オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

オリエンテーリングと地理教育

1.はじめに 自己紹介など

 小林岳人(こばやしたけと)と申します。この度、エディターの小柴さまからお話をいただきまして、このような貴重な場で書かせていただくことになりました。私の話がここで書かれている皆さまのお話のようなものになれるのか、少々力不足かもしれませんが、書かせていただきますのでよろしくお願いいたします。
 オリエンテーリング筑波大学に入学以来、30数年間になります。ES関東クラブに所属しており、各地の大会に参加しています。競技歴としてはインカレエリートに1回、全日本(当時はロングだけ)エリート15回出場(最高位は9位)です。このほか、スキーオリエンテーリングでは1996年に世界選手権大会に出場したことがありますが、競技者として、それほど大きな成果をあげているわけではありません。また、大会運営はそこそこおこなっているものの、競技責任者などを務めたことは殆どありません。地図作成に関しても、近隣の公園マップ程度の作成にとどまっています。仕事は、千葉県の県立高校の地理の教員をしており、現在の勤務校は県立千葉高等学校です。また、勤務のかたわら筑波大学の大学院(人間総合科学研究科学校教育学専攻)に通っており、「オリエンテーリングと地理教育」というテーマで研究をしています。そこで、オリエンテーリングについて、「地理教育」という視点からの話をしてみます。

 

2.オリエンテーリングと地理(地理学・地図学・地理教育)


 私の仕事である「地理教育」は地理学や地図学といった背景学問を持っています。地理の学習では地図が学習に際しての極めて重要なツールです。地図を自在に扱う技能(専門用語では地理的技能と呼んでいます。)はそのまま地理の能力(専門用語では地理的な見方・考え方)に直結します。地図についての技能は多岐にわたりますが、道案内を行うような使い方ももちろん含まれます。つまり、オリエンテーリングで行われていることは、地図の技能そのものであり、すなわち、地理の学習の内容そのものに位置付けられます。文科省の「学習指導要領」の高等学校の地理Aの解説の「3 指導計画の作成と指導上の配慮事項 (2) 地理的技能について ②地図の活用に関する技能」に 「a 地形図や市街図,道路地図,案内書の地図などに慣れ親しみ,どこをどのように行けばよいのか,見知らぬ地域を地図を頼りにして訪ね歩く技能を身に付けること。」という記載があります。これは、オリエンテーリングをしなさい、といわんばかりの内容ではありませんか。これは地理Bについても同様です。


http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/01/1282000_3.pdf


 日本の学校教育では体育の野外活動で行っているのが中心であり、青少年野外施設でのオリエンテーリング活動が大半です。オリエンテーリングはスポーツですが、地図という道具を用いて行います。この地図に関する技能がオリエンテーリングにおける重要な技能です。これは、他スポーツと異なる大きな特色です。地理もまた地図を大いに活用します。しかし、日本では地理の学習とオリエンテーリングの関係は密ではありません。オリエンテーリングの発祥地である北欧諸国のほかイギリスやカナダ、ニュージーランド、東欧諸国などでは、この考え方は自明として扱われています。
 オリエンテーリングの楽しみは、そのナヴィゲーションを行う楽しみそのものです。このナヴィゲーションというオリエンテーリングで培われる技能は、オリエンテーリング競技以外に、日常的に、街歩きや山歩きのような時に、変災時になど、いろいろな場面で汎用的に使われます。なにより、地図を見て現地の様子と照合するということは、あらゆる縮尺の大きな地図の基礎的基本的な技能です。オリエンテーリングを行うこと自体が地理の学習として有効な一つの方法であることがいえましょう。また、オリエンテーリング地図は大縮尺の地図の中でも、極めて高い精度をもっています。これは、しばしば多くの地図などでみられる、「地図にないが現地にあるもの」「現地にないが、地図に記載されているもの」などにまどわされることなく、利用することができます。このことは、特に初学者に対して地図を現地の様子を照合させるような場合に、高い学習効果をもたらします。そして、オリエンテーリング地図は世界共通の地図図式を持っています。一定の期間をおいて、よりよい表現を目指して継続して改訂が行われるということも興味深いところです。さらに、精細な地図表現という観点からは、地震の痕跡、噴火口の名残、植生変化、炭焼き産業の名残、ドリーネやウヴァーレなどカルスト地形、氷河の末端のモレーン、城跡の特徴ある地形、旧市街の入り組んだ街路、古墳といった地理的に興味深い事象の様子が特徴的に表現され、これを読み取ることもできます。こうした場所を含んだオリエンテーリングイベントは大いに興味を惹きます。日本においては、火山山麓扇状地、洪積台地などは、他地域に比べて緩やかな傾斜、平坦な地形ということから、地形的な視点でのオリエンテーリング適地です。地理の楽しみともつながります。オリエンティアオリエンテーリングの大会参加の視点でとらえれば観光行動・ツーリズム(観光地理学 トラベル エクスカーション)といった観点で見ることができるし、オリエンテーリング地図作成やGPSラッキングといった部分に注目すれば、地図学・GIS(地理情報システム・地理情報科学)のような地球科学における先端科学的な観点でとらえることになります。そしてなにより、オリエンテーリングをすること(ナヴィゲーション)自体が行動地理学や認知科学の対象になります。このように、オリエンテーリングは教育(地理)的な側面を持ち、教材(地図)的に優れ、地理そのものの楽しみが存分に得られ、地理学や地図学としての学術的な対象となります。
 さて、ICA(国際地図学協会)という地図関係の国際的な学術組織の中にはオリエンテーリングが明確に位置付けられています。ここで、ICAについて少し説明しますと、隔年で開催されるICC(国際地図学会議)ではオリエンテーリングが一つのセッションとして位置づけられて、研究発表がなされています。

http://icaci.org/

 ICAが国際地図年(IMY、2015-2016)にちなんで発行したThe World of Mapsという地図の啓蒙書の中にも、オリエンテーリングについての記載が一つの章として位置づけられています。

http://icaci.org/publications/the-world-of-maps/the-world-of-maps-english/

 また、ICAとIOF(国際オリエンテーリング連盟)との関係には興味深いものがあります。 ICAの会長以下、主要なメンバーにもオリエンティアの方が少なからずいます。先ほどのThe World of Mapsの編集者の一人であり、ICAの以前の会長であったスウェーデンのBengt Rystedt氏の名前をO-Ringenのリザルトなどで検索すると見つかります(スウェーデン人で地図に携わっている方なので当然かもしれませんが。)。現会長のイギリスのDavid Fairbairn氏のお名前も検索してみると、オリエンテーリング大会に関わったサイトでも見ることができます。その中で、最も関係が深い方は、ICAの現事務局長で、The World of Mapsのオリエンテーリング関係の章の著者であるハンガリーのLászló Zentai氏です。ICCオリエンテーリングセッションの中心人物であり、IOFの理事の一人でもあります。IOFでは長らく地図委員会のメンバーであり、オリエンテーリング地図の国際図式であるISOM、ISSOMの制定に大きくかかわっておられます。また、Zentai氏は2005年の愛知県での世界選手権大会の時に来日され、マップクリニックの際に講義されていました。Zentai氏はオリエンテーリングについて特に地図に関して、学術的な意義づけを行っている論文を多数著作されております。


http://orienteering.org/wp-content/uploads/2010/12/Scientific_Journal_Of_Orienteering_2014_vol19_1.pdf


 さらに、ご自身も熱狂的(?)なオリエンティアであり、ホームページによりますと、年間80レースぐらい出場された年もあるようです。
 このICCの次回開催である2019年の大会は東京(日本科学未来館、7月15–20日)で開催されます。またICCでは、オリエンテーリングについては研究発表のセッションのほか、併設大会も開かれます。

http://icaci.org/orienteering/

 会議参加者限定なのですが、スイスや北欧などのエリートクラスの技量を持つ方もおり、トップレベルに近いレースになることもあります。
日本ではオリエンテーリングは社会的にはとても小さい集団です。地理学・地図学・地理教育もそれほど大きな集団ではありません。そこで、オリエンテーリングと地理学・地図学・地理教育とを結びつけることで、双方にとって世界がひろがることになり、どちらにとってもwin、winになるのではと思っています。

 

3.オリエンテーリングと学校教育(特に地理学習)


 学校教育の中での基本は学校で行う授業にあります。学校での教育活動は体育祭や文化祭などの行事、修学旅行や宿泊研修、遠足といった校外学習、そして部活動など広範囲に及びますが、なんといっても基本は学校での授業の時間です。そこで、地理の授業でオリエンテーリングそのものを行なおうと考えました。詳細は以下の資料をご覧ください。


https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/201502g2/09_hsggbl_2015_02g2_c04.pdf
http://www.kokon.co.jp/book/b186686.html
http://www.gakuji.co.jp/book/978-4-7619-2147-7.html


 今でこそこのような形式でオリエンテーリングを行うことに違和感はないと思いますが、以前ではこのアイディアはありませんでした。OCADや空間データ(GISデータ)の充実によって高精度の地図作成が手軽(でもありませんが、)できるようになった、EmitやSIのような計時システムが普及した、なにより“森のスポーツ”であったオリエンテーリングが、スプリント形式というアイディアに“地図のスポーツ”としてより開催場所の可能性が大きく広がったことが、こうした学校の授業という極めて制約された環境(人…教員1名生徒40名、時間…50分、場所…学校敷地)で可能になったといえましょう。
 前任の県立松戸国際高校では4年間にわたって、地理の授業で多くの生徒にオリエンテーリングを実施してきました。

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 そして、現在は県立千葉高等学校で実施しています。

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 県立千葉高校では、地理は必修科目であり、第1学年8クラスの生徒327名全員が授業で3回オリエンテーリングを経験しています。これほどの多くの生徒がISSOMに準拠した地図で、Emitを使ってオリエンテーリングを行うことは今までにあまりなかったと思われます。貴重な知見も多く得ることができました。オリエンテーリングをやることで地図読図技能(特に、ナヴィゲーション技能)が向上すること、オリエンテーリングの結果が地理の成績と体育の成績の双方に相関関係があったことなどです。なにより、殆どの生徒たちが「面白かった」「楽しかった」と感じてくれたことです。そう、オリエンテーリングって面白くて楽しいものなのです!特に“授業時間”に実施しているのがというのがとても効果的だという見方もできます。(詳しくは以下をご覧ください。)


https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2013s/0/2013s_167/_pdf/-char/ja
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2014s/0/2014s_100008/_pdf/-char/ja


 IOFはWOD(世界オリエンテーリングの日)を毎年5月に設定して、世界中のおもに学校でのオリエンテーリングを推奨しています。20万人以上の児童、生徒、学生がオリエンテーリングをするというような計算になります。私のこの授業も、この日(および前後)に併せて実施しています。

http://worldorienteeringday.com/

 (県立千葉高校が登録されているところもご覧ください。)

このような授業を行ったところ、何人かの生徒はさらなる興味を示してくれました。県立千葉高校には地理部という珍しい部活動があり、私はその顧問をしています。巡検(エクスカーション)や研究活動などを行う部活動ですが、活動にオリエンテーリングを加えました。パークOを中心に少しずつ大会に参加するようになり、メンバーも増え、フォレストの大会にもでるようになってきました。また、オリエンテーリング強豪校からの誘いもあり、仲間に加えていただくようにもなりました。ただ、多くの生徒が陸上部、テニス部、山岳部、生物部など、主たる部活動に加入しているという兼部での入部であり、生徒にとって活動の優先順位は1位ではありません。このため、活動はしばし停滞してしまいます。また、校外での活動は交通費など、費用の面での課題もあります。それでも、授業と部活動が連動することは、とても有意義です。
 オリエンテーリングを学校教育で行うに際しての考え方の整理をしてみました。個人が単位で、短時間→長時間、慣れ親しんだところ→未知のところ、大縮尺地図→小縮尺地図、パーク・アーバン→フォレストといった体系が見いだされます。これらの視点は、地理(地図)の学習の視点と整合性が高いともいえます。


https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2017s/0/2017s_100102/_pdf/-char/ja

 

4.おわりに 展望、課題など


 私がこのような取り組みを始めたのは、オリエンテーリングの持つ価値を世の中に示したいということです。私もそうですが、多くの方々が、例えば「ご趣味は」という質問に対して「オリエンテーリングです。」と答えるのが億劫になってしまっているのではと思われます。「オリエンテーリングです。」と答えると、たいてい、説明を多く付け加えなくてはならなくなります。そして、説明をしたからといって、必ずしもそれがきちんと伝わるかどうかはわかりません。こうした状況を少しでも改善させて、さっと「オリエンテーリングをやっています!」と答えることができるような雰囲気にしたい、と思ったからです。それには教育が効果的、そのためには、オリエンテーリングをきちんと位置付けること、学術的にとらえることが必要、と、そして、これは、教育に携わる自分に課された使命と思い、大学院へ行くことを考えました。
 高等学校では5年後の2022年から実施の学習指導要領下で地理は必修科目(「地理総合」)になります。地理教育界では必修に向けての対応が始まっています。必須科目「地理総合」では「地図とGIS」が基礎基本として扱われており、地図の実用的な使い方、応用性、汎用性に富む使い方などが求められています。教育全般の方向性としては主体的能動的な学習、いわゆるアクティブラーニングと呼ばれる学習方法が望まれるようになり、「何を学ぶか」というようなコンテンツ中心から「何ができるようになるか」というコンピテンシーへと学習のパラダイムシフトもみられます。これらについてもオリエンテーリングは十分にアピールできるでしょう。また、今はやりのことばでいえば、オリエンテーリングレジリエンス(「抵抗力」「復元力」「耐久力」)の強化にもなりましょう。地理だけでなく、野外活動との関係も深いことから、オリエンテーリングは学校教育において非常に多くの場面での利用が期待できます。
 今まで、私の地理の授業でオリエンテーリングを経験した生徒は1000人以上になります。地図読図のノウハウを学び、そしてこのスポーツを知ってもらえたかなとも思っています。教育の力って、大きいなと実感します。こうした経験を通じて得た知見を、関連学会の学術大会(日本地理学会、日本地図学会、日本地理教育学会、地理空間学会、中等社会科教育学会、日本地球惑星科学連合、全国地理教育研究会)やイベント(G空間EXPO)、教員の研修会(千葉県高等学校教育研究会地理部会)や文献上で発表してきました。珍しい話ということで、興味深く聞いて頂いております。このような授業を広めていくかはなかなか簡単にはいきそうではありません。地理の世界、オリエンテーリングの世界にそれぞれ、活動の受け皿になるような組織、例えば、地理関係の学会の中で研究グループを作るとかオリエンテーリング協会の中に委員会(学校教育委員会)を作ること、このほか、大学の地理の教員養成課程でのオリエンテーリング関係の実習が行われること、地理の教科書にオリエンテーリングという文言が掲載されること、いくつかはおぼろげに頭の中に浮かんではいますが、それらはまだまだ現実的ではありません。今のところはこのような足跡を残すことで、後々何かのお役にたつことにでもなれば、というぐらいでしょうか。でも、そのためには、さらにもう少し、きちんとしたものにしなければと思っています。皆さま方からのお知恵を授かることができればと思っております。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。