オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

ロングセレMF35位がインカレエリートになるまで

こんにちは.2020年度オリエンテーリングアドベントカレンダーの3日目を担当させていただきます宮嶋哲矢と申します.

 

簡単に自己紹介をしますと,現在千葉大学の4年生(2017年度入学)で,地域クラブの京葉オリエンテーリングクラブや長野県協会の一員としても活動をさせていただいています.大会での目立った実績はほとんどありませんがインカレの選手権クラスに出場できるくらいにはオリエンテーリングを頑張っています.

 

今回アドベントカレンダーを執筆するにあたり私にはこれと言って自慢できることが無くどうしようか悩みましたが,オリエンテーリングを始めてからの4年間で競技面でどのようにオリエンテーリングに向き合ってきたかを書かせていただきたいと思います.というのもオリエンテーリングは未熟だけどインカレで活躍する選手たちに憧れていつか自分もあの舞台に立ちたい!という方々はたくさんいらっしゃると思います.何を隠そう自分もその一人でした.インカレ入賞や日本代表までとはいかなくともまずはインカレエリートになりたい!そういった人たちにどのようにオリエンテーリングに向き合えばインカレの舞台までたどり着けるか,私の場合を知っていただきたいと思いこのテーマにしました.(過去の自分に向けたテーマでもあるわけです.)

 

まず私のバックボーンについてお話しします.高校時代の部活は山岳班でした.普段の練習は特になく,月一くらいで週末に登山に行くという超ゆるゆるの部活でした.そのため特に足が速かったり体力があったりするわけではありませんでした.またオリエンテーリングの才能もなく,いわゆる「ド素人」「凡人」でした.タイトルにもあるように,1年時の関東学連ロングセレではMF35位であったほか,新人戦では約60人中44位でした.はい.オリエンテーリングが好きなのは今でも変わりませんが,当時はいくらやってもミスばかりでモヤモヤしていたのを今でも覚えています.

インカレとの出会い

そんな小僧だった私の中で大きなターニングポイントとなった出来事は1年の秋インカレでした.私は会場で選手権クラスが始まるのをのほほんと待っていましたが,少しずつリズムに合わせた応援がポツポツと聞こえてくるのです.そしていつしか会場中が応援の声で埋め尽くされていきました.そこでは各大学のメンバーたち全員が自分の大学やクラブのエリート選手たちを声が枯れるまで応援していました.ロングにしてみれば1時間以上,届いているかもわからない声援を送り続けているのです.先輩方が口酸っぱく言っていた「インカレ」「エリート」がこんなにアツく価値のあるものなのかというものを実感した衝撃的な出来事でした.

 

その時から「インカレ」を4年間の明確な目標にしてオリエンテーリングに取り組むようになりました.

続けて,インカレのエリートになるにはどうすればいいのか,自分で考えたり先輩に聞いたりしました.その結果一番の近道はトレーニングを積むことだという結論に至りました.

エリートへの道① トレをしよう

幸いにも当時の千葉大にはいつも暇そうに部室にいる先輩がいました(誉め言葉).その先輩たちにトレしましょう!と言うといつでも一緒にトレをしてくれたのでそのおかげで毎日トレーニングをするという習慣がついていきました.1年生のうちにこの習慣がついたのは今思えば本当に大きかったと実感しています.

 

トレの内容についてですが,1年生の時から多少変遷はありますが,主に次のようなことをしてきました.

・稲毛防風林

大学から2.5kmほどの場所に通称「防風林」と呼ばれるちょっとした林があります.トレ内容としてはジョグで行って1周600mのコースを6周して帰ります.不整地かつアップダウンがあるところを3~4km走り続けるのでオリエンテーリングの実践に近いトレーニングができます.

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稲毛防風林.ガチA薮が広がります.

・ポートタワー

大学から4.5kmのところの千葉市の名所 (?) です.街中を走るので信号が多いですがそれを逆手に取って,信号から信号までは全力で走り,赤信号の数十秒間休むといった中距離のインターバルをしています.日によってどの信号で止まるか変わるので精神的にも鍛えられます.

千葉公園

大学から2kmの公園です.公園内に100mごとに目印のある1周600mのコースがあるのでそこで400m-400mのインターバルを5,6周やります.

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千葉公園

 

これらのメニューに共通しているのはメリハリがしっかりしているということです.トレーニングのどこかで自分の限界に達する場面があり,そこで踏ん張ることで力になっていることを実感しています.特にインターバルをメニューに取り入れた2年生の途中あたりから体力がみるみるうちについていったのでインターバルの効果は絶大だと思います.

これらのメニューを中心にジョグやスプリントを混ぜながら平日のトレーニングをしています.レストデーは週1くらいです.このような内容で月間180kmくらい走っています.

 

この月180km,多いか少ないかは人それぞれではありますが個人的には決して多いほうではないと思っています.というのも当時先輩たちにはインカレエリートのボーダーは月200kmとも250kmとも言われてきたからです.黄金世代と呼ばれる15年度入学をはじめとしてその時の選手のレベルが高かったのもあるとは思いますが,それでもこれだけの距離で体力がついていったのは継続できたこと,そしてメリハリのあるトレができたことだと思います.だから100kmでも50kmでもきちんとメリハリのあるトレができていれば確実に力はついていくと考えています.

エリートへの道② オリエンに行こう

普段のトレ以外にも大事なのはオリエンテーリングに行くことです.特に私のようにセンスのない人間はとにかく数をこなしてテレイン内の距離感や地形のスケール感や方向感覚を養ったり,森の中での走り方や速いルートの見極めやペース配分などを経験で掴んだりする必要がありました.また,当然ですが森を走るのを速くなるためには森を走るのが一番です.体力的にも実際にオリエンテーリングをすることで向上させることができると考えています.

 

ざっくりではありますがこのようにして私はコツコツと泥臭くオリエンテーリング競技に向き合ってきました.

ですが初めてインカレセレを通過したのは3年のロングセレでした.実に2年以上かかりました.自分なりにストイックに頑張ってきたという思いもあったため,なかなか上達しない状況が非常につらい期間でした.特に年に数回訪れるセレ落ちの直後はガツンと堪えるものがありました.(もちろんトレの内容が薄い,足りないというご指摘もあるとは思いますが.)

 

それでも腐らず頑張れたのは,インカレという舞台で活躍する先輩方や同期からの刺激,オリエンテーリングを通して出会った繋がり,先輩たちとトレをした日々,そして何よりオリエンテーリングが好きだったからです.「好之者不如楽之者」(これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)とはよく言ったものだと思います.

まとめ

言いたいことをまとめます.ひとまずインカレエリートになるということだけを考えたとき,臭ぇな!と言われてしまうかもしれませんが,努力は必ず報われます.ちゃんと言うと,オリエン向いてないかも…という人でも焦らずトレとオリエンの継続をしていれば4年間で必ずその目標は達成できます.自分がそうだったからです.だから自分を信じて続けていってほしいです.すごく精神論っぽくなってしまいましたがだまされたと思ってぜひ頑張ってほしいです.そうすれば必ずあの最高の舞台に立つことができます.

 

中途半端なことしか書けませんでしたが以上でお話を終わりにさせていただこうと思います.最後になりましたが改めて私はオリエンテーリングが大好きです!そんなオリエンテーリング界を支えてくださるすべての方々に感謝をして締めとさせていただきます.

ありがとうございました.

疲れたサラリーマンが「またオリエンテーリングをしたい」と考えるようになった話

文責:横浜オリエンテーリングクラブ 田邉拓也

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2017年12月、オリエンテーリングとの関わり方を変える重要な大会があった。
香川県で開催された全日本リレーである。度重なる長時間残業、一向に減らないタスク、慣れない新潟の土地。当時私は社会人4年目で、社会の荒波に揉まれた典型的な疲れたサラリーマンであった。

OBになってからの日々、どこかオリエンテーリングに対して斜に構えていた気がする。インカレは22歳までの期間、人生最高に熱くなれる特権、そしてその期間を抜けたらもう新しい場を見つけていかなければいけないんじゃないか、確かそんな風に考えていた。

・2014~2015年(まだインカレオフィシャルという場があった頃)

社会人1、2年目は東大OLKのマイナー校(東京医科歯科大学武蔵野大学跡見学園女子大学)および立教大学のオフィシャルを務めさせてもらった。宮川早穂、高田奈緒田中圭、松島彩夏、満井唯奈、そして東大生たち、熱く真っ直ぐにお互いの意見をぶつけて競技と向き合う彼ら彼女らとの出会いは自分に大きな刺激をもたらしてくれた。しかし、競技する当事者ではない一歩離れた立場から関わるオリエンテーリングというのは、自身が情熱を注ぎ込む対象から一種のコミュニケーションツールへと変わっていた。
オリエンテーリングを通じて大学時代に築いた人間関係のおかげで今でも楽しく過ごさせてもらっている。オリエンテーリングが自分と人とを繋げてくれる。新しい世界を見せてくれる。こんなに素晴らしいことなのに当時の自分は『変わってしまった』と思うくらいにはどこか寂しく感じていた。

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OLKオフィシャル時代、マイナー校生たちとの最後の集合写真

・2016年(仕事が激化してオリエンテーリングとの関わりが薄れた頃)

社会人3年目となる2016年は、辛い年だった。仕事では大きなプロジェクトを任され、昨今では考えられないような時間、休日出勤や残業を重ね、身も心も会社でボロボロになってしまった。同時に、オフィシャルという場がなくなったことでオリエンテーリングの中で確立していた自分の居場所がいきなりなくなってぼんやりとした不安を感じていた。

その年に携わったインカレ運営を、自分はあまり楽しめなかった。平日の仕事では無力さに打ちひしがれ、休日のインカレ運営でも無力さに打ちひしがれるのは辛い日々で、あのインカレ運営で胸を張れるような仕事を多くはできなかった。最終的に、橋場くんがプレゼンして、当初はスプリント種目で使う目的で購入してもらった山川さんの大型ディスプレイをフル活用した(通称YMOD:山川大型ディスプレイ)。マルカクラウドを用いた速報ボード画面に加えて、保川くんが山中に籠もって撮ってくれた選手たちの写真を中間速報として送ってもらう演出で、なんとか会場が盛り上がってくれた。この時は心底安心した。マルカクラウドの使い方を教えてくれた岩田くんや結城くんにも大変感謝している。昨今の演出とは比べものにならないけど、周囲の助けによってなんとか形になった。

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インカレロング2016 YMODの前に人だかりができた時、演出パートチーフは心底安心したのだった

そこから年度末、いよいよ現行のルールではアウトなくらい働いた。そんな状況であったからトレーニングをして走力を伸ばすことは愚か、休日に予定を入れることもできず、唯一行けた春インカレでは学生たちの輝きに胸を打たれ、同時に現在の自分の情けない姿を省みて、とても悲しくなってしまった。

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教え子たちは一回り大きく成長していた、かっこよくて眩しかった

・2017年4月~9月(過酷な年度末を乗り越えて)

2017年4月、過酷な年度末を乗り越えて、考え方を変える大きな気付きを得た。人生において大切なものを、自分は選んで主張して勝ち取っていかなければいけないということだ。決して他人はその価値をわかってくれるなんて考えてはいけない。
その年に今の妻にプロポーズして結婚を決めたり、給料1ヶ月分以上するFOCUSのロードバイク(現在も最高の相棒である)を購入したり、大切なものや好きなことをその順番に選んでいくように少しずつ行動を変えていった。仕事については大型プロジェクトがまだまだ継続しており、全然暇にはならなかったけど、時折予定が合った全日本大会や東北大大会には当日参加して、そのたびにオリエンテーリングの楽しさや仲間と話す嬉しさを再認識するのを繰り返していた。

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出会った初日から減価償却は済んだようなものだ

晴天の霹靂のようにその日は訪れた。
東北大在学時代からの恩人であり、現在も横浜オリエンテーリングクラブの大先輩である石塚脩之さんに全日本リレーの選手権クラスを走らないかと誘われたのだ。そしてさらに驚いたことに、舞台となる香川県のまんのう公園は自分が社会人2年目の時に仕事で担当した場所だったのだ。開催される12月には仕事で新潟に常駐することが決まっていた。この半年間の新潟常駐がいよいよオリエンテーリングとの距離が変わる『もう完全に競技ではなくなる』区切りなのかなと考えていた。しかし、ここに不思議な縁を感じて移動距離なんてどうでもよくなって「走りたいです!」と即答した。
監督の紺野俊介さんは東大OBの祐谷くんと当時慶應大学の3年生だった巨匠上島くんに加えて、なぜか3人目に自分を推薦してくれた。当日参加クラスは、当然のことであるが、どの大会も層が薄いし男女混合である。私はだいたい1位を獲得していた。それにしても、紺野さん以外が監督だったら絶対にもう1人は紺野さんを選んでいたと思う。それでも久しぶりに、人から期待をかけられるのがむず痒くて、嬉しくて、これもまた「走りたいです!」と即答した。

 

・2017年10月~(新潟での生活)
10月から新潟での常駐生活が始まった。現場での仕事はまだまだ慣れないことが多かったけれど学ぶことが多くて楽しくて、何より残業が少なかった。寒さは厳しかったけれど、平日に行ける温泉を見つけたり、西海岸公園や上潟堰公園という楽しく走れるスポットを見つけてトレーニングを積んだり、休日には佐渡島行きのフェリーに輪行して自転車で半周したり、自分はこういうことが好きな人間だったんだという感覚を徐々に取り戻していった。
ちなみに新潟は日本海側特有の砂丘地形となっており、西海岸公園は適度な傾斜のついた防砂林でトレラン・クロスカントリーには最高の練習場所だった。私は仕事が終わった後、公園の駐車場に車を停めて、ヘッドライトをつけて防砂林を走るトレーニングを習慣にしていた。何がいいかって、防砂林を夜に徘徊する人など一人もおらず、尚且つ、すぐ側はただの道路で住宅街なのだ。不整地を夜走るのにこんなに恵まれた環境はないだろう。日中は18時まで思いっきり仕事して、西海岸公園を走って、いっとうやのかさね醤油ラーメンを食べて、だいろの湯に浸かってポカポカして寝て、また元気に働く。週一でこれをやっていたが思い出すだけでも素敵な生活だった。
こんな経験から私は実は新潟が大好きだ。 

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佐渡島を自分のロードバイクで巡るのはとにかく素晴らしい

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見てくれ、この美しさを

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西海岸公園から見える関屋分水工と日本海に沈む夕陽は絶景

全日本リレーの3週間前、不整地を走り込んで走力を取り戻していたものの、全くオリエンテーリングをしていなかったので春日山で行われる新潟県協会大会にエントリーしようとしていたら、その年は豪雪で大会が中止になってしまった。ここで感覚を取り戻せるかと考えていたので少し不安になった。
その時ふと、入籍日を12月末に決めていた自分にとって全日本リレーは独身最後のレースであるという事実に気付いた。このレースは自分にとって本当に大切な、勝負の1レースになる。誰に話すでもなくそんな予感がしていた。

このレースがダメだったら引退するとか、特に何かが変わるわけでもないのだけど、家族を持つ前にその1レースのために頑張って練習して、自分のオリエンテーリング人生を叩き込むような熱い走りをして、そしていい結果が欲しいと漠然と考えていた。寺泊あたりの砂浜を走っていたら、肩甲骨や骨盤がよく動く、いい走り方になっていることに気付いた。緊張・プレッシャーと楽しみが1:1で混ざり合った、いい精神状態に入ってきていた。

レースに向けて頭がいっぱいになると、些細な体調の変化も気になってくる。レース直前の月曜日に疲れが出て不安になったが、水曜日には身体のキレが戻っていた。1番よくピークを持って行けている時にこんな疲れが出てくることを思い出して、いよいよなんだ、とワクワクした。
出発しかけていた金曜日、現場で若干のトラブルが起こって土日の予定が危うくなった。しかし、そこで「オリエンテーリングという競技で、今年は神奈川県代表で走ります。行かせてください。」と頼み込んだらなんとか理解を得ることができた。ちなみにその時行かせてくれた協力会社の方々からは毎年「そろそろ神奈川県代表のやつ、あるの笑?」と聞かれるようになり、結構気にかけてくれるようになった。あの時勇気を出して言ってみて良かったと改めて思う。

 

・2017年12月(勝負の日と幸せな時間)
12月の香川は信じられないくらい温暖で、現場作業で雪かきすらしていた新潟とは大違いだった。仲間と楽しく観光して土曜日を過ごし、夜は一缶だけビールを飲んで明日の予想コースや展開をみんなで話した。この時初めて話した上島くんはまんのう公園の予想地図を作成して立体交差や回しについての予想を話していて、オリエンテーリングに対する造詣と情熱に圧倒された。滲み出る巨匠感。

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(左:新潟 右:香川)

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香川県五色台

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宿にて、みんなでオリエンテーリングについて語るのは久しぶりだった

勝負の日はただの発表会だと、私はよく自分に言い聞かせている。それまでの自分の成果が素直に出るだけで小細工のしようもない。その日の走順は祐谷-上島-田邉で、自分はオリエンテーリング3ヶ月振りのくせに一丁前に3走だった。

ついこの間の全日本リレーでも改めて思い出したのだが、仲間から情報をもらい、チームの力を借りて、そしてチームのみんなが頑張ってきた姿を見て気持ちを高めることができる3走が私は好きだ。アップの時から緊張はしていたものの、まんのう公園の景色は良くて、久しぶりに会う人たちもたくさんいて、嬉しくて楽しくて涙が出そうになった。
1走の祐谷はやや苦戦しているように見えたものの情報伝達がかなりわかりやすくて冷静な走りをしてくれた様子が伺えた。2走上島は15位だった順位を一気に5位まで上げてくれた。オリエンテーリングという場に再び導いてくれた方々や、久しぶりでも親しく話しかけてくれる方々、そして一緒に走ってくれる2人、出走前なのにすでにいろいろな人への感謝の気持ちでいっぱいだった。熱い展開で自分に回してくれた2人に対して誠実に、せめて自分で自分の行動を理解しながら走ろうと思った。

しかし、あの立体交差の難テレインである。加えて、立ち禁として地図には記載されてない立ち禁があるというテクニカルミーティングでの情報を、私は過剰に意識していた。
オリエンテーリングから3ヶ月も離れ、1年近く当日参加クラスしか走っていなかった私は、すぐには対応できず、1ポのルートを完全にミスして京都代表の糸賀選手にあっという間に追い付かれる。しかし、これが良かった。チェイシングになってなんとか前に出ようとするもミスして吸収される、を繰り返し、いつの間にかペースはどんどん上がっていた。勝負レッグの9→10でルートが割れる。自分は森を抜ける真っ直ぐめのルートを選び、ここからは単独走かと意気込むも、10ポで再度合流。

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全日本リレー2017MEのコース

そして前方に、かつて見慣れたオレンジ色の背中が見えてきた。東京代表の前中選手である。そこで自分の中に眠っていた、『チェイシング本能』みたいな野性的な感覚が起き上がり、気持ちが猛烈に燃えた。そこから先は楽しくてしょうがない時間だった。ビジュアルを走っている時も1人だけずっと笑顔だったと人から聞かされる。パターン振りで僅かに先行したものの、最後の坂で糸賀選手に差されて(前中選手は差し切って)、4位でゴールした。この年、神奈川県男子選手権は(概ねオリエンテーリングから離れていた私のせいで)、周囲からそこまで入賞候補のチームとして認識されていなかった。それだけに4位入賞は大勝利であった。祐谷くん、上島くん、田中基士くんとゴール直後に喜び合った瞬間は今も忘れられない。前中選手も悔しがりながら帰ってきて、いろいろな選手が集まってきて笑い合う。優勝したリレー巧者の堀田選手は誇らしげに鋭い読みを語る。1枚の地図を囲んでたくさんの人がレースの記憶を語り合って笑い合う。幸せだ。ただただ幸せだ。

こんなに恵まれた時間から、自分はどうして離れようとしていたのか、何を恐れていたのか、それが全くわからなくなった。

社会人になってからもなぜオリエンテーリングを続けているのか、そう問われた時に「この日のような幸福感をまた味わいたいから」私はきっとそう答えると思う。

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香川県全日本リレーの表彰式

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ご紹介が遅れて申し訳ありませんでした。

今回ご縁あってオリエンティアアドベントカレンダーに初投稿することになりました、横浜オリエンテーリングクラブの田邉拓也と申します。

長い個人的な話をここまで読んでくださった皆様に感謝いたします。

 

私は昔から体験して考えたことや感じたことを文章に起こすのが好きです。

競技でも運営でもたいしたことをしていない自分がアドベントカレンダーに何を書いたものか、ご指名いただいた後もなかなか悩みましたが、最終的にはかつて部誌・会報を書くのに熱を上げたように『個人的な体験を徹底的に書く』ということに決めました。

 はじめは全日本リレーに救われた話を書きたくて、この大会がとても好きでずっと応援しています、という内容をエピソードとともに書きたかったのですが、いろいろな方向に話が飛んでしまいました。書いていたらどんどん記憶と感情が乗ってしまい、何を書きたかったのかテーマもはっきりしなくなったので自己紹介や記事の説明より前に口語調のエピソードが入る、という今回の構成にしてみました。

 

1点重要な教訓を述べるとするならば、

「社会人になってから斜に構えている余裕はない」ということが挙げられます。

私の場合は、社会人1,2年目に東大OLKのオフィシャルという場を与えてもらって、オリエンテーリングとの関わりが自動的に出来ていました。一方で、大切なものを大切だと言って能動的に関わりに行く態度が養われていませんでした。このことを反省しています。

そして、そもそも何が大切なのかに気付くには(醸成する発信する参加する)の3ステップが必要なのかもしれない、と考えるようになりました。

 

醸成する

こうした想いを醸成させるには、人と話をしたり、いろいろな方法がありますが、自分にとっては想いを乗せた文章を書いて、その場面を振り返りながら、何が嬉しかったのか楽しかったのか、それとも悔しかったのかを正確に表現して見つけ出すのが合っていました(まぁ、ただのJognoteの日記とかなんですけどね)。

このような体験はなかなか『話す』ということはありません。コミュニケーションは会話のキャッチボールなのでこんな長い話を聞かされた相手は立ちどころに引いてしまうことでしょう。『書く』ことでしか成し得ないものはあると考えています。

仕事でも、想いを醸成する能力が役に立つことがありました。しんどいことばかりのように上では書きましたが、6年目のある日、新人・上司を集めて仕事の紹介プレゼンをする機会でのことでした。仕事で経験したことを思い出しながら資料をまとめているうちに、いつの間にか楽しかったことや悔しかったことを、想いを込めて話すことが出来るようになり、プレゼンはかなり好評をいただいて自信になりました。

苦手だと思い続けていた仕事の好きなポイントを自分はちゃんと見つけていて、そして人が聞いて面白がってくれるくらいには語れるようになっている。こうした自分のいい方向の変化に、勇気づけられた経験でした。

 

発信する

会社の人には最近狙っている大会の話など、好きなことを発信するようにしています。全日本大会で久しぶりにM21Eを走れることになった直前期、会社の昼休みにこそこそ着替えてトレーニングをしていた時期があったのですが、ある日、使っていたトレランバックをとある先輩に見つかります。その先輩はクライミングの名手で、もしかしたら共感してくれるかもしれないと、思い切ってオリエンテーリングで全日本最高クラスへ挑戦できることを話してみました。すると、その先輩は神奈川県で未だに3人しか登ったことがない修禅寺の難コースに挑んでいるという、自身の話をしてくれました。以来、お互いトレーニング状況などを近況報告してモチベーションを上げる仲となっています。それから1年くらいして、いつの間にか私が昼にトレーニングをしているのは部署ではほぼ公然の事実となりました。

先日、14階の事務所から2階下の売店に行って戻ってきただけなのに

先輩「何、お前、もしかして階段トレーニングしてるの笑?」

私「いや、ブラックサンダー買ってきただけです笑」という一幕がありました。

 私の仕事はPM,PLなので苦手な人も含めて多くの関係者と会話をし、何かしらお願いをすることが多いです。その上で周りからもわかりやすいキャラクターというのはコミュニケーションの円滑化に繋がり、意外と仕事でも役に立っているみたいです。

 

参加する

エントリーは最重要事項です。予定が合うか、実力が合うかは二の次です。

エントリーさえすれば、都合を合わせるため、実力を合わせるために何が必要かを考え、行動するようになります。最近は他のスポーツにも意欲的に参加できており、昨年・今年でトライアスロン、フルマラソン、アドベンチャーレース、スカイランニングなどに挑戦することができました。

アドベンチャーレースは稲毛さんに誘われて、10月の那珂川大会に挑みました。私はそもそも6~10時間といったレベルのエンデュランスレースが得意ではなく、当日はよりによって一日中雨でした。準備の時点からかなり怯えていたのですが、「命を守るため、命を守るため(アウトドア用品ってなんでこう、かっこいいのかなぁ!)」と唱えながら石井スポーツに7万円を課金する、立派な『my new gear...おじさん』の仲間入りを果たしました(自分をチャネルにして会社の金が推しの業界に流れるなんて最高ですよね)

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命を守るために活躍したmy new gear...たち

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3人クラスでは優勝、スパモニ探検隊の仲間に入れていただき楽しくレースしました!

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京葉OLクラブのsatoくんと出場した新島トライアスロン

今回アドベントカレンダーに執筆させていただいたのも『参加する』の一つです。

演出や地図作成の技術、運営ノウハウや外部団体との交流など、面白くて優れた著作がたくさんある中で、私はこうしてそれほど役にも立たない記事を書いているので全く引け目に感じないわけではないですが、これからもオリエンテーリング界隈に参加する意思があるんだから、まずは書いてみよう!と考えました。

 

さて、そろそろ締め括りに入ろうと思います。

書いてはみたものの、社会人になってもオリエンテーリングやその他のスポーツを競技として続けるのは依然として難しいです。遠征翌日の仕事は眠くて失神しそうになりますし、せっかくトレーニングがいい感じに積めたというのに仕事が忙しくてコンディションを崩してがっかりしてしまうこともあります。

それでも現実に折り合いをつけながらオリエンテーリングに関わっていきたいという人にとって少しでも参考になれば、と願うばかりです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

そして、ここに書く機会をくださった田中基成くんと、この記事を書くにあたって助言をくださった石塚脩之さんに大変感謝しています。ありがとうございました。

 

横浜オリエンテーリングクラブ 田邉

 

田舎から渇望されるスポーツになろう

八ヶ岳レジャーセンター大泉の近藤です。

山梨県北杜市にある宿屋で今はオリエンテーリング関係者の皆様を中心にスポーツ合宿所の様な形で運営をしております。周囲はいくつものテレインに囲まれている=田舎です。

今回はそんな田舎に住んでいる個人として、田舎で事業を営んでいる事業者として、オリエンテーリングが今後発展していくにはどうすれば良いかについての見解を寄稿致します。

私が「こういう世界になれば、もっと好き勝手オリエンテーリング出来る様になるんじゃないか」という希望を書き連ねた物なので、そのあたりはご理解頂いた上でお読みください。

●田舎はアウトドアスポーツを求めている!

 田舎では都会に住んでいる皆様が驚く様な速度と加速度で高齢化が進んでいます。これによって田舎の経済は衰退し活気が失われています。これと相性が良いのがアウトドアスポーツで、実際に北杜市では自転車やトレイルランニングの大会が年間複数回開催されており多くの参加者を集めています。北杜市より顕著な所は山ほどあるかと思いますので、そういったスポーツイベントを歓迎してくれる地域は文字通り山の様にあるはずです。

 山林を縦横無尽に走るオリエンテーリングは、当該地域においてより多くの理解を得て実施されなければ成立しないスポーツです。そして地域の多くの人から理解を得ていれば得ている程、テレインが制約少なく永く使える様になると思います。

オリエンテーリングはそこまで求められていない!

 オリエンテーリングもこの類のスポーツに含まれますが、北杜市においてはトレランや自転車程地域から引く手が多いという状況では無いと感じています。トレランや自転車の大会は開催地域ぐるみの一大プロジェクトや毎年のお祭りという感じがしますが、残念ながらオリエンテーリングの大会はそこまでには至っていない印象です。

 その理由としてオリエンテーリングと他スポーツの違いとして、①経済活動規模が小さい②時期や場所が不定、という2点があると考えています。①について、他スポーツは社会人の参加者が多く一人当たりの消費額が大きいです。また、運営者の事前準備だけでなく、競技者の事前試走の需要もあります。②について、他のスポーツですと毎年大会の開催時期が決まっていて会場もコース決まっています。地域としてはどの時期にどの程度の活動が行われるのか予想しやすく、また一度お客さんを掴めばその次の年以降の集客も見込めます。また、前例を重んじる役所への通りも良いです。

●もっと地域にお金を落とそう、落とさせよう!

 オリエンテーリングの大会が行われた時、テレイン近辺にどの程度のお金がもたらされるのでしょうか。事業者という目線から言えばお金を落としてくれる人達を歓迎するのは当然です。しかし、「当日早朝に出発して会場につき、走り終わったらコンビニで買った昼食を食べ、そのまま帰る」という様な遠征ではあまり歓迎されないように思います。「前日の夜に着き、テレイン近くの宿に泊まり、昼食は会場の出店や近所の飲食店で食べ、温泉に入って帰る」という行動をする事で地域に沢山お金が落ちます。

 大会に参加する人全員がそれを意識して行えるのであればそれで良いのですが、運営者側にもいくつか出来る事があるのではないかと考えています。一つはスタート時間を早める事で前日入りを促し、また大会終了を早める事で大会後にその地域で滞在する誘因を高める事が出来ると考えています。また、出店者に関してもワンコインでの価格設定や大会参加費に出店での飲食代を含めてしまう(複数出店者がいる場合は工夫が必要ですが…)等の方策もあるかと思います。あくまで一つの打ち手なので、もっと効果的な方法はあるかもしれませんが。

●自分達が地図を作った地域に尽くそう!

 お金を落とすだけでなく人手も出すと、田舎にとっては、より無くてはならない存在になれると思います。トレイルランニング大会では運営者や参加者が事前に山道の整備を行う事があります。それは山を管理・所有・利用する人にとってはとても嬉しい事です。オリエンテーリングでも同じような事が出来るのではないかと思います。

 山梨県南アルプス市で活動している南アルプスマウンテンバイク愛好会という団体は「地域の奴隷です」と公言する程、地域の活動に協力しています。具体的には山道の整備だけでは無く、集落の土木作業や、お祭りの手伝い等も行うそうです。そうした活動を続けた結果、山の中にマウンテンバイク用の道を造成出来るまでに至ったそうです。また他所から「うちの山でもやってくれ」と言われるくらい地元から歓迎されているという事例があります。https://www.minamialpsmtb.com/history

 オリエンテーリングでも山の整備(ゴミ拾い・芝刈り・倒木処理)はすぐにでも手伝えることがあると思います。また、走行可能度という観点からも自分達がより快適にテレインの中を走れる事にも繋がる事だと思います。そんな活動を続けていけば、「オリエンテーリングの人たちに山を任せておけば安心」と思って貰えて、大手を振って山の中を走れる世界が来るんじゃないかと思います。また、地域の子供へのオリエンテーリング体験会実施、企業/団体への研修等もニーズがあるのではないかと思います。

 詳細は知りませんが京葉OLクラブの活動は私の考えている事ととても近い事なんじゃないかと想像して勝手に感心しています。(※ヘルメットを着用した方が良い様に見えますが…)https://twitter.com/Keiyo_OLC/status/1200626568625700865

●大会の参加費をもっと上げても良いんじゃないでしょうか?

 特に学生大会で感じる事が多いのですが、参加費が安すぎると思います。例えば2017年のKOLC大会@筏場は参加費4000円、つい先日あった岩手県立大学大会は1400円と爆安です。私はそれぞれ倍の参加費を払っても全く惜しくない感覚です。調査技術の進歩やプロ業者増加によって学生大会も高質な物が多くなってきているので、特に社会人相手にはそれに見合う価格設定をしても良いと思います。その利益分を部費に回し、部費から遠征費やインカレ等の大会参加費の補助を出す形にすれば、学生であっても前述の様に田舎にお金を落とせるようになるのではないでしょうか。

 その為には当然お金を払ってくれる社会人層の獲得(というか離脱防止)も肝要になります。私はおそらく離脱していない側の人間ですのであまり確かな事は言えませんが、仕事が忙しかったり家庭が出来たり地方への転勤・配属になったりが離脱の要因として挙げられるのではないかと考えています。本稿の内容とは少し外れるので、これに関する意見はまた別の機会に述べれればと思います。

●クラブの日ごろの練習も公開練習にしてしまおう!

 数年前の小泉さんの記事にもありましたが、オリエンテーリングは練習の機会がとても少ないと思います。オリエンテーリングを始めたい人も、続けたい人も練習する機会ってとても少ないです。(これも社会人の離脱要因になっている気がします)しかし、特に学生クラブにおいては平日でも夜に集まってランニング中心のトレーニングをしているクラブが多いかと思います。また合宿とかも「宿は自分で取ってね」というスタンスで公開する等の方策で、近くに住んでる(主に)社会人オリエンティアも巻き込んでいけたら面白いんじゃないでしょうか。ラントレだったら数百円、合宿だったら数千円であれば全然払ってくれる様に思えます。これもまた学生クラブの活動資金減に出来るのではないでしょうか。

●大会はテレインを選ぶけど、練習会は定期的に同じ場所で開催しよう!

オリエンテーリングの大会を毎年同じ地域で出来ても、同じテレインで開催する事は難しいと思います。しかし、練習会であればそれは容易に出来るので、一つのテレインを練習用のテレインとして定期的にそのテレインで公開練習会やトレーニング合宿でも開催すれば、田舎からも有難がられ、結びつきは強まっていく様に思えます。

●仕事で田舎に行っても絶望しない、逆にオリエンテーリングし放題!

 これらの話は活動しているクラブの拠点がテレインのある地域に近い事が前提になっています。都会にあるクラブや人が、地方にあるテレインや地図の運用をしていく事はなかなか難しい物があると思います。

 じゃあ地方にオリエンティアっていないのかとなると、配属やら転勤やらで意外とそうでもないはずです。きっとそういう人は知り合いが居ないと、どんどんオリエンテーリングから離れて行ってしまうので、地方の大学の方はそういう社会人の受け入れや勧誘に勤しむのも良いのではないでしょうか。

 遠征時の移動で高速道路をから見ていると「何ここオリエンテーリング出来るじゃん」という場所をいくつも見かけます。田舎はオリエンテーリング天国なので、地方に居る・来たオリエンティア/元オリエンティアは「周りに地図がないなぁ」ではなく、「大量の新規テレイン開拓余地有という天国の様な場所に来た」とマインドチェンジして貰えると願っています。


私自身もレジャセンに引っ越してきて2年以上が経ち、少しづつではありますが、この地域とオリエンテーリングを繋ぐ活動の糸口が見えはじめたという感覚です。同様の考えを持つ方が増えて他の地域でもオリエンテーリングの普及が進む事を願っています。

この記事でオリエンテーリング関係者の田舎に対する目線や付き合い方が変わるきっけとなれば幸いです。ゆくゆくは「オリエンテーリングの人たちを誘致して町おこしをしよう!」「オリエンテーリングの人たちに自分達の山を預けよう!」という様な声があがるようになればいいですね。

以上