中学・高校のOL部について
以下、4部構成となっております。全部を読むとそこそこの分量(約11,000字)があるので、端折りながら読む事をお勧めいたします。
第1部:中高OL部の活動紹介
第2部:中高OL部の歴史
第3部:中高OL部が抱える課題
第4部:まとめ
第1部 中高OL部の活動紹介
中高OL部も活動の根本は大学と変わらず、「大会に出て成績
目標としている大会は以下の通り。
①インターハイ
インカレ動画を撮影なさっている方が今年のインターハイについても動画をYoutubeにアップしているので、そちらをご覧になるとインターハイの様子がよく分かると思います。
正式名称は「全日本中学校高等学校オリエンテーリング選手権大会」。「インターハイ」ですが中学の全国大会も一緒です。1987年度(88年3月)の第1回大会以降年1回、現在では例年8月下旬-
個人戦はインカレと同様選手権クラス(高校:ME/WE、
団体戦はインカレリレーと同様学校対抗の3人リレー。インターハイは各選手権クラス、1校につき2チーム(AチームとBチーム)までエントリー可能。しかし、
インターハイ2018団体ME優勝の瞬間。DISQによる
繰り上げ優勝なのでウイニングランもない。
(写真:国沢五月さん)
男子団体戦は参加校の少なさゆえ東海vs桐朋vs麻布の様相が色濃く、過去のインターハイ高校団体選手権31回中28回がこの3校の優勝となっています。中学男子の団体選手戦は東海が初開催(2012年)から8連覇中。他校を全く寄せ付けない強さで、東海ABチームでワンツーフィニッシュするという年もあります。他校もっと頑張れby勝てなかった人
一方の女子団体戦。参加校が少ないどころかいない。エントリーチーム0で女子団体戦中止とな
こんなインターハイですが色々語っておいて今年が最後。
②インターハイセレクション
男子のみあるインターハイのセレは中高生がDISQしまくるので
③ジュニアチャンピオン大会
毎年1月下旬に東京近郊で開催される多摩OLクラブ主催の大会。
④全日本大会
高校生のトップ選手はロング・ミドルでは20Eに参加。東海の森清選手が全日本ミドルM20E連覇など大学生に負けない活躍を見せています。インターハイにスプリント競技がない影響で全日本スプリントに出場する高校生は少ないですが、こちらでも森清選手がMEで準優勝するなど大活躍。その他の高校生や中学生は20A、18A、15Aクラス等に参加。東海と関東の選手が同じレースを走る機会は少ないので、インターハイの前哨戦として一つの目標となっています。
全日本リレーではMJ/WJ代表やXJ代表として出場。東海は愛知・岐阜・三重代表、麻布や桐朋は東京・神奈川代表で出場するので、学校対抗のレースとなることも多いです。
森清選手は岐阜のME1走で3位。高校生じゃないのかもしれない
全日本リレー2016(岩手)で力走する麻布の選手(東京都MJ代表)
⑤国際大会
毎年4月上旬に開催されている日本代表選考会。U20強化選手を中心に多くの高校生がJWOC(ジュニア世界選手権)出場を目指しており、例年2-3人の高校生が代表入りを果たします。JWOC本戦でも日本人トップやミドルB決勝出場等大学生に負けない活躍を見せています。
また、AsOC(アジア選手権)には今年から18Eクラスが追加。中高生の国際大会での活躍の場が広がり、多くの中学生が代表入りしています。
隔年開催のAsJYOC(アジアジュニア・ユース選手権)では16歳クラス、18歳クラスがあり、こちらも多くの中高生が活躍しています。来年は日本開催のため、更に多くの中高生が出場することとなるでしょう。
JWOC2017に出場する森清選手
このように様々な大会に出場し、活躍している中高生ですが、活動内容や特色は学校によって大きく違います。現在オリエンテーリングを部活で行なっている11の学校を偏見で紹介します。
➊麻布中学・高校
東京都港区にある中高一貫男
インターハイでは個人9回、団体10回優勝している強豪(
OBには尾崎弘和さん、大田将司さん、濱宇津佑亮さんなど。また、
2018年1月、TBSラジオの取材に応える金子部長(当時)
水色トリムが特徴
➋桐朋中学・高校
東京都国立市にある男子校。1978年創部で麻布と違って昔か
また一方で中高クラブでは珍しく毎年「お父さん杯」
部活ではランニングに加え校内Oなどオリエンに特化した練習も行
インターハイ2018観戦ガイドより。実際のタイムは81分9秒
やりますねぇ!
赤いトリムが特徴
➌東海中学・高校
一応「ワンダーフォーゲル部」
オリエンテーリングに取り組み始めたのは1997年と麻布や桐朋
最近ではインターハイ2018個人優勝にとどまらず、JWOC2
JWOC2018 LongDistanceでの森清選手
JWOC2018MiddlleDistance岐阜県知事に活躍を報告する森清選手
今月のAsOC、東海の現役からは森清選手、
OBには堀田遼さん、近藤康満さん、宮西優太郎さん、
顧問の大野聡生先生によって確立された指導環境や部の体制が圧倒
青と白が基調のトリムに帽子を被ったスタイルが特徴
埼玉県さいたま市にある男子校。
1975年創部で現存する中高OL部では最古参。40年以上活動する他の中高OL部は皆中高一貫である中、
学校が「浦和体育学校」と揶揄されるほど体育系の行事が多い。
県立浦和の1年そのためかOL部の活動も公園まで片道5km走ってそこで坂ダッ
オレンジのウェアが特徴
➎武相高校
神奈川県横浜市にある中高一貫の男子校。
➏東農大三中学・高校
埼玉県東松山市にある中高一貫共学校。活動期間はかなり長く、
また、長年「東農大三高大会」を開催していたが、
➐中央大学附属中学・高校
「生物部(wildlife部)」という独特の名前の部活。
➑県立千葉高校
地理部として活動。
➒筑波大学附属高校
東京都文京区にある共学の中高一貫校。
2017年、
国沢琉選手は今月のAsOCにも出場予定。
➓長岡高校
共に二世オリエンティアであり、
⑪豊田高専
愛知県豊田市にある高等専門学校。オリエンテーリング部は名椙大会や愛知県選手権、昇竜杯といった地元愛知の大会中心に参加し、インターハイのMEにも2006,2007年の2度出場している。
また、2009年には「豊田スタジアム大会」を単独開催、120人程度の参加者*3を集めている。
オリエンテーリングマガジン2009年8月号に掲載された大会の様子
OL部、
また、地域クラブでも伊勢志摩OLCは三重県内に住む中学生ティ
このように小規模ながら活躍を続ける中高生オリエンティアですが、昔の中高OL界は、現在よりもずっと大規模なものでした。第2部ではその過去について取り上げたいと思います。
第2部 中高OL部の歴史
70年代~80年代、各地の中高にオリエンテーリング部(同好会)が誕生しました。今回の記事執筆にあたってfacebookのオリエンテーリング情報サイトにて情報提供を募った結果、少なくとも以下の学校にOL部が存在したことがわかりました*4太字がOL部の現存する学校です。
・県立浦和高(埼玉、1975-現在)
・麻布中高(東京、1977-現在)
・桐朋中高(東京、1978-現在)
・東海中高(愛知、1997-現在)
・武相中高(神奈川、2003-現在)
・中央大附属中高(東京、2012-現在)
・県立千葉高(千葉、2017-現在)
・筑附高(東京、2017-現在)*6
・長岡高(新潟、2017-現在)
・豊田高専(愛知、?-現在)
・早稲田実業中高(東京、1973-1998)
・国分寺高(東京、1973-1995頃)
・保谷高(東京、1973頃₋1990年代前半?)
・川和高(神奈川、1975-1990年代?)
・早大学院(東京、1978-1980年代)
・足立高(東京、1977東日本大会参加)
・所沢北高(埼玉、1977東日本大会参加)
・白鷗高(東京、1977東日本大会参加)
・武蔵村山高(東京、1978に活動記録あり)
・成城学園高(東京、1978に活動記録あり)
・緑ヶ丘高(神奈川、1978に活動記録あり)
・足利南高(栃木、1978に活動記録あり)
・学大附属高(東京、1970年代後半?)
・川崎市立向が丘中(神奈川、1978-80頃 )
・川崎高(神奈川、-1980)
・江北高(東京、1980頃)
・東京高専(東京、1980-1998頃)
・宝仙高(東京、1970年代₋90年代)
・豊岡高(埼玉、1980に活動記録有、1987のインターハイ出場)
・須磨友が丘高(兵庫、1985-89)
・旭丘高(愛知、1985-89)
・千里高(大阪、1980年代)
・摂津高(大阪、1980年代?)
・横須賀高(神奈川、1985-1992の活動を確認)
・水戸二高(茨城、1987-1991のインターハイ出場)
・茨木高(大阪、1980年代₋90年代前半?)
・洛星高(京都、1980年代?-2000頃)
・八王子東高(東京)
・水戸一高(茨城)
(12/18追記)
また、1976~89年の主要大会(全日本、東日本、朝日など)に複数回に渡って団体で参加していた学校に以下の学校があったとの情報をいただきました。OL部が実際に存在したかどうかは不明ですが、多くの学校に中高生オリエンティアがいたことがわかります。
・荒川工業高(東京)
・上野高(東京)
・金沢ニ水高(石川)
・川口工業高(埼玉)
・清瀬高(東京)
・高志高(福井)
・神戸高(兵庫)
・芝浦工大高(東京)
・順天高(東京)
・大師高(東京)
・東海工業高(愛知)*8
・都立北高(東京)
・日大三高(東京)
・沼津高専(静岡)
・農芸高(東京)
・半田工業高(愛知)
・平塚商業高(神奈川)
・藤枝西高(静岡)
・藤島高(福井)
・南葛飾高(東京)
・安田学園高(東京)
・赤塚二中(東京)
・荏原六中(東京)
・青梅三中(東京)
・木更津ニ中(千葉)
・郷壮中(大阪)
・新町中(東京?神奈川?)
・指扇中(埼玉)
・助川中(茨城)
・蘇我中(千葉)
・田無一中(東京)
・富岡中(神奈川?千葉?)
・豊田中(神奈川)
・習志野五中(千葉)
・東村山ニ中(東京)
(おまけ)
小学校にもいくつかOL大会に団体で参加する学校があったらしく、越生小(埼玉)、南高麗小(埼玉)、瑞穂第三小(東京)での活動が確認できました。
時期こそ違いますが、かつては40校以上のOL部が存在、大会参加のみ確認できた学校も含めると70校以上で中高生オリエンティアが活動し、中高OL界はかなり盛んで遭った事がわかります。
大会参加者も非常に多く、例えば1977年東日本大会の成績表を見ると、H17*9Aクラス57人、H17Bクラス16人、H17Cクラス52人、H15*10Aクラス60人、H15Bクラス41人、H13*11Aクラス35人、H13Bクラス28人、H 13Cクラス54人、男子中高生だけで300人以上の参加がありました。(ただ、当時から女子選手の参加は少なかったようで、同大会の女子選手の参加者は30-40人程度となっています。)
中高OL界の盛り上がっていた背景にはオリエンテーリング自体(徒歩OL含め)の高まりがありました。国のバックアップでオリエンテーリングが猛プッシュされていた時代、子供の頃にオリエンテーリングをする機会はいまよりもはるかに多い時代だったようです(オリエンティアでもなんでもないうちの親ですら小学生の頃オリエンテーリングをやったことがあるそう)。学校でもオリエンテーリングが行なわれており、国立中央青年の家・研修センター主催の教員志望者向け野外活動講座では(文部省の方針で?)オリエンテーリング研修も行なわれていたそうです。
高校OL部間でのつながりも強く、 1978年当時「関東地区高校オリエンテーリングクラブ連絡協議会」には26校が加盟。
当時の活動記録(提供:池ケ谷悦郎さん)
1980年夏の「6日間練習会」や1980年代半ばの「10回定例会*12」など現在では大学クラブもなかなかやらないようなイベントを高校生のみで開催していました。「関東高連リレー」
6日間練習会成績表
2校だけで練習会を6回開催
(提供:池ケ谷悦朗さん)
活動は関西でも盛んで、千里高校、茨木高校、摂津高校、洛星高校を中心に合同練習会をたびたび開催したり、関西学連(大学の学連)に運営を委託して「関西高校選手権」を開催したりしていたそうです。
やがて関東・関西の高校OL部が一堂に会して競い合う「高校生親善 OL東西対抗戦」が1982年にスタート*13。ただレースで順位を競うのみでなく、関東の学校が東軍、関西の学校が西軍に分かれ、上位10人の合計タイムを競い合うものでした。また、関東では「関東高連リレー」というリレー大会も開催されていました。
第1回東西対抗戦成績表表紙(全日本高等学校・中学校選手権大会 成績表 - オリエンテーリング インカレリレーデータ集より、以下1枚も同様)
開催地の紹介
清水寺のど真ん中をオリエンで駆け抜けてみたい
このような自分たちで大会運営を行う行動力は、やがて1988年3月の第1回インターハイ開催へとつながっていきました。
しかし、インターハイが始まった頃より、数多く存在した中高OL部はひとつ、またひとつと消えていきました。しまいには関西圏のOL部全滅*14。関東でも麻布、桐朋、浦和、東農大三高を除いて全滅*15しました。
第3部 中高OL部の課題
かつては多数あった高校OL部の殆どが消えてしまった背景には、現在中学高校が直面している事情があります。
まず、中高OL部は規模が小さく常に存亡の危機にあるということ。そもそも中学・高校の全校生徒は中高一貫でも2000₋3000人程度、高校のみ、中学のみの学校だと1200人程度。生徒数の少ない中学・高校では10人部員を毎年集めるのも現在では*16難しいです。さらに高校のみ、中学のみのOL部には2学年しか部にいません。この状況で1回新歓に失敗し、0人の代ができてしまうと、その翌年上の代が3年生になり引退。OL未経験の1年生しか部にいなくなることも。こうなってしまうと顧問がオリエンティアでない限り未来はありません。こういった問題が部員減少の背景にあります。
麻布の場合、「インターハイ団体優勝!」と大会実績をアピールしたり、「部活では楽しくサッカー!」ともはやオリエンと関係ないところをアピール*17したりしてなんとか部員を確保しています。
でかいトロフィーで勧誘する作戦
また、部の活動のためには部員をただたくさん集めればよいのではなく、部員を教育して大会で活躍できるようにしなくてはなりません。しかし、全ての部員にオリエンテーリングのモチベーションがあるわけではない上、上級生から下級生へと技術を教える体制がしっかり整っていない*18ために指導不十分なまま大会に出場させてしまう*19ことが多々あります。このような体制の未熟さが中高生オリエンティアの実力が大学生ほど伸びない一因となっています*20。
また、OL競技に取り組みずらい環境にあることも大きな問題となっています。例えば顧問の問題。中高の部活動では顧問の存在は不可欠*21です。しかし、オリエンテーリングに理解を示してくれる顧問は限られています。*22特に公立高校の場合は定期異動が存在し、活動に理解を示していた顧問が急に転勤していなくなってしまう場合も有ります*23。顧問に恵まれずに消えていったOL部も数多く存在します。顧問の問題の他にも、車を持たず行動範囲が限られている*24ことや、金銭面の都合から大会参加があまりできない*25ことが活動の妨げとなっています。
第4部 まとめ
中高OL部は現在小規模ながら頑張って活動していますが、それでも多くの問題点を抱えています。時には大学生・社会人の方のご協力*26を受けて活動しています。中高OL界が盛んになれば森清選手のような名選手がもっと出てくることと思うので、これからも応援して頂けると幸いです。
最後となりましたが〆切を1時間半もオーバーしたことをお詫び申し上げます。
本記事の執筆に当たっては以下の方を始めとする多くの方に情報提供などでお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
池ヶ谷悦郎さん
石澤 俊崇さん
稲田 旬哉さん
今井 康博さん
宇治橋さん
大井 和之さん
片山さん
国沢五月さん
倉部 淳さん
後閑さん
長友 武司さん
三科 伸之さん
(情報に誤りがある、選手の氏名を間違えている、東海ばかり取り上げるななどあれば折橋の Twitterあるいは当記事のコメント欄までお願いします。)
*2:父親の国沢五月さんは桐朋OBで1991年WOC代表、兄の国沢楽さんも桐朋OBで2015年JWOC代表
*3:現在100人超規模の大会を単独で開く中高OL部はありません
*4:部として認められていなくても○○高校OLCと名乗っていたこともあったようなので、ここで紹介する学校の一部にはOL部がなかった可能性も有ります。
*5:中学OL部創部は高校OL部よりも後になってから
*7:現:成田国際高校
*9:現在のM18に相当
*10:現在のM15に相当
*11:主に13-15歳の男子が参加
*12:1年間かけて10回行い、年間ポイントを競うもの
*13:ただこれは現在のインターハイほど重要な大会ではなく、当時の高校生の目標はあくまで全日本大会(東西対抗戦は全日本大会の翌日に開催)や公認大会H17クラスやHAクラス、大学主催の大会のHEクラスであったそうです
*14:東海が登場するのは全滅から数年後のこと
*15:武相、県立千葉、筑附、中附は皆21世紀に入ってから出来た新参勢力
*16:ブームが去ってしまいOLがマイナーになってしまったことも部員不足の大きな要因となっています。
*17:全日本チャンピオンの麻布OBの方はこのサッカーが入部動機となったらしいです
*18:麻布の場合、地図読みを部活で行うことがなく、部全体で技術指導を行う場が殆どないため、技術向上は各部員のモチベーションに依存している。
*19:立入禁止の地図記号を知らない、尾根のデフ記号がわからない、スタート地区とスタートフラッグの違いをわかっていない、など
*20:インターハイの一般クラスの結果を見れば、指導が行き届いている学校と、そうでない学校で大きく違うことがわかります。
*21:大野聡生先生が東海の活躍に大きく貢献している例が、顧問の重要さをよく表しています。
*22:オリエンテーリングは誰の目も届かない山中に自ら突っ込んで行くような競技なので、安全面から理解をしめさない先生もいるでしょう。
*23:そのためか、麻布や東海、桐朋といった強豪校の殆どが私立学校です。
*24:車がないと矢板や富士、八ヶ岳のテレインに自力で行けません
*25:行き帰りの交通費2000円弱もかなりの痛手
*26:車の同乗や合宿コーチとしてのご参加、OcadやMulkaの講習会開催など