オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

疲れたサラリーマンが「またオリエンテーリングをしたい」と考えるようになった話

文責:横浜オリエンテーリングクラブ 田邉拓也

f:id:orienadvent:20201128223448j:plain

2017年12月、オリエンテーリングとの関わり方を変える重要な大会があった。
香川県で開催された全日本リレーである。度重なる長時間残業、一向に減らないタスク、慣れない新潟の土地。当時私は社会人4年目で、社会の荒波に揉まれた典型的な疲れたサラリーマンであった。

OBになってからの日々、どこかオリエンテーリングに対して斜に構えていた気がする。インカレは22歳までの期間、人生最高に熱くなれる特権、そしてその期間を抜けたらもう新しい場を見つけていかなければいけないんじゃないか、確かそんな風に考えていた。

・2014~2015年(まだインカレオフィシャルという場があった頃)

社会人1、2年目は東大OLKのマイナー校(東京医科歯科大学武蔵野大学跡見学園女子大学)および立教大学のオフィシャルを務めさせてもらった。宮川早穂、高田奈緒田中圭、松島彩夏、満井唯奈、そして東大生たち、熱く真っ直ぐにお互いの意見をぶつけて競技と向き合う彼ら彼女らとの出会いは自分に大きな刺激をもたらしてくれた。しかし、競技する当事者ではない一歩離れた立場から関わるオリエンテーリングというのは、自身が情熱を注ぎ込む対象から一種のコミュニケーションツールへと変わっていた。
オリエンテーリングを通じて大学時代に築いた人間関係のおかげで今でも楽しく過ごさせてもらっている。オリエンテーリングが自分と人とを繋げてくれる。新しい世界を見せてくれる。こんなに素晴らしいことなのに当時の自分は『変わってしまった』と思うくらいにはどこか寂しく感じていた。

f:id:orienadvent:20201128213144j:plain

OLKオフィシャル時代、マイナー校生たちとの最後の集合写真

・2016年(仕事が激化してオリエンテーリングとの関わりが薄れた頃)

社会人3年目となる2016年は、辛い年だった。仕事では大きなプロジェクトを任され、昨今では考えられないような時間、休日出勤や残業を重ね、身も心も会社でボロボロになってしまった。同時に、オフィシャルという場がなくなったことでオリエンテーリングの中で確立していた自分の居場所がいきなりなくなってぼんやりとした不安を感じていた。

その年に携わったインカレ運営を、自分はあまり楽しめなかった。平日の仕事では無力さに打ちひしがれ、休日のインカレ運営でも無力さに打ちひしがれるのは辛い日々で、あのインカレ運営で胸を張れるような仕事を多くはできなかった。最終的に、橋場くんがプレゼンして、当初はスプリント種目で使う目的で購入してもらった山川さんの大型ディスプレイをフル活用した(通称YMOD:山川大型ディスプレイ)。マルカクラウドを用いた速報ボード画面に加えて、保川くんが山中に籠もって撮ってくれた選手たちの写真を中間速報として送ってもらう演出で、なんとか会場が盛り上がってくれた。この時は心底安心した。マルカクラウドの使い方を教えてくれた岩田くんや結城くんにも大変感謝している。昨今の演出とは比べものにならないけど、周囲の助けによってなんとか形になった。

f:id:orienadvent:20201128213513j:plain

インカレロング2016 YMODの前に人だかりができた時、演出パートチーフは心底安心したのだった

そこから年度末、いよいよ現行のルールではアウトなくらい働いた。そんな状況であったからトレーニングをして走力を伸ばすことは愚か、休日に予定を入れることもできず、唯一行けた春インカレでは学生たちの輝きに胸を打たれ、同時に現在の自分の情けない姿を省みて、とても悲しくなってしまった。

f:id:orienadvent:20201128213813j:plain

教え子たちは一回り大きく成長していた、かっこよくて眩しかった

・2017年4月~9月(過酷な年度末を乗り越えて)

2017年4月、過酷な年度末を乗り越えて、考え方を変える大きな気付きを得た。人生において大切なものを、自分は選んで主張して勝ち取っていかなければいけないということだ。決して他人はその価値をわかってくれるなんて考えてはいけない。
その年に今の妻にプロポーズして結婚を決めたり、給料1ヶ月分以上するFOCUSのロードバイク(現在も最高の相棒である)を購入したり、大切なものや好きなことをその順番に選んでいくように少しずつ行動を変えていった。仕事については大型プロジェクトがまだまだ継続しており、全然暇にはならなかったけど、時折予定が合った全日本大会や東北大大会には当日参加して、そのたびにオリエンテーリングの楽しさや仲間と話す嬉しさを再認識するのを繰り返していた。

f:id:orienadvent:20201128214104j:plain

出会った初日から減価償却は済んだようなものだ

晴天の霹靂のようにその日は訪れた。
東北大在学時代からの恩人であり、現在も横浜オリエンテーリングクラブの大先輩である石塚脩之さんに全日本リレーの選手権クラスを走らないかと誘われたのだ。そしてさらに驚いたことに、舞台となる香川県のまんのう公園は自分が社会人2年目の時に仕事で担当した場所だったのだ。開催される12月には仕事で新潟に常駐することが決まっていた。この半年間の新潟常駐がいよいよオリエンテーリングとの距離が変わる『もう完全に競技ではなくなる』区切りなのかなと考えていた。しかし、ここに不思議な縁を感じて移動距離なんてどうでもよくなって「走りたいです!」と即答した。
監督の紺野俊介さんは東大OBの祐谷くんと当時慶應大学の3年生だった巨匠上島くんに加えて、なぜか3人目に自分を推薦してくれた。当日参加クラスは、当然のことであるが、どの大会も層が薄いし男女混合である。私はだいたい1位を獲得していた。それにしても、紺野さん以外が監督だったら絶対にもう1人は紺野さんを選んでいたと思う。それでも久しぶりに、人から期待をかけられるのがむず痒くて、嬉しくて、これもまた「走りたいです!」と即答した。

 

・2017年10月~(新潟での生活)
10月から新潟での常駐生活が始まった。現場での仕事はまだまだ慣れないことが多かったけれど学ぶことが多くて楽しくて、何より残業が少なかった。寒さは厳しかったけれど、平日に行ける温泉を見つけたり、西海岸公園や上潟堰公園という楽しく走れるスポットを見つけてトレーニングを積んだり、休日には佐渡島行きのフェリーに輪行して自転車で半周したり、自分はこういうことが好きな人間だったんだという感覚を徐々に取り戻していった。
ちなみに新潟は日本海側特有の砂丘地形となっており、西海岸公園は適度な傾斜のついた防砂林でトレラン・クロスカントリーには最高の練習場所だった。私は仕事が終わった後、公園の駐車場に車を停めて、ヘッドライトをつけて防砂林を走るトレーニングを習慣にしていた。何がいいかって、防砂林を夜に徘徊する人など一人もおらず、尚且つ、すぐ側はただの道路で住宅街なのだ。不整地を夜走るのにこんなに恵まれた環境はないだろう。日中は18時まで思いっきり仕事して、西海岸公園を走って、いっとうやのかさね醤油ラーメンを食べて、だいろの湯に浸かってポカポカして寝て、また元気に働く。週一でこれをやっていたが思い出すだけでも素敵な生活だった。
こんな経験から私は実は新潟が大好きだ。 

f:id:orienadvent:20201128214739j:plain

佐渡島を自分のロードバイクで巡るのはとにかく素晴らしい

f:id:orienadvent:20201128214903j:plain

見てくれ、この美しさを

f:id:orienadvent:20201128215018j:plain

西海岸公園から見える関屋分水工と日本海に沈む夕陽は絶景

全日本リレーの3週間前、不整地を走り込んで走力を取り戻していたものの、全くオリエンテーリングをしていなかったので春日山で行われる新潟県協会大会にエントリーしようとしていたら、その年は豪雪で大会が中止になってしまった。ここで感覚を取り戻せるかと考えていたので少し不安になった。
その時ふと、入籍日を12月末に決めていた自分にとって全日本リレーは独身最後のレースであるという事実に気付いた。このレースは自分にとって本当に大切な、勝負の1レースになる。誰に話すでもなくそんな予感がしていた。

このレースがダメだったら引退するとか、特に何かが変わるわけでもないのだけど、家族を持つ前にその1レースのために頑張って練習して、自分のオリエンテーリング人生を叩き込むような熱い走りをして、そしていい結果が欲しいと漠然と考えていた。寺泊あたりの砂浜を走っていたら、肩甲骨や骨盤がよく動く、いい走り方になっていることに気付いた。緊張・プレッシャーと楽しみが1:1で混ざり合った、いい精神状態に入ってきていた。

レースに向けて頭がいっぱいになると、些細な体調の変化も気になってくる。レース直前の月曜日に疲れが出て不安になったが、水曜日には身体のキレが戻っていた。1番よくピークを持って行けている時にこんな疲れが出てくることを思い出して、いよいよなんだ、とワクワクした。
出発しかけていた金曜日、現場で若干のトラブルが起こって土日の予定が危うくなった。しかし、そこで「オリエンテーリングという競技で、今年は神奈川県代表で走ります。行かせてください。」と頼み込んだらなんとか理解を得ることができた。ちなみにその時行かせてくれた協力会社の方々からは毎年「そろそろ神奈川県代表のやつ、あるの笑?」と聞かれるようになり、結構気にかけてくれるようになった。あの時勇気を出して言ってみて良かったと改めて思う。

 

・2017年12月(勝負の日と幸せな時間)
12月の香川は信じられないくらい温暖で、現場作業で雪かきすらしていた新潟とは大違いだった。仲間と楽しく観光して土曜日を過ごし、夜は一缶だけビールを飲んで明日の予想コースや展開をみんなで話した。この時初めて話した上島くんはまんのう公園の予想地図を作成して立体交差や回しについての予想を話していて、オリエンテーリングに対する造詣と情熱に圧倒された。滲み出る巨匠感。

f:id:orienadvent:20201128215924j:plainf:id:orienadvent:20201128220406j:plain

(左:新潟 右:香川)

f:id:orienadvent:20201128220836j:plain

香川県五色台

f:id:orienadvent:20201128220912j:plain

宿にて、みんなでオリエンテーリングについて語るのは久しぶりだった

勝負の日はただの発表会だと、私はよく自分に言い聞かせている。それまでの自分の成果が素直に出るだけで小細工のしようもない。その日の走順は祐谷-上島-田邉で、自分はオリエンテーリング3ヶ月振りのくせに一丁前に3走だった。

ついこの間の全日本リレーでも改めて思い出したのだが、仲間から情報をもらい、チームの力を借りて、そしてチームのみんなが頑張ってきた姿を見て気持ちを高めることができる3走が私は好きだ。アップの時から緊張はしていたものの、まんのう公園の景色は良くて、久しぶりに会う人たちもたくさんいて、嬉しくて楽しくて涙が出そうになった。
1走の祐谷はやや苦戦しているように見えたものの情報伝達がかなりわかりやすくて冷静な走りをしてくれた様子が伺えた。2走上島は15位だった順位を一気に5位まで上げてくれた。オリエンテーリングという場に再び導いてくれた方々や、久しぶりでも親しく話しかけてくれる方々、そして一緒に走ってくれる2人、出走前なのにすでにいろいろな人への感謝の気持ちでいっぱいだった。熱い展開で自分に回してくれた2人に対して誠実に、せめて自分で自分の行動を理解しながら走ろうと思った。

しかし、あの立体交差の難テレインである。加えて、立ち禁として地図には記載されてない立ち禁があるというテクニカルミーティングでの情報を、私は過剰に意識していた。
オリエンテーリングから3ヶ月も離れ、1年近く当日参加クラスしか走っていなかった私は、すぐには対応できず、1ポのルートを完全にミスして京都代表の糸賀選手にあっという間に追い付かれる。しかし、これが良かった。チェイシングになってなんとか前に出ようとするもミスして吸収される、を繰り返し、いつの間にかペースはどんどん上がっていた。勝負レッグの9→10でルートが割れる。自分は森を抜ける真っ直ぐめのルートを選び、ここからは単独走かと意気込むも、10ポで再度合流。

f:id:orienadvent:20201128221129j:plain

全日本リレー2017MEのコース

そして前方に、かつて見慣れたオレンジ色の背中が見えてきた。東京代表の前中選手である。そこで自分の中に眠っていた、『チェイシング本能』みたいな野性的な感覚が起き上がり、気持ちが猛烈に燃えた。そこから先は楽しくてしょうがない時間だった。ビジュアルを走っている時も1人だけずっと笑顔だったと人から聞かされる。パターン振りで僅かに先行したものの、最後の坂で糸賀選手に差されて(前中選手は差し切って)、4位でゴールした。この年、神奈川県男子選手権は(概ねオリエンテーリングから離れていた私のせいで)、周囲からそこまで入賞候補のチームとして認識されていなかった。それだけに4位入賞は大勝利であった。祐谷くん、上島くん、田中基士くんとゴール直後に喜び合った瞬間は今も忘れられない。前中選手も悔しがりながら帰ってきて、いろいろな選手が集まってきて笑い合う。優勝したリレー巧者の堀田選手は誇らしげに鋭い読みを語る。1枚の地図を囲んでたくさんの人がレースの記憶を語り合って笑い合う。幸せだ。ただただ幸せだ。

こんなに恵まれた時間から、自分はどうして離れようとしていたのか、何を恐れていたのか、それが全くわからなくなった。

社会人になってからもなぜオリエンテーリングを続けているのか、そう問われた時に「この日のような幸福感をまた味わいたいから」私はきっとそう答えると思う。

f:id:orienadvent:20201128221351j:plain

香川県全日本リレーの表彰式

 ---------------------------------------

ご紹介が遅れて申し訳ありませんでした。

今回ご縁あってオリエンティアアドベントカレンダーに初投稿することになりました、横浜オリエンテーリングクラブの田邉拓也と申します。

長い個人的な話をここまで読んでくださった皆様に感謝いたします。

 

私は昔から体験して考えたことや感じたことを文章に起こすのが好きです。

競技でも運営でもたいしたことをしていない自分がアドベントカレンダーに何を書いたものか、ご指名いただいた後もなかなか悩みましたが、最終的にはかつて部誌・会報を書くのに熱を上げたように『個人的な体験を徹底的に書く』ということに決めました。

 はじめは全日本リレーに救われた話を書きたくて、この大会がとても好きでずっと応援しています、という内容をエピソードとともに書きたかったのですが、いろいろな方向に話が飛んでしまいました。書いていたらどんどん記憶と感情が乗ってしまい、何を書きたかったのかテーマもはっきりしなくなったので自己紹介や記事の説明より前に口語調のエピソードが入る、という今回の構成にしてみました。

 

1点重要な教訓を述べるとするならば、

「社会人になってから斜に構えている余裕はない」ということが挙げられます。

私の場合は、社会人1,2年目に東大OLKのオフィシャルという場を与えてもらって、オリエンテーリングとの関わりが自動的に出来ていました。一方で、大切なものを大切だと言って能動的に関わりに行く態度が養われていませんでした。このことを反省しています。

そして、そもそも何が大切なのかに気付くには(醸成する発信する参加する)の3ステップが必要なのかもしれない、と考えるようになりました。

 

醸成する

こうした想いを醸成させるには、人と話をしたり、いろいろな方法がありますが、自分にとっては想いを乗せた文章を書いて、その場面を振り返りながら、何が嬉しかったのか楽しかったのか、それとも悔しかったのかを正確に表現して見つけ出すのが合っていました(まぁ、ただのJognoteの日記とかなんですけどね)。

このような体験はなかなか『話す』ということはありません。コミュニケーションは会話のキャッチボールなのでこんな長い話を聞かされた相手は立ちどころに引いてしまうことでしょう。『書く』ことでしか成し得ないものはあると考えています。

仕事でも、想いを醸成する能力が役に立つことがありました。しんどいことばかりのように上では書きましたが、6年目のある日、新人・上司を集めて仕事の紹介プレゼンをする機会でのことでした。仕事で経験したことを思い出しながら資料をまとめているうちに、いつの間にか楽しかったことや悔しかったことを、想いを込めて話すことが出来るようになり、プレゼンはかなり好評をいただいて自信になりました。

苦手だと思い続けていた仕事の好きなポイントを自分はちゃんと見つけていて、そして人が聞いて面白がってくれるくらいには語れるようになっている。こうした自分のいい方向の変化に、勇気づけられた経験でした。

 

発信する

会社の人には最近狙っている大会の話など、好きなことを発信するようにしています。全日本大会で久しぶりにM21Eを走れることになった直前期、会社の昼休みにこそこそ着替えてトレーニングをしていた時期があったのですが、ある日、使っていたトレランバックをとある先輩に見つかります。その先輩はクライミングの名手で、もしかしたら共感してくれるかもしれないと、思い切ってオリエンテーリングで全日本最高クラスへ挑戦できることを話してみました。すると、その先輩は神奈川県で未だに3人しか登ったことがない修禅寺の難コースに挑んでいるという、自身の話をしてくれました。以来、お互いトレーニング状況などを近況報告してモチベーションを上げる仲となっています。それから1年くらいして、いつの間にか私が昼にトレーニングをしているのは部署ではほぼ公然の事実となりました。

先日、14階の事務所から2階下の売店に行って戻ってきただけなのに

先輩「何、お前、もしかして階段トレーニングしてるの笑?」

私「いや、ブラックサンダー買ってきただけです笑」という一幕がありました。

 私の仕事はPM,PLなので苦手な人も含めて多くの関係者と会話をし、何かしらお願いをすることが多いです。その上で周りからもわかりやすいキャラクターというのはコミュニケーションの円滑化に繋がり、意外と仕事でも役に立っているみたいです。

 

参加する

エントリーは最重要事項です。予定が合うか、実力が合うかは二の次です。

エントリーさえすれば、都合を合わせるため、実力を合わせるために何が必要かを考え、行動するようになります。最近は他のスポーツにも意欲的に参加できており、昨年・今年でトライアスロン、フルマラソン、アドベンチャーレース、スカイランニングなどに挑戦することができました。

アドベンチャーレースは稲毛さんに誘われて、10月の那珂川大会に挑みました。私はそもそも6~10時間といったレベルのエンデュランスレースが得意ではなく、当日はよりによって一日中雨でした。準備の時点からかなり怯えていたのですが、「命を守るため、命を守るため(アウトドア用品ってなんでこう、かっこいいのかなぁ!)」と唱えながら石井スポーツに7万円を課金する、立派な『my new gear...おじさん』の仲間入りを果たしました(自分をチャネルにして会社の金が推しの業界に流れるなんて最高ですよね)

f:id:orienadvent:20201128222527j:plain

命を守るために活躍したmy new gear...たち

f:id:orienadvent:20201128222626j:plain

3人クラスでは優勝、スパモニ探検隊の仲間に入れていただき楽しくレースしました!

f:id:orienadvent:20201128222833j:plain

京葉OLクラブのsatoくんと出場した新島トライアスロン

今回アドベントカレンダーに執筆させていただいたのも『参加する』の一つです。

演出や地図作成の技術、運営ノウハウや外部団体との交流など、面白くて優れた著作がたくさんある中で、私はこうしてそれほど役にも立たない記事を書いているので全く引け目に感じないわけではないですが、これからもオリエンテーリング界隈に参加する意思があるんだから、まずは書いてみよう!と考えました。

 

さて、そろそろ締め括りに入ろうと思います。

書いてはみたものの、社会人になってもオリエンテーリングやその他のスポーツを競技として続けるのは依然として難しいです。遠征翌日の仕事は眠くて失神しそうになりますし、せっかくトレーニングがいい感じに積めたというのに仕事が忙しくてコンディションを崩してがっかりしてしまうこともあります。

それでも現実に折り合いをつけながらオリエンテーリングに関わっていきたいという人にとって少しでも参考になれば、と願うばかりです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

そして、ここに書く機会をくださった田中基成くんと、この記事を書くにあたって助言をくださった石塚脩之さんに大変感謝しています。ありがとうございました。

 

横浜オリエンテーリングクラブ 田邉