭部や腕など30箇所を蜂に刺され救急車で運ばれるという事故に見舞われました。途中棄権という結果になってしまい、このままでは終われないと思いました。
同年12月、香港で行われたアジア選手権で優勝することができ、翌年のWOC2019 inノルウェーの出場権を得ることができたので、またWOCを目指してトレーニングに打ち込みました。WOC2019ミドル予選では海外の個人戦の中で一番いい走りができ、決勝の結果はひどいものでしたが、私は予選での走りに満足したことと、もうトレーニングせず、好きなように山を駆け回ろう!という気持ちですっきりしていたので、帰国後はトレランと登山にはまっていきました。
そうして、登山も夏だけでなく冬の登山も覚え、いろんなルートに挑戦していくことになりました。
岩手山での滑落事故
私は2021年4月、残雪期の岩手山(2038m)で滑落し、ヘリで救助されました。
天候は雲ひとつない快晴、朝4時過ぎに登山口から登り始めました。装備はアイゼンとピッケルで、残雪期にしか登ることができないるルートに挑戦しました。
標高を上げるにつれて木がほとんど出てない一面雪となり、今から登る雪に覆われた岩手山を眺めて、楽しみな気持ちになりました。しかし、高度を上げていくと、だんだんそこにいるのがとても怖くなりました。障害物の全くないこの雪の斜面で転んで停止動作に失敗したら、1000mくらい止まることは不可能だと思いました。そのため、3点支持で絶対に転ばない、転んでもすぐにピッケルを指して止まろうと緊張しながら登りました。
そして、雪ゾーンを無事登り切り、その先は雪のないザレ場と岩になりました。雪がなくなっただけで、だいぶ気持ちは落ち着きました。それでも、足元はジャリジャリして斜度もそれなりにあるので滑りやすく、慎重に登っていきました。
そして、ここを登ればもう稜線、という1930m付近の崖まで来ました。地図を見ながら取付きやすそうな場所を探し、比較的安全に登れそうな場所を見つけ、そこから岩をよじ登りました。(イメージは岩手山鬼ヶ城コースの岩場をよじ登る感じの難易度に見えました)
私が先頭だったので、後の仲間に、落石があったら危ないので充分に間を開けてから登ってくるように言いました。そして、つかんだ岩が浮石ではないか、体重をかけれるか確認しながら少しずつ登りました。しかし、大丈夫と判断した岩を左手でつかみよじ登ろうと体重をかけた瞬間に、つかんだ岩の先っぽだけが、パキっと欠けました。感覚的には5センチくらいの出っ張りが欠けた感じです。雪解けで岩の表面が脆くなっていたのかもしれません。体が背中から真後ろにふわっと落ちて、真っ青な空と、岩を掴んだはずの自分の左手が見えました。あとは、あ、と叫ぶ仲間の声が聞こえました。
その瞬間は、ただ、死ぬんだな、と思いました。
その後背中に衝撃が走り、体はなす術なくバウンドしながらザレ場を10mくらい滑り落ち、うつ伏の体勢で停止しました。不思議なことに落ちた瞬間の痛みはありませんでした。息が詰まり、呼吸がうまくできませんでしたが、意識はずっとあり、生きてる、と思いました。
体の衝撃が柔らいできて、足を動かしてみようと少し力を入れてみると、大声で叫んでしまうほどの激痛が走りました。仲間が駆け寄ってきて、私をどうにか稜線まで運べないか試そうとしましたが、歩きづらいザレ場では二次災害になりかねませんし、何より激痛で絶対に無理だと思いました。自分のミスなので自分でなんとかしたかったですが、救助を呼ばざるを得ませんでした。
そして、事故のおよそ20-30分後くらいの9:00頃仲間が救助を呼び、1時間後にはヘリが来て、10:30頃救助されました。(ちなみに後から知ったのですが、救助を呼ぶ時は緯度と経度を伝えると捜索がスムーズだそうです。緯度経度は地図アプリなどで確認ができます。)
事故の原因としては、登れるだろうと思い、回り込むことなく崖をよじ登ったことです。今考えれば登山道になっていないルートだったので、岩が脆い可能性は充分にあったと思いますが、掴んだ岩が欠けるだなんて1mmも思っていませんでした。
2か月の入院生活
その後運ばれた病院では、骨盤骨折(3箇所)、親指関節の骨折と診断されました。搬送されたときはとにかく激痛で大声を上げながらベットに移されました。
以下はメモに残していた日記です。
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◆4月27日入院カテーテル生活に。下の世話は看護師さんに。
ベット間の移動の際、骨盤に激痛。声が出て顔が歪む。絶対安静の寝たきり。起こしていい体の角度は30度まで。おむつと◆4月29日
リハビリ開始。補助ありで理学療法士さんに膝を引く動きをしてもらう。 ◆4月30日
夜、咳の衝撃で骨盤が痛すぎて泣く。眠れない。つらい。
◆5月2日寝たまま頭だけシャンプーしてもらう。スッキリ。ヒップリフトの許可。楽しい。
◆5月3日ヒップリフト30秒×3セットを朝昼晩やることを決意。腕の筋トレも30回3セット。昨日は違和感があったけど、今日はヒップリフトがスムーズになった気がする。
◆5月4日親指の手術について説明を受ける。親指付け根の関節の少し上が折れており、粉砕も見られるそう。ピンで固定することを想定しているが、粉砕の度合いでプレートを入れる可能性がある。皮膚を切るので全身麻酔でやってくれるとのこと。こわああああ。完治までピンのみだと1〜2ヶ月、プレートだと半年くらいかかるそう。ピンだと良いなぁ。骨盤はズレていないのでとにかく安静にとのこと。 ◆5月5日 今日はまたシャンプーをしてもらいスッキリ!筋トレで二の腕が筋肉痛。 ◆5月6日
シャンプーしてもらう。寝たきりだと腸の動きが悪く、う〇ちが出ない。使わないよう粘ったが、坐薬を投入され3日分が一発で出た。
◆5月7日全身麻酔による手術の日。13:00に手術室へ。全身麻酔に耐えようと思ったけど、眠くなりますよ〜と言われてから水の中に沈んでいくような感覚に。看護師さんと何か話したと思ったらもう記憶なし。体感30分後に盛合さーん、と呼ばれ意識が戻った瞬間に手術をした右手が痛む。痛い!意識が朦朧としながら喉に入っていた管を抜かれて酸素マスクを装着。その日の夜にヨーグルトを食べれたけど、喉がイガイガして食べづらかった。ピンだけの手術となった。良かった。 ◆5月8日
楽しみにしていた朝ごはんがお粥でショックを受ける。右手はとても痛い。
◆5月9日右手の痛み、だいぶ良くなる。2週間ぶりのパン。喉がイガイガして咳が出る。でも骨盤には響くほど痛くはない。けど横になると咳が出るから苦しいのは苦しい。咳止め明日からは1日3回飲ませてもらうことにPCR検査。親指のリハビリをしてもらう。針金が入っててもリハビリできるんだ〜と思って驚いた。手の腫れはだいぶ引いてきたけど、手のひらはまだ腫れてる。明日から座るリハビリが始まる。ワクワクすっぞ! ◆5月11日 歩行機を使って立ち上がる。2週間ぶりに立ち、少しめまい。20mくらい歩けたが外科の先生方が無理させるな、とあわあわして、私も無理しないでと注意される。無理しないって、具体的にどんな行動が無理なのか分からん ◆5月12日車いすに乗る練習。体重をかけないように車いすに乗り移る。 ◆5月13日車いすでトイレの行き方を教わり、カテーテルを抜いてもらう。看護師さん付きでトイレに行けるようになる。 ◆5月15日 見守りなしでトイレに行けるようになる。歩行機で足踏みの練習などする。右足が上げづらい ◆5月16日 3週間ぶりの風呂でシャワー。気持ちええ。スクワットのような動きが容易にできるようになる。動かした部位は次の日もっと動かしやすくなっている感。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5月10日 咳止め飲んでも咳が止まらず、この後順調に回復したため、メモを残していませんでした。
2か月間入院し、3か月後には違和感があるものの軽いランができるまでに回復しました。
入院生活の最中、いろんな方からお見舞いの連絡をいただき元気づけられました。本当にありがとうございました。
また、叱咤のコメントもいただいたり、もう山に登るのはやめるよう言われたりもしました。心配をおかけし申し訳ありませんでした。
たくさんの奇跡
私は事故を起こしてしまったもののたくさんの奇跡が重なりました。
❶頭まであるザックを背負い、スノーシューをつけていたため、それがクッションになり、背中から落ちたにも関わらず、頭や背骨が守られた。(鞭打ちにすらならず)
❷斜度とザレ場のおかげでうまく滑り、落ちた時の衝撃が逃げた。
❸落ちた付近には大きい岩も点々とあったのに、岩の上ではなくザレ場に落ちた。
❹風はなく晴天だったので、ヘリがすぐに救助に来てくれた。
❺骨盤は骨折したが、折れた骨がズレていなかったので内臓破裂などの重症にならなかった。
これらの奇跡のおかげで、骨折した親指は元通り、骨盤も異常なくトレランやオリエンテーリングも何の問題もなくできます。ただこれらの幸運はほんとうにたまたまです。今思い起こしても生きていることが不思議なシチュエーションだったと思います。こうなっていたら、ああなっていたら、などと考えると本当に思い出したくない記憶です。
岩手山での事故と、中国の100kmレースでの事故
私が岩手山で滑落しヘリで救助された次の日、福岡からのソロ登山者が岩手山山頂付近で低体温症により動けなくなり、17:00ごろ自ら救助を呼ぶも悪天候と時間が遅かったこともありでヘリが出動できず、翌日遺体で発見されるという遭難事故がありました。
私だったかもしれない、と思いとてもつらい気持ちになりました。
また入院中、中国の甘粛省で開催された100kmのトレランレースで、急な悪天候によりトップ選手を含む21名が低体温症により命を落とすというニュースを見ました。運営側の責任なども言われたりしていましたが、命を落としてしまっては、だれの責任だろうが関係ありません。自分の命を守るのは自分なんだなと思いました。
この事故も自分が滑落事故を起こした直後だったので、他人事とは思えず大変ショックな事故でした。
その後の対策
私はオリエンテーリングや登山の他にも、トレラン、スノーボード、バックカントリーなどの山岳スポーツを楽しんでいます。それらを続けるためにもこのままではいかん、と思い退院後は以下のことをしました。
❶山岳保険加入
→未加入だった!
❷ココヘリ加入
→未加入だった!
❸山のリスクマネジメントや雪崩の本、山岳事故の記事を読む
→どこかで自分は事故らない他人事と考えていたため、これまで目を通すことがあまりなかった。実際には誰にでも事故は起きる、ということが分かった。
❹ホイッスルは口元らへんに必ず装備
→この滑落でスマホがぶっ壊れ、自分では外との連絡手段が絶たれてしまった。何かがあったときに居場所を知らせるツールが必要と感じた。
❺ツェルト購入、張り方練習
→ビバークすることになってしまった時の備え
❻生きて返ることが最大の目標、危険なことはしない
→臆病に山を楽しむようになった。
そんなの当たり前だろ、と思う方もいると思いますが、けがをする前の私にとっては恥ずかしながらそうではありませんでした。私のような人が同じ経験をすることがないよう、参考にしていただければ幸いです。
世界選手権ミドル予選で30箇所蜂に刺された事故
自己紹介でもすこし触れましたが、私はWOC2018のミドル予選で蜂に体中30箇所を刺される事故に遭いました。
経緯としては、前を走るランナーが地バチの蜂の巣を踏み抜いたようで、地面から煙のように蜂が沸き上がっていました(まるで熊のプーさんの蜂みたいでした)。そこに私が通りがかり、虫が湧いているな、と認識した時には蜂に襲われていました。約10~20m先には、私の目指すポストが見えていました。
蜂は一度刺すとその臭いを追ってほかの蜂も刺しに来るそうで、私は一度競技を続行しようと試みましたが、ポストに近づこうとして再び蜂に襲われてしまいました。結果、頭部や、黒い衣類を付けていた腕を中心に30箇所刺されました。
悲鳴を上げ頭にくっついてくる蜂を搔きむしりながら、逃げ回り、異変に気が付いたメディアのイケメンカメラマンに助け出されました。そして、救急車を呼んでもらい、私と私のGPSは時速100kmでマップアウト。病院に運ばれました。
驚いたのは、ルート上でしかもポストの近くに蜂が大量に湧いていたのに、競技中に襲われたのが私だけだったということです。黒い髪と黒いアームカバー、ソックスを身に着けていたからだと思います。同じ黒髪のアジア勢もいましたが、衣類は黒ではなかったので襲われなかったんでしょうか。。。謎です。
この経験から、夏は黒いウェアは怖くて身に着けるのをやめました。
トリムが黒い方は本当に注意が必要です。
他人事ではありません。その時は突然やってきます。
事故後の同年10月、トレランでも九死に一生!?
私はこれまで、蜂に襲われ、滑落で骨盤を骨折し、次に来る不幸は熊に違いない!と思い、熊の対策をいろいろと調べたり勉強をしました。そして、熊を見つけてしまったら背中を向けずにゆっくり下がる、最悪持ち物を放棄して気をそらす、大声を出さない、などと出会ってしまった時をイメージして過ごしていました。
そして、滑落した同年の10月、栗駒山に紅葉トレランに行きました。小さいトレランザックには熊スプレー、熊鈴ももちろん携帯し、早朝の登山道を走っていました。風が少しあり、つづら折りで、両脇の藪が高い場所でした。つづら折りを曲がった瞬間、目の前に熊がこちらを向いて座っていたのです!手を伸ばせば届く距離です!
あまりにも近い位置に急に熊が現れたことに驚き、気が付いたら
ぎゃあああああああああああああああああああああ
と大声を出して後ろをついてきた仲間に背中ごとぶつかりました。
熊も突然のことで驚いたのか、くるりと向きを変えて藪のある斜面を下の方に逃げていきました。ほんの2~3秒の出来事でしたが、訳が分からず数分間動けませんでした。せっかく準備した熊スプレーは出す暇なんてありませんでした。滑落に続き、今度は熊に襲われるところだったと思い、本当に最悪な気分でした。
その後の対策としては、見通しが悪いところでは鈴だけではなく笛を吹いたり、手を叩いて大きな音を出すようになりました。ただ、昨今のニュースでは、人を怖がらない熊が多くなっているということなので、もはや何を対策していいか分かりません。
とにかくここでも思ったことは、事故は誰にでも起こる、と再認識しました。
最後に
私の事故の経験を書くことは、恥をさらすことではないか、自分の不注意を不快に思う人もいるのでは、責められたられたらいやだな、など色々な嫌な感情があり、ずっと何かに残すことをためらっていました。ですが、読んでいただいた方には、自身の山との向き合い方やリスクを今一度考えていただき、山岳スポーツを楽しんでいただければ幸いです。
いろんなスタイルがありますし、あれもこれもこうしなければいけない!!!と説教臭く言うつもりはありません。
正解はないと思うので、スタイルに合わせて備えをしつつ末永く山を楽しみましょう!
これまで色々な事故に遭ってきましたが、家族をはじめたくさんの方に支えてもらいました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました!
以上、滑落事故の経験談でした。
ご清覧ありがとうございました。