オリエンティア Advent Calendar

オリエンテーリングを語ろう。

熱情のオリエンティア 杉村俊輔 ~オリエンテーリングを愛した11年間の軌跡~

(※オリエンティア Advent Calendar 2021 20日目の記事です)

2021年8月、オリエンテーリングをこよなく愛した一人の青年がこの世を去りました。

杉村俊輔君。

東北大学2011年入学、卒業後は東北大学のOB会「青葉会」に所属、「NPO法人オリエンテーリングクラブ・トータス」に準加盟するとともに、スカイランニングのクラブチーム「オリエンティア軍団」の一員でもありました。

インカレ個人戦や全日本ミドルでの優勝、あるいは世界大会への出場など、個人としての実績もさることながら、東北大学のアドバイザーや世界大学選手権日本選手団のオフィシャルを務めるなど後進の育成にも力を注ぎ、絶えず周囲のオリエンティアに大きな影響を与え続けた偉大な選手でした。

そんな彼がオリエンテーリングと出会ってからここまでの約11年間、どのようにオリエンテーリングに向き合い、ここまでの道のりを歩んできたのか。それらについて、彼の遺してきた言葉や、彼の身近で彼の歩みを見てきた方々の目線から、ひとつの記録としてまとめておきたいと考え、オリエンティアAdvent Calendarの場をお借りして投稿させていただくことといたしました。

この記事を通して、杉村君のこれまでの11年間の歩みについて少しでも多くの方に知っていただけたら嬉しいです。

 

目次

第1章 杉村俊輔とオリエンテーリング

この章では、杉村君がオリエンテーリングと出会ってから、オリエンテーリングにどのように熱中し、どのような成果を残してきたのかについて、時系列順に振り返っていきます。

2011年度:オリエンテーリングに出会い、魅力に憑りつかれていく1年目

主な大会での成績
  • インカレロング2011 MUFクラス9位
  • インカレミドル2011 MEAクラス46位
  • インカレリレー2011 MURクラス8位・新人特別表彰(渡邉祐司-西本昌史-杉村俊輔)

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入部したてホヤホヤ、まだあどけなさが残る
オリエンテーリングとの出会い

彼が東北大学オリエンテーリング部の門を叩いたのは、2011年5月のことでした。キャンパスを歩いているときに、勧誘活動をしていた当時の2年生に声を掛けられ、もらったビラの内容を読んでオリエンテーリングというスポーツを知り、興味を持ったとのこと。

高校時代は陸上競技をやっていたこともあり、その走力を活かしてどんどん上を目指すことができるという点に加え、新歓で先輩から伝えられた「例年、オリエンテーリング部として富士登山駅伝にも選手を出している」という点が魅力的であったために、入部を決めたそうです。

富士登山駅伝は、僕がオリエンテーリング部に入ろうと思った一つの理由でもあります。

- 「だっちゃでけさい 2011年9月号」より

(※ただしその富士登山駅伝には、1年生時にサポーターとして、2年生時に山頂区間である6区を走って以降は現役生としては出走していません。オリエンテーリングのほうが魅力的だと感じていったのでしょうか。)

入部当初から同期を競技面で引っ張る存在

初めて参加した大会は「さくらんぼ争奪2日間オリエンテーリング大会」。入部当初から、比較的地図と地形の読み方などの理解が早めだったことと、高校時代に陸上部で培った走力のおかげもあってか、この初めての大会で新人クラス優勝という成績を残します。8月の北東インカレでも1年生の参加者の中ではトップの成績となり、徐々に競技面で同期を引っ張る存在として杉村君の立ち位置が確立されていきました。

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夏の練習会に参加し、川で靴を洗っています

練習会にも毎週のように欠かさず参加し、積極的に先輩に指導(ランオブ)をお願いしたり、同期とタイムを競い合ったりすることを繰り返しながら、オリエンテーリング部で過ごす時間とともにどんどんオリエンテーリングの魅力に憑りつかれていったようです。

日光で10月に行われたクラブ7人リレーでは、1年生ながら「東北大学B」「サンマリノ八木山A(※仙台市太白区八木山周辺在住者で構成されたチーム)」「相場高平を偲ぶ会(※東北大同期チーム。杉村君は当然のようにエース区間の7走で出走)」で計3度も出走しています。ちょっとオリエンテーリングを楽しみすぎています。

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オリエンテーリングを楽しみすぎちゃん
初めてのインカレロング

彼にとっての初めてのインカレとなったインカレロング2011は、長野県のアルプス公園で開催されました。出走したのはMUF(男子併設新人)クラス。インカレ前に意気込みを語る機会では「全国にいる同期に負けたくない。絶対に優勝します!」と言っていたことが筆者の印象に残っています。しかし、そんな言葉とは裏腹に、内心では大きな不安もあったようです。

(以下、引用部分は「だっちゃでけさい 2011年12月号」より)

僕はロングで優勝するって言い続けてきましたが、実を言うと優勝して表彰台で喜んでいる自分を想像することはあまりできませんでした。正直良くて入賞かなと思っていました。自分を信じきることが出来ませんでした。

勝てないんじゃないかって思い始めたのは、CC7(※クラブ7人リレー)がきっかけでした。

CC7は自分のベストレースでした。しかしなんであんなに上手く走れたのかが未だにわかりません。逆に課題も収穫もないレースでした。

その時から、自分はこれ以上オリエンが上手くならないんじゃないかという嫌な予感を抱いてしまいました。またあのレース以降、自分はいいレースをし続けなければいけないんだと、変にプレッシャーを感じるようになっていました。

とにかく不安ばかりでした。それでも無理やりに優勝にこだわりました。やっぱり負けることが本当に嫌いだから。北東インカレでセレ落ちしたことが悔しくてその悔しさを晴らしたかったから、応援してくださる方々にいいとこを見せたかったから、下手くそでも勝てることを示したかったから…理由はいろいろありました。

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初めてのインカレ前日の決意表明

優勝したいという強い気持ちと、大きな不安を抱えて迎えたインカレ当日。

レースはいつものように最初から飛ばしました。いつもだったら歩いている傾斜のきつい坂も走りました。この日のために今までたくさん走ってきたわけですから。自分にしては珍しく、途中までは割と落ち着いて動作も出来て、地図も読めて、わりといいオリエンができていたと思います。しかし…

すべては11ポでした。たった30秒で処理できるレッグで4分以上かかりました。隣の沢に入ってしまいました。(中略)

今思えば、9月10月とオリエンをする機会がたくさんあったのにもかかわらず、自分はレースの結果にだけとらわれ、レースの反省をろくにしていなかった気がします。その場しのぎの反省しかしていなかったと思います。これではオリエンが上手くなるはずがありません。自分がオリエンが下手くそなのは、そのせいだと思っています。

1か所のミスにより、それ以降のレースは精神的にも体力的にも苦行のように感じられた模様。

本当は笑顔でゴールしたかったです。皆さんの声援に手を振って応えたかったです。でもそんな余裕はありませんでした。

本人にとっては相当不本意なレース内容だったようですが、最終的な結果は9位入賞。目標としていた優勝には届きませんでしたが、初めてのインカレでメダルを獲得することができました。

今回のインカレでは、多くの人の期待を裏切る結果になりました。本当に申し訳ありませんでした。しかし、レースでは自分のベストを尽くしましたので、それについては悔いはありません。しかし、インカレまでの取り組みや気持ちの持ち方に関しては、もっと改善できたのではないかと悔いが残っています。

また、このインカレをきっかけとして、他大学の選手の繋がりを持ち、競技面でも強く意識するようになっていきます。

前日に話したOLK(※東京大学オリエンテーリングクラブ)のOT(※太田選手)、糸賀、盛尾が入賞したことは嬉しかったし、刺激になりました。今回のインカレで、OLKの同期や先輩方と交流が出来たので良かったと思います。他大の同期ともっとかかわりを深めたいと思ったし、同期のライバルとしてお互い切磋琢磨していきたいと思いました。早く同期会をやりたいです…

自分は今回、多くの同期に負けましたし、筑波大の野本とか早稲田大の尾崎など目標とする同期がいます。

彼にとって初めてのインカレは、とても収穫の多いものであったことに間違いありません。

春インカレに向けて

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雪の積もった日にも練習会への参加は欠かしません

インカレロングが終わってから、すぐに3月のインカレミドル・リレーでいい結果を残すために練習を再開します。12月に行われたセレクションレースを北海道・東北学連内では唯一の1年生として通過し、当時の選手権Aクラス(最上位クラス)で出場することが決まりました。

今回の春インカレの目標は、

 ミドル・・・25位以内・枠をとる。

 リレー・・・新人特別表彰

です!

- 「だっちゃでけさい 2012年2月号」より

年末に行われる東北大合宿にも当然参加し、4日間みっちりオリエンテーリングの上達に努めました。インカレロング後の反省として本人が記していたように「レース後の反省」が重要だと捉えた彼は、この合宿では道中で一緒になった先輩と一緒に合宿の反省や振り返りを行っていたようです。

杉村くんとは一緒にトレーニングをする機会が多くいつもいい刺激をもらってました。(杉村君が)1年のとき冬合宿に一緒に行って、レースの感想や反省点を言い合っていたのを覚えています。

-  先輩からのコメント

「嬉しさ4割・悔しさ6割」の春インカレ

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インカレミドルのラスポゴールを懸命に走ります

春のインカレミドル・リレーのテレインは滋賀県の「希望ヶ丘文化公園」。東北大生が普段練習する機会の多い東北や関東のテレインではまず見られないような微地形が特徴のテレインで、インカレミドルは高いナビゲーションスキルを要求されるレースとなることが予想されました。

実際に、このミドルでは選手権クラスで出場した東北大の選手が軒並み苦戦しており、杉村君も多分に漏れず、レース中はマップアウト(※競技中に地図の範囲外に出てしまうこと)をしてしまったとのこと。結果は46位と、目標としていた順位には届かず。

翌日の併設リレーでは同期3人でチームを組み、1年生のみで構成されたチームのうち最上位となったチームに贈られる新人特別表彰を狙いました。

(以下引用部は「だっちゃでけさい 2012年3月号」より)

そして本番。将軍様(※1走渡邉選手)がいい位置で帰ってきてくれました。ライバルの東大が見える位置だったので。ただ、京大・名大の1走が速かったらしいです。そしたら2走の西本が新人チームをごっそり全部抜いてきてくれました。(中略)

自分は、自分がどの位置にいるのかを全く考えず、集中して走ることが出来ました。

結果は併設リレー8位、新人チームとしてはライバル校とわずか30秒足らずの差で1位となり、見事に目標としていた新人特別表彰を受けることができました。

結果が出るまでは、ずっとドキドキしていました。結果出たときには、はしゃぎすぎてしまいました。迷惑だったら本当に申し訳ありません。でもそれくらいうれしかったということで。あと、胴上げ嬉しかったです。同期のみんな、ありがとう!

と目標の達成を心から喜ぶ一方で、

正直に言えば、リレーの走りには納得していません。30分は切れたんじゃないかと。アタックでちょくちょくミスしたし、道でオーバーランして1分半のミスをしたりしたので。(中略)

自分の未熟さを感じた2日間でした。

と冷静にレースを振り返ることも忘れないところが、当時からいかにも杉村君らしいと感じます。

今回のインカレは嬉しさ4割、悔しさ6割というところですかね。今回の嬉しさと悔しさを忘れずに、これから精進していきます!

なお、彼の「だっちゃでけさい」の記事には特に書き残されていませんが、この年の東北大男子の選手権リレーは7位と入賞を逃す結果となりました。1年間憧れてきた、普段の練習では全く追いつけないような強い先輩達をもってしても勝てないものなのか、という衝撃はずっと彼の心の中にあったようです。この衝撃が、のちに彼が抱くようになっていった「自分が東北大のエースとして部を引っ張っていきたい」という気持ちに火をつけていくことになります。

滋賀でのインカレリレーのあたりから、目つきが変わってきたな、という印象です

-  同期からのコメント

2012年度:強くなりたくて、もがき続けた2年目

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インカレミドル2012での力走
主な大会での成績
  • 第38回全日本オリエンテーリング大会 M20Aクラス 優勝
  • ジュニア世界選手権2012(スロバキア)出場 Sprint153位 Long136位 Middle予選57位
  • 北東インカレ2012 MEクラス 11位
  • 第33回早大OC大会 MEクラス5位入賞
  • インカレロング2012 MEクラス 45位
  • インカレミドル2012 MEAクラス 6位入賞
  • インカレリレー2012 MURクラス 2位入賞(杉村俊輔-西本昌史-髙橋恒二)
  • 第39回全日本大会 M20Eクラス 優勝
東北大のエースを目指して

大学2年になり後輩を持つようになった杉村君は、東北大のエースを目指して前年以上にひたむきにオリエンテーリングに取り組みます。

2012年4月、翌春のインカレリレーの東北大代表チーム(選手権リレー)に立候補します。

僕はあまり迷うことなく立候補した。やっぱり「優勝」という目標が魅力的だった。あとは、前年度7位に終わったのが悔しかったから。走ったわけでも、立候補したわけでもないけど。強い東北大を取り戻したいという気持ちでいっぱいだった。立候補したのは関さんと恒二さんと僕。この3人で優勝させるには、自分が速くならなきゃいけなかった。

-「だっちゃでけさい 2013年4月インカレミドル&リレー特別号」より

日々のトレーニングはもちろんのこと、遠方の大会にも頻繁に参加し、オリエンテーリングにかけた時間と熱意は他を寄せ付けないレベルでした。夏に行われるJWOC(ジュニア世界選手権)の代表選考会のため、仙台からはるばる広島まで遠征をしたこともありました。

しかしながら、前のめりな気持ちとは裏腹に、秋までの半年ほどは怪我や不調に苦しみ、なかなか思うような結果を出すことができない日々が続きました。弱音を吐いたり、苦しんでいるこの時期の彼の姿は多くの人の印象に残っているようです。

当時は怪我があったり、なかなか思う通りの走りができなくて、涙を流し悔しがってる姿が印象的でした。

- 先輩からのコメント

2年生のときは、年度の初めから選手権リレーのメンバーに立候補し、明確な目標を掲げてオリエンテーリングに取り組んでいました。レベルは着実に上がっているはずなのに、思うように結果が出せない苦悩の時期もあったと思います。彼がつらい顔をしているのを見ることもありました。

- 同期からのコメント

JWOC2012(ジュニア世界選手権)に出場

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JWOC2012に向けて出発する前夜、意気込みを話す

JWOC代表は一度落選したものの、代表選手の怪我により繰り上がりで参加することが決定。初めての世界大会ということもあって気合を入れて臨んだようですが、ここでもやはり思うような成果を残すことができず、世界の壁の高さと自らの不甲斐なさを感じながら開催地のスロバキアから帰国することになります。

悔しさと応援してくださった方々への申し訳ない気持ちだけが残ってしまった今回のJWOCでした。
私は、今回のJWOCでまともなレースをすることが出来ませんでした。(中略)実力が出せなかったというよりは、もともとの実力が足りなかったからだと思っています。私は、他の日本代表選手・海外選手に比べて走力・読図力・練習の量と質、全ての点で劣っていたと思います。特に走力・フィジカルの差を1番痛感しました。

- 「だっちゃでけさい 2012年10月号」より

怪我明けで臨んだJWOCも全然結果が出せず、しかもオリエンテーリングが全然楽しく感じられなかった。

- 「だっちゃでけさい 2013年4月インカレミドル&リレー特別号」より

「前期の一番大きな大会」として、先輩たちを倒して優勝するという目標を掲げて意気込んで臨んだ北東インカレも結果は11位。

口では優勝したいって言っていたけど、それに相応する体力も技術も無かった。関さんは1位だし恒二さんは3位。
自分だけ周りに不安を与えるような結果を出してしまってすごく悩んだ。

- 「だっちゃでけさい 2013年4月インカレミドル&リレー特別号」より

結果が出ない日々、それでも走ることは絶対にやめない

しかし、ここで潰れないのが杉村君の強さであったと筆者は確信しています。根っからの負けず嫌いで真面目な彼は、結果が出ない日々も強くなるために考えて努力することを決してやめませんでした。

「強い」選手になってみせます。本番で自分の実力の 100%のものあるいはそれ以上のものを出し切れる選手・プレッシャーに負けない選手・期待に応えられる選手・逆境こそ力を発揮できる選手...そんな選手になってみせます。自分はまだまだ弱いです。

- 「だっちゃでけさい 2012年10月号」より

ひたむきな彼を見放してはおけない、周囲からの後押しもありました。

(※以下、引用部分は「だっちゃでけさい 2013年4月インカレミドル&リレー特別号」より)

個人的に今年度のターニングポイントになったのは、北東インカレが終わった後の選手権話し合いだった。言いたいこと・自分の気持ちをさらけ出せた。どうすれば速くなれるのか分からないってね。そして自分が言ったことに対して皆さんが反応してくれたこと全てが本当にありがたかった。あれで気が楽になった。今だから言えるけど、あの話し合いが無ければ今の自分は無い。

結果は少しずつ出始めます。11月に「両総用水」で開催された第33回早大OC大会では最上位のMEクラスで5位に入賞。「オリエンスピードが上がり、技術的にも明らかな進歩が見られたレース」と本人も振り返っています。この時点ではまだ常に安定した成績を残すような段階には至らず、翌月に勢子辻で行われたインカレロング2012では大きなミスからMEクラス45位に沈みはしたものの(※このレースは彼にとってのちに「ハイライト動画を見ようと思っても途中でやめてしまう」と振り返るほど苦い結果だったようです)、巡航速度は105.6と森を走るスピードは上位選手にも決して劣らないレベルまで達していたことがわかります。

ただ、こんな現状ではまだまだ東北大を引っ張る存在にはなれないと言い、彼は全くアクセルを緩めることはありませんでした。この頃の月間ランニング距離はコンスタントに200〜300km程度を積んでいたようです。東北大を強くしたいという思いと、そのレベルに達していない自分の現状とのギャップの間で激しい葛藤を抱えていました。

もちろん優勝はあきらめたくはなかったけど、現実を見た時にどうしてもギャップを感じていた。それに誰が結城さん(※ライバル東京大学のエース)に勝って誰が真保さんに勝つのか、って。本当は俺が勝つって言いたいけど、実力差があまりにでかかったしその時は現実的に考えて無理だった。それがやっぱり悔しかった。もっと速く、そして強くならないと。危機感でいっぱいだった。

春インカレで結果出して、自分に注目していない人をあっと言わせてやろうと思った。

高みを目指すあまりオーバートレーニングを重ねていた無理がたたったのか、年始に膝の怪我で1か月の休息を余儀なくされてしまいます。そのブランクを完全に埋めきることはできず、4月から目指してきた選手権リレーのセレクションレースは落選という結果に終わってしまいました。

迎えたセレレース。しかし、思うようなレースが出来なかった。セレに落ちたことはそりゃもちろん悔しいんだけど、それよりもこういった大事なレースで結果を出せない、勝負強さが無いことの方が悔しかった。昔から大事なレース・本番に弱い。いつもはしないようなミスを簡単にしてしまう。メンタルが本当に弱い。あとは 1 月の怪我の影響もあってか 2 日間走りきる体力・コンディショニングに不安を残してしまった。
でも悔しがってる暇なんて無かった。決まったことはもう変えられないからね。すぐに併設リレーで勝つことに気持ちを切り替えられた。実際にこうなることは当然覚悟していたし、準備ができていた。結局、本番までモチベーションを保つことが出来たし、ある程度体力・スピードも戻ってきてオリエンテーリングの感覚もいい状態で本番を迎えることが出来た。

インカレミドル、本人もびっくりの選手権初入賞

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1期後輩の宮西選手とともに入賞

迎えたインカレミドル。前夜はほとんど眠れなかったほど緊張していたそうですが、ひとたび山に入ると「ミスも含めて自分のレースが出来て良かった」と感じるような会心のレースができたとのこと。

ラスポゴールは笑顔で。これが目標だったから。笑顔で帰ってこれるようなレースが出来て良かった。

結果は6位入賞。

しばらくして入賞が確定。正直入賞出来ると思っていなかったので嬉しさもあったけど驚きでいっぱいだった。
表彰式、すごく気持ちよかったです。(うまい棒以外はね...)

(※現在は禁止となっていますが、2012年当時のインカレでは、表彰式でチームメイトが駆け寄ってうまい棒を口に突っ込む風習?文化?のようなものがありました。この記事の中でもうまい棒を突っ込まれている人たちの写真が多く出てくるのはそのためです。インカレ前日に近くのスーパーでうまい棒を買い占めることも、チームオフィシャルの重要な業務でした。)

翌日の併設リレーでは、ともに選手権リレーを目指して切磋琢磨してきた同期の西本選手・2期先輩の髙橋選手とチームを組んで準優勝。

ミドルであそこまで結果が出ると思っていなくてうまくリレーに気持ちを切り替えられなかった。ミドルの勢いのまま行った方が良いのか、それともミドルのことをさっぱり忘れた方が良いのか。集中できないままレースに臨んでしまった。あとは気の緩み。明日も行けるだろうという根拠のない自信。これでセレレース失敗したのに同じ失敗してるから、ほんと自分っていうやつは学ばないやつだ。正直リレーの反省点は挙げたらキリがない。(中略)結局トップから4分差でリレー。振り返りたくないようなひどいレースだった。

自分には応援することしかできなかった。(髙橋)恒二さんとは4月から選手権に立候補して1年間切磋琢磨してきたこと。自分が1走で失敗してしまったこと。これが恒二さんの学生としての最後の舞台だということ。それなのに最高の舞台を提供できなかったこと。悔しい。金メダルをプレゼントできないかもしれない...本当に申し訳ない...いろんな思いが込み上げてもう涙が止まらなかった。(中略)

そして恒二さんがフィニッシュ。西本と共に恒二さんのもとへ。もうごめんなさいしか言えない。言えば許してもらうわけでは決して無いのにね。僕と西本は泣いてたけど恒二さんは笑顔だった。

結果は2位。西本・恒二さんが乗せてくれた表彰台、そして2人が取らせてくれた銀メダル。西本・恒二さん、本当にありがとうございました。もうチームに迷惑をかけるような走りは絶対にしない。次は僕がチームを救うような走りがしたい。いや、する。

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大事なシーンで目つぶり・・・

杉村君のオリエンテーリング2年目は、苦しみもがいてきたことの成果が出た喜び、先輩を勝たせられなかった無念さ、そして3年生として迎える次のインカレへの強い決意とともに幕を閉じました。

2013年度:止まらない勢いで成長していく3年目、しかし…

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インカレロング2013 足をつりながら懸命のフィニッシュ
主な大会での成績
  • 第35回東大OLK大会 北東Msクラス 優勝
  • 北東インカレ2013 MEクラス 優勝
  • ジュニア世界選手権2013(チェコ)出場 Long113位 Middle予選46位
  • インカレロング2013 MEクラス4位入賞
  • 第2回全日本ミドル M21Eクラス 優勝
  • 第22回全日本リレー MEクラス 優勝 (静岡チーム/長縄知晃-小泉成行-杉村俊輔)
  • インカレミドル2013 MEクラス 優勝
  • インカレリレー2013 MERクラス 12位(藤橋涼-宮西優太郎-杉村俊輔)
3年目の目標

2年目の終わりに著しい成長を見せた杉村君は、3年目に次のような目標を掲げ、引き続きオリエンテーリングの技術向上に努めます。

シード選手になること。ミドルで優勝すること。そしてリレーで3走を走ること。そして優勝すること...。

- 「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より

秋のインカレロングまでの期間は順調そのものでした。まず、インカレミドル・リレーの2週間後に行われた第39回全日本大会では、M20E(20歳以下の選手権クラス)で栄えある優勝。新歓時期を挟んた後、ロングのセレクションレースとなった6月の東大OLK大会ではライバルや先輩たちを抑えて堂々の1位通過。続けて8月の北東インカレでも優勝と、北東学連内ではもはや敵なしといっても過言ではない状態でした。

またこの間、7月には昨年に引き続き2度目となるJWOC(ジュニア世界選手権)に出場するためチェコへ遠征(※大学に現役で入学し、かつ早生まれのため、3年生の夏にもJWOCへの出場が可能でした)。結果としては、やはり海外のレベルの高さを感じるものであったようですが、ロング・ミドルともに昨年度の参加時よりも順位を上げ、本人としても「実力を出し切ることができた」良い海外遠征となったようです。

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JWOC出発前、お見送りに駆けつけた同期との集合写真

この頃の杉村君の活躍について、1年時から彼のことを見てきた先輩もこのように振り返っています。

1,2年の時から比べて飛躍的に成長し、たくましくなっていった印象です。アドバイザーとして彼の数々の活躍を観ることができて幸せでした。

- 先輩からのコメント

9月には第36回東北大学オリエンテーリング大会を副実行委員長として運営し、多くの参加者を仙台のテレイン「ヲドガモリ」に迎えて大会を成功へと導きました。

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各パートに指示を出す副実行委員長
競技への向き合い方について

一つの目標であったJWOC・東北大大会運営を終え、実はこのころの杉村君はオリエンテーリングに没頭してきたここまでの大学生活について「このままでいいのだろうか?」という迷いもあったようです。

オリエンテーリングをするために大学に入ったわけではないし、将来のことを考えた時にこれで良いのかと考えたから。(中略) でも、JWOC終わってしばらく考えて、やっぱり自分にはやめるのは無理だった。今の自分にはオリエンテーリング、そしてインカレしかないと。大学生のうちにやりたいことをやろうと。あとは後輩、特に1年生のあこがれの存在になりたかった。だって1年生の目が活き活きしてるんだもん。先輩たちの競技への思いとか取り組みの姿勢を見て何かを感じ取ってほしい、そして成長するきっかけをつかんでほしいと願っていた。

あとは自分の優勝を望んでくれる人がいたこと...。

- 「だっちゃでけさい 2013年11月号」より

こうした経緯もあって、東北大大会からの1か月間は、これまでよりもさらにギアを上げてインカレへ向けたトレーニングに専念していくことになります。

本番を想定した練習を行った。スタートが13:00と決まってからは、「13時から走る会」を設立して13:00から練習を行った。2年前田邉さんがしていた練習だ。食事を取る時間を意識したり、スタート地区に入るイメージやレースのイメージをしたりした。1か月しかなかったけどやれることはやった。昨年は走ってはいたけどメンタル面に関しては完全に準備不足だった(準備をしたつもりになっていた)し、それを反省して今年は準備できたと思う。

- 「だっちゃでけさい 2013年11月号」より

実はこの頃の杉村君が行っていた取り組みについて、2020年12月に「裏Advent Calendar」の一記事として彼自身が詳細に振り返っているので、こちらもぜひ一読されることをおすすめいたします。

note.com

インカレロング入賞へ

10月に静岡県「奇跡の森 山宮・北山」で開催されたインカレロング。前期のまとめ的なレースとして、全国から多くの選手が意気込んで臨んできます。

杉村君はこのレースに向けて、部誌を通じ部員に対して下記のようなメッセージを伝えています。

いよいよインカレロングですね。1年生は初めてのインカレですね。まずは楽しむ気持ちを忘れないこと。結果ももちろん大事だけど、結果が悪かったところで死ぬことなんてないですよ。それに敗戦から学ぶことってたくさんあるし、それを糧に強くなった人もいますよ。実際、私は昨年のロングは3か所も大きなミスをして45位に終わりました。本当に悔しくてこんな思い2度とするまいと思って、たくさん練習してたくさん考えて、春のミドルで6位まで上げました。今の学生上位にいる人って、意外と新人の時入賞とかしていないんですよ。だから昨年のロングの時の私みたいに、終わった後死にそうな顔になっている人が出てこないことを祈っています。自分もそうならないように準備します。とにかく、最後は笑顔で終わりましょう

- 「だっちゃでけさい 2013年10月 インカレロング特集号」より

そして、自身の目標については次のように述べています。

真保陽一と尾崎弘和を倒して優勝する。

プロ野球で優勝した楽天星野監督の背番号にちなんで、77分で会場に帰ってきます。そして皆さんのもとに笑顔で帰ってきたいと思います。熱い応援、よろしくお願いします!

- 「だっちゃでけさい 2013年10月 インカレロング特集号」より

(※真保選手・尾崎選手:それぞれ、当時の東京大学早稲田大学のエースで、いずれも学生トップ選手)(※ちなみにこの時星野監督について触れていますが、杉村君はスポーツ観戦が趣味という一面があり、とりわけ阪神タイガースの大ファンでした。詳細は第2章で述べています)

迎えた当日のレース。(※この時のコースはNishiPRO様の下記ページにてご覧いただけます)

nishipro.com

序盤は小さなミスをしつつも、徐々に自分のリズムをつかんでいき、中盤までの積算タイムでは大方の予想通りのトップ争いを繰り広げます。そして中盤の勝負どころとなるロングレッグ。

(※以下引用部分は「だっちゃでけさい 2013年11月号」より)

ロングレッグを見た瞬間、このレッグは絶対1位を取れると確信した。自分が1番得意なパターンのロングレッグだったし、予想コースで同じようなレッグを組んだから。それに今年度のロングレースのロングレッグはほとんど1位を取っていたから。自分の強みを持ってレースに臨めるのは精神的に大きい。実際に1位取れた。

ここを見事にこなし、トップに立った杉村君はこのまま逃げ切りたい―と思った矢先、アクシデントが起こります。

脚がつった。股関節・ふくらはぎ・足の指・太ももの裏...なんでこんなにつるんだよ...。痛くて何度も止まって伸ばしての繰り返し。もう優勝はきつい。多分入賞もきついと思って、走るのをやめたくなった。

ここまで順調に飛ばし、目指してきたインカレ優勝のしっぽが見えかけたタイミングで突如として彼に降りかかった試練。それでも、彼は走ることをやめませんでした。

でも会場で皆が待っている。応援してくれている。ここで走るのをやめたら絶対後悔する。(中略)もう足を引きずってもいい。何としても走りきる!

最後の3レッグくらいは奇跡的に脚がつらずに持ってくれた。いつつってもおかしくない感じだった。そしてラスポゴール。過去のインカレとかのラスポゴールの景色って意外と結構覚えているんだけど、今回のインカレに関しては全然覚えていない。ラスポをパンチしてすぐに長縄さん(※東北大OBの先輩)がいたことと、曲がってすぐに東北大の壁が見えたことと、東大の小島の顔が見えたことと、最後足がつったことしか覚えていない。これだけ覚えていれば十分?いや、他のインカレはもっと鮮明に覚えているんだよね。とにかく全力を出し切ったからいいや。

※このラスポゴールの映像はZakio1119様の下記YouTube動画にてご覧いただけます。

youtu.be

結果は4位入賞。巡航速度は99.6と出走した全選手中トップであったことから、やはり後半のアクシデントが悔やまれます。

しばらく脚が痛くて倒れていて、そのあと4位というアナウンスが聞こえていろんな感情が込み上げてきた。完走できたこと、たくさんの人が応援してくれたこと、優勝できなかったこと、入賞できたこと、脚が痛かったこと...。思わず泣いてしまった。それにしても最近涙もろくなったな...(笑) (中略)

負けたのがペゴ(※尾崎選手)と真保さんと菅野さんで良かった。ペゴと真保さんはずっと目指いしてきた相手。やっぱり強かった。まだまだ強くならないと勝てないということを教えてくれた。これからもこの2人の背中を追い続けて春には勝ちたい!

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名前を呼ばれ、笑顔で表彰台へと駆ける

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表彰式での入賞インタビュー

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東北大の先輩である菅野選手とともに仲間から祝福されました

ロングが終わったら次なる照準はミドル・リレー。次のインカレへの意気込みをこのように書き記しています。

インカレロングは終わったけど、春インカレの戦いはもう始まっています。今回悔しい思いをした人は今頑張らないと、春また同じ思いをします。ここから春まで伸びる人は伸びるし、伸びない人は伸びません。ロングの悔しさを引きずるところまで引きずったらあとはそれを普段の練習にぶつけるだけです。

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「だっちゃでけさい 2013年11月号」に記された意気込み
降りかかった試練

インカレロングが終わって再びトレーニングを再開した杉村君ですが、すぐにあるトラブルに見舞われます。それは1週間後に参加した5時間ロゲイニングで右膝を負傷してしまったことです。ここで時間をかけて治療に専念すれば、そこまで酷くならずに回復できる可能性が高いところ、気の抜けない重要なレースが続きます。

11月の全日本ミドルでは、最上位のM21Eクラスで並みいる強力選手をおさえて堂々の優勝。12月の全日本リレーでも、出身地である静岡県チームのアンカー3走としてMEクラスで優勝を果たします。

走ったらアイシングの毎日。時には痛みが強くなって走れない日もあったけど、気持ちだけは切らさないようにと思ってきた。

 - 「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より

大事なレースは常にきちんと準備をして全力で臨む。そんな彼の生真面目さが災いしたのか、なかなか治療に専念することができず、この間にどんどん膝を悪化させてしまいます。

その結果、1月は全く走ることができませんでした。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

2月になり膝の炎症は治まり、東北大内での選手権リレーのセレクションレースを通過。しかし、ここまで筋力が十分に戻らないままハードなトレーニングに励んでいた影響からか、今度はインカレ10日前のタイミングで1月までの炎症とは違う箇所、右膝の外側側副靭帯を痛めてしまいます。

インカレ4日前に軽くjogしたら痛すぎて、悔しさと痛さで河川敷のど真ん中で涙を流したのを今でも覚えています。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

あぁ、これはオリエンテーリングをやめろという神のお告げなんだな。自分は選手権リレーには縁が無いんだな、って思った。今まで学業とかいろんなことを犠牲にしてまでオリエンテーリングを続けてきて、きっとバチが当たったんだなと。

- 「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より

痛みの感触から、ミドル・リレーの2日間を走り切ることは厳しいと感じていたようです。出走をやめるのか、ミドル1本だけにしておくのか。直前まで悩みに悩んで、出した結論。

いろんな人と話した。自分なりにも考えた。その結果、ミドル・リレー両方走ることにした。正直、この決断は怖かったけど、応援してくれる方々、今まで自分を支えて下さった方々、このインカレに思いをぶつけようとしている選手のことを思うと、こういう決断をするしかなかった。これで膝が壊れて二度と走れなくなっても構わない。だから、「オリエン人生の最後のつもりで走る。」って言い続けた。自分に言い聞かせるためにも。

- 「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より

あの当時、クラブ内には出走した方が良いと考えている人、やめた方が良いと考えている人どちらもいました。どちらの考え方の人からもそういう声をいただきました。私も出走したらどうなるか、将来のことも含めて自分なりに本気で考え、最後の最後まで悩みました。そして最終的な決断は、「このレースがオリエンテーリング最後のレースになっても良いから走る、その代わり絶対に勝つ」でした。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

歓喜のインカレミドル

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シード選手となり、開会式会場にパネルが飾られました

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シード選手として開会式で登壇し、一芸を披露

栃木県矢板市で開催されたインカレミドル。この大会では入賞が期待される有力選手として、シード選手に選出されました。3年生の最初に掲げていた目標の1つを達成したことになります。

ミドル当日。

(ミドルのルート図:http://www.orienteering.com/~ic2013/image/MEAroute

(※以下引用部分は、何も記載がない場合「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より)

アップはゆっくりジョグなら出来るけど、スピードを上げると少し痛かった。地面がコンクリートということもあったけど。ダッシュしたらかなり痛かった。走りきれるのかという不安もあったけど、走るって決めたら走るしかないよね。

その不安からか、立ち上がりは多少ミスタイムを計上するものの、やはり本番を見据えてトレーニングを重ねてきたことが功を奏してか、この日も徐々に自らのペースをつかんでいきます。6番のレッグからはラップ1位、2位、30位、2位、3位、とギアを上げていきます。

中盤以降はライバル選手のミスなどもあり、ついに15番のレッグでトップに立ちます。

微地形のアタックで少しミスしたけど、すぐに気づけて冷静に行けてるなと。途中名古屋大の堀江さんと一緒になった。お互いに引っ張り合いつつ終盤へ。誘導の道走り。膝が痛い。でも走れる。堀江さんが離れたと思ったらまた追いつかれて結果的に一緒にビジュアルへ。去年のミドルも最後堀江さんと競ったなぁ。

ビジュアルでは「他を圧倒するスピード」で姿を現した杉村君は、その後もこれまでの勢いのままにレースを進め、大きな歓声の中でフィニッシュに姿を現します。

(※このビジュアルからフィニッシュまでの様子は、Zakio1119様の下記YouTube動画でご覧いただけます)

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フィニッシュして暫定1位のタイム。このアナウンスを聞き、彼も思わずガッツポーズを決めます。

ゴールして暫定1位。正直興奮してて、あの動画でのガッツポーズは無意識にやってた(笑)。1位だったことももちろん、無事走りきれたこと、同期を中心に多くの方が喜んでくれたことが嬉しかった。そして優勝確定。胴上げ。最高に気持ち良かった。胴上げされてようやく実感が湧いた。太田さん、日下さん、大橋さん、山上さん、細淵さん、結城さん...ようやく憧れの先輩方に追いつくことが出来た。

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表彰で名前を呼ばれ、喜びを爆発させる

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表彰式インタビュー

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仲間からの祝福

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今年も後輩の宮西選手とともに入賞!お互いに順位を上げました

しかし、ミドルの優勝に浮かれている場合ではありませんでした。そもそも、一番の目標にしてきたのは翌日のリレーです。

結果的にミドルは優勝できましたが、ミドルの時点で既に下りやロード区間で強い痛みが出ていました。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

でもリレーがある。去年はミドルの入賞で舞い上がってリレーで失敗した。だから気持ちを切り替えることに集中した。膝はなんとか持つだろう。リレー。1年間、いや1年の春インカレが終わってから2年間目指してきた舞台。

2年間ここを目指してきた、決戦のリレー

東北大学の3走として臨む選手権リレー。チームは1期後輩の藤橋選手と宮西選手、そしてアンカーが杉村君。当日、スタート前の緊張感に満たされた独特の雰囲気に、思わず感極まってしまいます。

スタート前。「気楽に走ってこい。あとは俺たちに任せろ。」と言って藤橋を送り出した。スタート前の静寂。いろんな感情が込み上げてきて泣いてしまった。その時だけは背負っているもの、プレッシャーを感じて、その重さに耐えきれなかった。ほんと重かった。

リレーがスタート。東北大は1走でやや苦戦を強いられる展開となってしまいます。

2年生で東北大の1走を任されて、背負うものが大きくて、それでいて思うようなレースが出来ていなくて、どれほど苦しい思いをしているのか...と。だから藤橋が帰ってきたときには絶対笑顔で迎えてやろうと決めていた。
そして藤橋が帰ってきた。よく走った。必死につないでくれた。その気持ちに自分も応えないと。情報伝達をしてもらって、「あとは任せろ」と。

ウォーミングアップでは、昨日と同様に膝の痛みが出てしまいます。

アップを始めたわけだが、最初は普通に走れたけど、だんだん痛みが出てきた。昨日と同じように、ダッシュをしたら痛かった。でも昨日も走れたし何とかなるはず。そう信じてスタート地区へ。スタートが近づくにつれて痛みは消えていった。スタート地区からラスポの方を見ると東北大の人がたくさん見えた。そっちを見ると涙が出そうになった。

そんな中、2走の宮西選手を迎え、いざ出走。しかし、出走前には最後まで耐えられるかと思いかけた彼の膝は、実際には既に限界を迎えていました。

思ったより早く膝に痛みが出てきてしまった。途中何回か痛みが強くなって歩いたところもあった。正直、途中棄権も考えた。でも藤橋と宮西が必死になってつないでくれた。過去に選手権リレーを走った先輩方が築いて下さった伝統を途切れさせたくない。それに会場では皆が待っている。歩いてもいい、足を引きずってもいい、何としても順位をつける。そう思って最後まで走る決意をした。

ぼろぼろになりながらも懸命に走る杉村君。レースの途中には、「東北大のエース・3走」にあこがれるきっかけとなった先輩の姿がありました。

途中の誘導に田邉さんが立っていた。田邉さんを見たとき、こんな状態で走っていることが悔しく、そして本当に申し訳なかった。こんな情けない姿を見せたくなかった。田邉さんが椛の湖で見せた走りには全く及ばなかった。

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膝の痛みを抱えながらも懸命に走る

当時応援していた仲間にとっても、この時の彼の走りはもはや「見ていられないほど」辛そうなものだったといいます。

ビジュアル。そこには東北大の壁があった。他大の方もいたと思うけど、自分には東北大しか見えなかった。これが自分の見たかった景色なんだ。それにしても本当に人数多いなw。熱気がすごかった。あとは声援に背中を押してもらおう。痛いけど走れる。

最後の回し。最後の山塊を登りきったとき、一気に応援が届いてきた。あぁ、あっちの方に行けば良いんだなという感覚。この感覚がインカレのレースの中で一番好き。

ラスポゴール。本当は皆に手を振るくらいのことをしたかったんだけど、膝が痛すぎたし、こんな情けない姿を見せるのが恥ずかしかったし...それで皆の方を向くことが出来なかった。東北大の方の応援、そして他大の方の応援、それが最後まで途切れなくてそれが本当に嬉しかった。

結果は12位。目指していた目標からは程遠い結果にはなったものの、最後まで東北大のタスキを絶やさずに走り切りました。

高校の時とか大学1・2年の時に比べると、ずいぶん自分は強くなったなと感じた。正直、今回のインカレが今までで一番きつかった。でもその中でミドルを勝ち切れたのは自分が成長した証だと思う。

ちなみに、この時に出走したことが彼にとって本当に良いことだったのか、もしくはやめるべきだったのか。その判断はここから6年経っても答えが出せない難題だと言います。

矢板インカレでの出走の判断は本当に正しかったのか、未だに分かっていません。もし走っていなかったら、出走しても優勝していなかったら、、、競技を本気で続けているかどうかは分かりませんが、少なくとも今の心境は変わっていることでしょう。(中略)

この矢板インカレは、「自分の中で何が一番大事なのか、選択した場合の最低と最高をよく考えて決断すること」の重要さを身をもって実感した人生で初めてのイベントでした。まぁ、これは当たり前といえば当たり前のことなのかもしれませんが、もともと周りに流されやすいかった自分にとってはすごく重要な教訓になっています。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

こうして、目標としてきたインカレリレーは悔しさの残る結果で幕を下ろしました。

膝の状態が悪いことも、学業との両立も重要な課題である状況下で、杉村君は4年目を迎えるにあたってこのように決意しています。

これから4年生になって、どうオリエンテ―リングに関わっていくかずっと迷っていましたが、決めました。応援して下さる方々、支えて下さる方々の思いに応えるべく、もう1年本気でオリエンテーリングに取り組もうと思います。これまで以上にオリエンテーリングに関わる時間は減ると思いますが、しっかり学業と両立させます。

栄光は挫折を味わった者にしか来ない。東北大がこのまま終わると思うか。そんなわけないだろ。待ってろよ愛知!!

2014年度:スランプに苦しむ4年目

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追いコンで後輩たちに向けてスピーチ。どんな熱い言葉を語りかけたのでしょうか?
主な大会での成績
  • インカレロング2014 MEクラス 20位
  • インカレミドル2014 MEAクラス 15位
  • インカレリレー2014 MERクラス 3位(西本昌史-杉村俊輔-宮西優太郎)
前年とは打って変わって、なかなか結果の出ない日々

正直、この1年は本当にしんどかったです。

- 「だっちゃでけさい 2015年4月 ミドル特集号」より

と振り返っているように、昨年の同じ時期とは打って変わって、本人にとってなかなか結果が出ずに苦しんだ1年でした。

3年目の後半から苦しんだ膝の痛みを治療し、ようやく走れるようになって臨んだ8月の北東インカレではまたしても膝を打撲してしまい、途中棄権。この怪我も重傷で治療が長引き、何か月も満足にトレーニングができない状況が続きます。

そんな中で迎えた、10月に福井県にて開催されたインカレロングは20位。十分素晴らしい順位ではありますが、前年度までの彼の快進撃を考えると、いささか物足りない結果であることは誰が見ても否めないでしょう。ましてや、高い目標を掲げてこれまで取り組んできた杉村君自身にとっても、この順位は満足できる結果ではなかったはずです。

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インカレロングのビジュアル区間

夏から苦しんだ打撲を完治させ、ようやく本腰を入れてトレーニングができるようになった頃にはもう12月になっていました。そこからの日々も決して順調とは言えず、思うようなオリエンテーリングがなかなかできぬまま時間が経過していきました。

(※以降、引用部分は特に記載がない場合「だっちゃでけさい 2015年4月 ミドル特集号」より)

何をやっても上手くいかない。本当に選手権リレーを走れるのか、走れたとして優勝に貢献できる走りができるのか、自問自答の日々を送り続けました。

そう迷いながらも、やはり最後のインカレに向けて全力で戦うことを誓います。

怪我を抱えてオリエンテーリングしたくない、また無理をして怪我したらどうしよう、あんなきつい思いをしてまで優勝を目指すのはしんどい、、、4年生の時に最後の最後で頑張れなかった理由です。でも、東北大を復活させなくてはいけないという責任がなんとか自分を繋ぎ止めてくれました。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

最後は自分の気持ちに素直になりました。自分がなぜ選手権に立候補したのか、なぜ優勝したいのか。10月の決意表明の時は「今まで支えてきてくれた、応援してくれた皆に恩返しをするため。」と言いました。もちろんその気持ちは捨てませんでした。でも最終的に自分を支えてくれたのは、自分の根っこにある「負けず嫌いな気持ち」と「諦めの悪さ」でした。最後はもう「4年の意地」で調子を取り戻したようなものです。

1年間全く良いところを見せられず、正直自信を失いかけていました。でも、そんな自分に選手権リレーを走ってほしいと言ってくれる人がいるとは思いませんでした。そんな人たちの応援や熱い思いは大きな後押しになりました。

この時にネガティブになりがちな気持ちを切り替えて決意を固めることができた背景には、ここまで4年間一緒に戦ってきた同期の存在があったといいます(詳細は第2章に記載しています)。

最後のインカレへ

選手権リレーの部内セレクションを3番手で通過し、愛知県の作手高原で開催された春インカレに臨みます。杉村君にとっては、これが泣いても笑っても最後のインカレです。

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この年もシード選手として、開会式で意気込みを語ります

後輩の宮西選手によるシード選手紹介動画です。4年間トレーニングやインカレ必勝祈願などでお世話になってきた、東北大学の近所にある「亀岡八幡宮」でトレーニングに励む杉村君の様子がインカレ開会式で投影されました。

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1日目ミドルの結果は15位。やはりこの1年間、怪我に悩まされて満足にトレーニングができなかったことが響き、入賞を逃してしまいます。

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ミドルのフィニッシュ後、インタビューを受ける様子

翌日は現役最後のレースとなる選手権リレー。4年間よき同期・よきライバルであり続けた西本選手、そしていつも一緒に表彰台に上がってきた後輩の宮西選手と3人で組んでのチームとなります。

最後のリレーということもあり、やはりその重圧と緊張感は計り知れないものであったようです。

リレーのスタート1分前の静寂に今年も勝てませんでした。今年も泣いてしまいました。泣かないと決めていたのにね。あの1分間だけは、重圧とか期待とかが全てのしかかってきて苦しくなるのです。

この日の選手権リレー1走は各大学が僅差でひしめく接戦となり、1位と約1分差の5位で2走杉村君にバトンが渡ります。現役4年間のすべてをぶつけたレース。彼はこのリレーの走りを次のように振り返っています。

リレー本番は、4年間で1番良い走りができました。誰が何と言おうと。あんなにエキサイティングなレースをしたのは初めてかもしれません。それでも福井(※東京大学2走)と糸井川(※京都大学2走)の背中は徐々に遠ざかっていきました。終盤一度追いついたけど、最後は力の差を見せつけられてしまいました。彼らと自分とでは、この1年間で積み上げてきたものが違いました。負けるべくして負けました。

結果、トップの東京大学とは2分差の4位でチェンジオーバー。アンカー宮西選手に託します。

(※このリレーの様子は、Zakio1119様の下記YouTube動画でご覧いただけます)

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3走宮西選手は2人を上回るタイムで好走を見せましたが、ライバル校東京大学京都大学3走の走りがそれをさらに上回り、結果は3位。それでも、3人の力を出し切った結果としての入賞となりました。

宮西が見えたときには、もう涙が止まりませんでした。でもその涙は、優勝できなかった悔しさだけで流れたものではありません。正直ホッとしました。いろんな感情が渦巻いていました。

ずっと追い続けた「選手権リレー優勝」は果たせませんでした。もちろん悔しいです。手にしたかったものは手に入りませんでした。でも、見たかった景色は見ることができました。表彰台から見える皆の表情、しっかり目に焼き付けました。なんだか報われたような気がしました。

思い残すことがないと言えば嘘になりますが、もうこれで安心してインカレを終えられます。あとは後輩たちに全て託します。

本当にありがとうございました。

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表彰式の様子

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1年間一緒に戦った選手権チーム

こうして、杉村君の4年間は終わりました。

東北大学 学友会長賞」の受賞

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東北大学卒業式の様子

東北大学では、部活動で特に優秀な成績を残した4年生に対して「学友会長賞」という賞が贈られています。杉村君は、これまでの学生大会での数々の優秀な成績に加え、2度の世界大会出場、全日本大会で多くの社会人選手を下しての優勝などが評価され、見事にこの学友会長賞を受賞することができました。卒業式では、会場のスクリーンに彼の実績が投影され、卒業生全員の前で表彰を受けることになりました。

このことにより、杉村君のこれまでの実績は、オリエンテーリング部内のみならず、学内に広く知れ渡ることとなりました。

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卒業・そして受賞おめでとう!

2015,2016年度:東北大学アドバイザーとして後進の育成に励む

主な大会での成績
  • 第38回東北大大会(2015) M21A 3位
  • 霧ヶ峰ロゲイニング2016 5時間の部 3位
  • 第39回東北大大会(2016) 青葉会MA 2位
  • OMM2016 ストレート ショートの部 優勝

卒業後の2年間は、修士課程への進学により引き続き東北大学に残ることが決まり、オリエンテーリング部ではアドバイザーとして、これまでの4年間の経験を後輩たちに伝える立場になりました。彼がアドバイザーとして努めてきたこととして、次のように記しています。

僕は今年、現役生よりも速くなることを目標にしています。あとはなるべく現役生と一緒のコースを走ろうと思います。自分が走って現地で見たもの、感じたことを還元したいと考えています。

- 「だっちゃでけさい 2015年5月 新入生歓迎号」より

東北大は、現役生主体でもしっかり競える環境を作り出していて、着実に選手も育っていて、これはこれで素晴らしいことだと思っています。でも、そういう環境づくりをアドバイザーが手助けできたら、もっと現役生はのびのびできるだろうと思ったし、何で自分がもう1年アドバイザーをやらせてもらうのかって考えたときに、やっぱり競技的なところに期待されている部分が多いはずだと思いました。なので、OLK(東京大学オリエンテーリングクラブ)の先輩方のような「速くて現役との距離が近くて頼りがいのある」アドバイザーを目指していました。

「速い」アドバイザーを目指すうえで意識したことは2つ。1つは現役生の壁になること。具体的には、最低限インカレのME で15~20位くらいで走れる実力を保つことを意識していました。そして、「現役生に負けた分だけ納会でお酒を飲む」というのを昨年度に引き続き行いました。これは、僕が納会でお酒をたくさん飲むためです。もちろん嘘です。一番の目的は現役生の士気を高めること。結果的にこの企画は意外にも浸透して、現役生の士気を高める企画としては成功したんじゃないかなって思っています。ちなみに今年度(※2016年度)は19杯飲むことになりました。(中略)

そしてもう1つは、単純にオリエンテーリングの指導のためです。ランオブでしっかりつく、ファシュタ系のトレーニングで自分のオリエンテーリングを見せる・現役生の走りを見る、そして気づいたことはしっかり言う。

- 「だっちゃでけさい 2017年4月 インカレミドル・リレー特集号」より

現役を引退してからは大きな大会には参加する機会は減ってしまったものの、東北大学大会やロゲイニング等には参加し、現役生に全く劣らず上位の成績を残していたようです。OMM2016ではストレート ショートの部では優勝を果たしています。現役生の前に立ちはだかる先輩として、杉村君は多くの後輩たちから信頼・尊敬されていたそうです。

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後輩たちと霧ヶ峰ロゲインに参加

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かつての東北大主力チームでCC7に参加

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東北大大会では偉大な先輩方と並んで入賞を果たす

また、学業の都合上、アドバイザー期間中にイタリアへ留学するタイミングがありましたが、そこでも合宿のコースや大会本番の予想コースを作成するなど、研究の合間を縫って現地でもできる仕事を通して現役生のために頑張っていたそうです。

この時期に杉村君の現役時代の取り組みを参考にして彼が始めた「水トレ」(水曜夜にインターバル走等のきつめのトレーニングをする)は、毎回30人近く参加するトレーニングとなり、長い期間継続されたそうです。

アドバイザー2年目となった2016年度の最後には、現役生として4年間、アドバイザーとして2年間携わったオリエンテーリング部に対して次のような言葉を残しています。

部の活動に関しては、基本的にはもう自発的に参加しないつもりです。でも、コーチとかランオブとか運営とか手伝えることがあれば声を掛けてください。基本的にちょろいので行くと思います。それにみんなのこと見捨てるつもりなんてないので。

最後になりますが、6年間を通して、4つ上の先輩方から5つ下の後輩までいろんな方と出会えたこと、そして素敵な思い出を作れたこと、本当に幸せなことだと思っています。

6年間、本当にありがとうございました。じゃあね!

- 「だっちゃでけさい 2017年4月 インカレミドル・リレー特集号」より

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2015年度春インカレにオフィシャルとして参加

2017年以降

オリエンテーリング部のアドバイザーを退任して以降は、博士課程に進学し、引き続き東北大学に残りました。膝の状態が慢性的に良くなかったことや、研究に忙しい日々を送っていたことから、かつてのように競技に真剣に取り組むことはありませんでした。それでも、たまに機会があればちょくちょくオリエンテーリングの大会や練習会に参加したり、現役で頑張るオリエンティアのサポートを行ったりしていたようです。

2017年に行われた東北大学オリエンテーリング大会前日大会では、2期後輩の橋本選手と2人リレーのチームを組んで出走し、見事に優勝。その大会について取材されたOK-Infoの記事が残っています。

okinfo.hatenablog.com

この頃より「オリエンティア軍団」の一員として、スカイランニング等の競技にも挑戦していました。

2018年にフィンランドで行われた世界大学選手権では、留学先のイタリアから駆けつけて日本代表チームのオフィシャルとして選手のサポートを行いました。

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世界大学選手権のオフィシャルとしてフィンランド

また同年、イタリアで開催されたトレイルランニングの大会に出場したり、ローマ中心街で行われたミドルレースに参加したりと、現地でも研究の合間に走ることは続けていたとのこと。

帰国後の2019年ごろには、比較的多くオリエンテーリングの大会に参加。2019年2月に行われた山リハリレーでは、1学年下の東北大OB原田選手・岩手大OB藤原選手と「杉ちゃんおかえり」チームで出走しています。9月に「望郷の森」で行われたクラブカップ7人リレーにも参加。「トータス虎」「WUOC2018」の2チームで出走しました。

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CC7のビジュアルで水を浴びせてもらう

2017年と2019年には、オリエンテーリングを始めるきっかけの一つともなった「富士登山駅伝競走大会」に青葉会(東北大学OB)チームで出走。諸事情あり、2017年は2区での繰り上げスタートという珍事も経験しました。

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富士登山駅伝の待機所で仲間を待つ

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タスキリレー!

最後の大会参加となったのは2020年11月の「東北大学オリエンテーリング大会前日大会」。膝の状態が良くなってきたことでエントリーを決めたそうですが、ここでもブランクを感じさせない流石の走りで予選を通過して決勝に出場。想定外の2本目レースが決まった瞬間は厳しい表情でしたが、終わってみれば楽しいレースだった!と振り返っていたことが筆者の記憶に残っています。

また、この頃に「一回過去の取り組みを整理してみよう」という意図で裏Advent Calendarへの投稿をしています。

note.com

オリエンテーリングを通じて知り合った方々には、たくさんの自分を成長させる機会をいただきました。この場をお借りして感謝申し上げたいと思います。
だからこそ、その存在を簡単に手放しちゃいけないと最近思うようになりました。それに、今まで全く恩返しが出来ていないことにも気づきました。しばらく競技から距離を置いていましたが、2021年は少しオリエンテーリングを頑張ってみようと思います。まずはちゃんと怪我を治すところからになりますが、、、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

- 「オリエンテーリングで勝つために本気で取り組んだ学生時代の話とそこから得られた教訓を今さら振り返る」より

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(第1章 おわり)

第2章 杉村俊輔ってどんな人だった?

この章では、杉村君自身の残してきた言葉や、周囲の人が記憶している杉村君について、オリエンテーリングに関するエピソード・オリエンテーリング以外での日常生活におけるエピソードから、彼が一体どのような人物だったのかを振り返っていきます。

ストイックで負けず嫌い、根はとことん真面目

杉村君のオリエンテーリング競技に打ち込む姿勢を目の当たりにしたことがある方なら、まず彼に対してこんなイメージを抱いていることでしょう。

彼は自分自身の性格について、大学4年生時の長いスランプを跳ねのけてインカレ選手権リレーを走ることになった経緯を語るうえで、このように記しています。

最後は自分の気持ちに素直になりました。自分がなぜ選手権に立候補したのか、なぜ優勝したいのか。10月の決意表明の時は「今まで支えてきてくれた、応援してくれた皆に恩返しをするため。」と言いました。もちろんその気持ちは捨てませんでした。でも最終的に自分を支えてくれたのは、自分の根っこにある「負けず嫌いな気持ち」「諦めの悪さ」でした。最後はもう「4年の意地」で調子を取り戻したようなものです。

- 「だっちゃでけさい 2013年4月インカレミドル&リレー特別号」より

彼がどれだけ真摯にオリエンテーリングに向き合ってきたかについては第1章で述べている通りです。筆者も彼の1・2年時に同じ東北大学の先輩・後輩の関係でしたが、他大学同期の誰々には負けたくない、先輩として後輩の誰々には負けるわけにはいかない、ということを部室でいつも語っていたような印象があります。そのエネルギーが彼を駆り立たせていたのでしょう。

競技や部活動(研究もそうだったのかもしれません)に対しての真摯な姿勢は忘れることができません。妥協を許さず自らを律し、結果のこと、東北大OLCのことを考え抜く姿に、憧れを抱き続けたのは決して私一人だけではないことと思います。努力し続けること、そして失敗や挫折から這い上がることの大切さを、言葉ではなく行動で教えてくれたのは杉村さんでした。

- 後輩からのコメント

副将(※東北大では2年生が務める。未来のキャプテン)などの役職が決まる前までは、同期のミーティングなどで率先してまとめ役をしてくれるなど、リーダーシップを発揮していました。1年生の冬頃に、副将を決めるため部の運営や将来像について話しているときには、真面目であるがゆえに繊細な一面も感じられました。副将にも立候補してくれました。人望が厚く、杉村君が副将(いずれは主将)になっても立派につとめてくれたと思います。しかし、杉村君一人にすべてを背負わせるわけにはいかない、彼には競技面で部を引っ張っていってほしいという思いから、彼には票を入れませんでした。彼自身も、自分が東北大のエースになる、と考えていたのではないでしょうか。

- 同期からのコメント

周囲の人からの影響を強く受ける

「負けたくない」気持ちと同じぐらい、彼を突き動かしているものとして彼自身が頻繁に書き遺していたのは「周囲の人から受けた影響」についてです。

私は、菅野敬雅さん(※東北大の1期先輩)が JWOCに出場したことに対する憧れから、大学 1年の秋ぐらいからJWOCに出たいと考えていました。

- 「だっちゃでけさい 2012年10月号」より

ずっと3走を走りたいと思ったのは、田邉さん(※東北大の3期先輩)椛の湖(※インカレリレー2010)での走りの影響だ。僕は入学していないから、その田邉さんの走りは見ていない。でも、新歓の時から「あの時の田邉さんはすごかった。」というのを聞いていた。田邉さんもその時のことを僕に話してくれた。田邉さんはどんな思いで走っていたんだろうか。どんな景色が見えていたんだろうか。その思い・その景色をずっと知りたくて、それでこの3年のリレーで3走を走りたいと思っていた。

- 「だっちゃでけさい 2014年4月 インカレミドル特集号」より

また、彼自身がオリエンテーリングに励むうえで大きな刺激になった出来事として、彼が大学2年生だった2012年9月に同じ東北大で3期先輩の田邉拓也さん、1期先輩の関淳さん、そして東大OLKで2期先輩の結城克哉さんと同行した江ノ電ランを挙げています。

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このメンバーでのトレーニングは忘れられない思い出となったようです

大学オリエンテーリング界のトップを走っていた先輩たちの背中は、まだ当時はそこまで勢いに乗り切れていなかった彼にとってはとてつもなく大きなものだったに違いありません。そんな夏の風景は、彼の脳裏にいつまでも鮮明に焼き付いていたことでしょう。

(ちなみに、湘南までの道中は仙台から関東まで2日間自転車をこぎ続けるといういかにも大学生らしい無謀なチャレンジをしていたそうです。この自転車は関東にいる友人に売却し、そこで得たお金で電車に乗って仙台に帰ったとのこと)

特に大きな影響を及ぼした仲間

とりわけ杉村君に対して大きな影響を及ぼした、彼の同期である西本昌史さんについて触れたいと思います。

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4回あるインカレリレーのうち、3回同じチームで走りました

西本さんは杉村君と同じ東北大学2011年入学のオリエンテーリング部同期です。4年間よきチームメイトとして、時にはよきライバルとしてお互い切磋琢磨しあいました。

初めてのインカレリレーでは併設リレーを走って新人特別表彰。2年生でのリレーでは準優勝。3年生のリレーでは同じチームで走ることは叶いませんでしたが、最後のインカレリレーでは再び同じチームで、今度は選手権リレーの東北大学代表チームとして3位入賞を果たしました。

西本さんは1年生の終わりごろより「これからの東北大のエースを担うのは杉村だ」との思いで、一番身近な立場から杉村君を強い選手に育てていくために様々な取り組みをしてこられたとのこと。2年生のころになかなか成績が出ずに気持ちが折れかけていた杉村君を奮起させるべく、西本さんはひそかにトレーニングを重ね、ある日のアドバイザー主催の合同トレーニングにおいて走力で杉村君を完全に打ちのめした日から、明らかに杉村君の目の色が変わったといいます。「杉村は負けず嫌いだから、彼を倒せば彼はさらに自分を超えようとしてくるだろう」と考えたとのこと。そうした西本さんの目論見通り、彼のその後の活躍は第1章で述べたとおりです。また、西本さんが東北大の主将に立候補したのも「部の運営は自分が担い、杉村には競技に専念してもらって、東北大のエースになってもらうため」だったそうです。

唯一同じチームで出走することが叶わなかった、杉村君の3年生のインカレリレー後の振り返りではこのように記されています。

個人的な感情を入れるのは良くないことだけど、今だから言う。俺は西本と選手権リレーを走ることをずっと考えていた。というか、選手権リレーを想像したとき、西本と同じチームで走っていることしか想像できなかった。それ、1年の時も2年の時も彼と一緒にリレーを走って、2年続けて彼に助けられてメダルを取ることが出来たから。今年は俺が助ける番だと。だから、西本が怪我で選手権リレーの立候補を下りると聞いたとき、まぁ怪我をした時から予感はしてたけど、正直悔しくて、自分も下りたいと少し思った。でも自分に出来ることは一つしかないよね。走って優勝して西本に優勝旗を渡すこと。

- 「だっちゃでけさい 2013年度インカレミドル特集号」より

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3年生のインカレリレー前の決意表明

一方で西本さんにとっても、杉村君の存在は大きなものでした。

東北大のエース、昨日はあんなに速かったのに、今日はなかなか姿を現してくれない。膝が限界を迎えたのだろうか。状態が良くないことはわかってた。モデイベでリレーを走るかどうか迷っていた杉村に「お前が走るならどんな結果になっても後悔はしない」そう伝えたのは間違いだったんじゃないか。やめておけと、本当は止めるべきだったんじゃないか。いろいろ込み上げてきて涙がでてきたけど、あいつが帰ってくるまで笑顔で応援し続ける。そうして会場に現れた杉村はまともに走れるような状態じゃなかった。苦しかったろう。本当にすまなかった。そして東北大を背負ってくれて、本当にありがとう。

- 「だっちゃでけさい 2013年度インカレミドル特集号」西本さんの記事より

4年生の後半には、怪我がちでなかなか調子が上がらず、やはり気分が塞ぎこみがちだった杉村君をどうにか奮起させたいと西本さんは考えていました。当時、東北大では4年生が冬に行われる追いコン前に「追いコンラジオ」というものを収録して現役生に配信していましたが、ここで西本さんは、杉村君とここまでの4年間取り組んできたことを片っ端から思い返し、いかに自分にとってこれまで杉村君が大事な存在であり続けてきたか、最後の春インカレに向けて一緒に頑張りたいか、ということをひたすらに30分以上も語り続けたそうです。そして、間違いなくそれを聞いたのであろう杉村君は、その後春インカレに向けて徐々に調子を取り戻していったとのことです。杉村君にとって、いかに西本さんが大きな存在だったかがよくわかります。

杉村君がOBになるタイミングで、現役4年間を振り返ったときに大きな思い出として「3年生のミドルで優勝したこと」と並んで「4年生のリレーで西本さんと一緒に走ったこと」を挙げています。

うめくさ
最後の最後に西本と一緒に走れて幸せでした。4年間ありがとう。

- 「だっちゃでけさい 2015年4月ミドル特集号」より

卒業後は修士課程に進学し、ともにアドバイザーとして後輩の育成にあたったのち、同じタイミングで博士課程に進学しました。博士時代にはほぼ同じ時期にヨーロッパ留学に行っていたため、現地で落ち合って一緒にヨーロッパ旅行をしたり、帰国後は博士論文執筆の疲れを癒すために秋保温泉に行ったり、現役時代よく通ったラーメン屋に寄ったりと、2人の深い間柄は今年2021年になっても続いていました。

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博士課程に進学した同期で論文執筆打ち上げ旅行を楽しんだそうです

素朴な人柄で非常に親しみやすく、社交的・友好的なタイプ

真面目でストイックである一方、人付き合いについてはとても友好的で、すぐに誰とでも打ち解けられる一面もありました。同じ東北大オリエンテーリング部の仲間はもちろんのこと、インカレなど他大学と接する機会では積極的に他大学の同期と関わり、2年生の春に行われたCC7では早くも全国同期チームで出走した記録が残っています。様々な人と関わったり、何か楽しませたりすることが心から好きだったのでしょう。

大学3年生時に副実行委員長として運営した「第36回東北大学オリエンテーリング大会」については次のように記述しています。

大会前に部室が賑わうあの感じがやっぱり好き。いよいよ大会というワクワク感が生まれるし、皆の頑張っている姿を見れるし。大会前じゃなくても部室があれくらい賑わうと良いよね。難しいかな...?

- 「だっちゃでけさい 2013年東北大大会特別号」より

何よりも、あんな大雨の中笑顔で会場に帰ってくる参加者を見て救われた気持ちになった。思えば、この笑顔を見るために運営したいとずっと思っていたんだよな、と。

- 「だっちゃでけさい 2013年東北大大会特別号」より

その人懐っこさから、先輩・同期・後輩関わらず彼は広く周囲から愛される存在でした。

先輩、後輩、他大の人たち含め、みんなから好かれ、愛されていたのがすぎちゃんでした。

- 東北大の仲間からのコメント

杉村さんに対するイメージは明るい方、という印象が多くあります。部室や、トレーニングに向かう際、飲み会などでの他愛の無い話の際にも明るく場を和ませてくれる方でした。

- 後輩からのコメント

杉村くんといえば、数々の大会で活躍してかっこよかったというのはもちろんですが、その親しみやすい人柄も大変魅力的だったと思っています。私と杉村くんはアドバイザー時代含めても学年は全く被っていなかったのですが、オリエンの大会でおいしいステーキを賭けて何度も勝負するなど、歳の差を感じさせずとても仲良くさせてもらいました。

また、選手としての杉村くんに、O-News、OK-Infoの記者としてたびたび大会優勝のインタビューをさせてもらう機会も多く、そこでも楽しくお話を伺うことができました。

ちなみに、ステーキ戦の初戦は忘れもしない2013年9月に行われた岩県大会(@岩姫)のOALクラス。大学3年で東北大のエースとなっていた杉村くんを相手に、「エリートだったのって何年前だろう…」とかなり衰えていた私がまともに太刀打ちできるわけもなく、ハンデ込みでも大敗北を喫しました。もう一度、ステーキ一緒に食べに行きたかったな。

- 先輩からのコメント

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後輩にからむすぎちゃん

インカレのナイトミーティングでは、後輩たちの緊張をほぐしてくれるような工夫の凝らしたクスッと笑える応援メッセージを、毎回欠かさず送ってくださいました。みんな杉村さんの応援メッセージを楽しみにしていたと思いますし、心遣いがとてもありがたかったです。

- 後輩からのコメント

2018年世界大学選手権のオフィシャルを務めてくださいました。留学中のイタリアから開催地のフィンランドまで飛んできてくださいました。周りの人を笑顔にする人柄で、歳の離れた選手全員とすぐに打ち解け、みんなから愛される存在でした。

- 後輩からのコメント

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イタリアから飛んできて笑顔のすぎちゃん

2017年にイタリアのフィレンツェ大学へ留学した際にも、当初は言葉に苦労することもあったようですが、次第に現地の研究仲間との交流も増え、最後は頻繁にパーティなどを楽しんでいる様子をSNSで発信していました。国が違えど、やはり彼の存在は周囲の人々にとって居心地の良いものだったのでしょう。

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イタリア留学中には、東北大時代の同期もはるばる彼を訪ねに来てくれました

お酒まわりの失敗エピソードには事欠かない…

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仲間とお酒を飲むのが大好きでした

杉村君は人と関わるのが好きなこともあって、頻繁に仲間と連絡を取ってお酒を飲みに行っていたようです。そういった機会が多かったからこそ、お酒の場での失敗談も彼を語るうえでは欠かせないものかもしれません。

彼の周囲をリサーチするだけでもお酒にまつわる様々な武勇伝(?)が聞こえてきます。

  • さくらんぼ大会(※かつて山形県で開催されていたオリエンテーリングの2日間大会)に参加し、他大学との飲み会で気分が上がり、騒ぎすぎて幹事の後輩に本気で怒られる。
  • 2月の仙台で開かれた飲み会でつぶれて凍死しかける。
    • 吹雪の中、後輩の家に無事収容される。
  • 青葉会総会(※東北大OLCのOB会)に参加し、ストローで日本酒を飲んでつぶれる。
  • 花見をするはずが、風が強すぎて中止になってしまったので「桜が見たい」という周囲の要望があった次の瞬間、そこには髪をピンクに染めた杉村君がいた。
  • 学会でナポリに行った際、教授の部屋のバスルームで寝落ちしてしまう。

etc…

大学卒業後はほとんど欠かさず東北大大会(とその前日のOB会)に参加しており、これまで面倒を見てきた後輩たちが立派に大会運営をする姿を見て「いろいろとこみ上げてくるものがあるなぁ…(※心理的にも物理的にも)とコメントしていました。

周囲への気遣いや感謝の気持ちを忘れない

いろいろと突っ走りすぎたりちょっと不器用なところはありましたが、根はとてもやさしい人で、学年が上がるにつれて周囲を広く見て仲間を気遣う気持ちであったり、逆に気遣ってくれる周囲の人々の感謝の気持ちを表現することが多くなっていきました。

応援して下さる方々、支えて下さる方々の思いに応えるべく、もう1年本気でオリエンテーリングに取り組もうと思います。これまで以上にオリエンテーリングに関わる時間は減ると思いますが、しっかり学業と両立させます。

- 「だっちゃでけさい 2014年インカレミドル特集号」よりインカレミドル優勝後のコメント

インカレや全日本大会で優勝するほどの選手に成長してもなお、「周囲の支援があってこその自分の実力だ」という認識は彼の中では強く持っていたようです。そしてその意識は、アドバイザーとなって後輩を支援する立場になったときに強く活かされます。

杉村さんはどのような場においても、人の気持ちへの気遣いを忘れない方だったと思っています。私も競技面で結果が上がらず鬱々としていた時に、声をかけていただくこと、激励していただくことがありました。そうした杉村さんの優しさに救われ、惹かれた方もまた多いのではないでしょうか。そこには、上記のように何事にも、そしてご自分にも逃げずに真摯に向き合い続けたがゆえの、杉村さんの誠実なお人柄を伺うことができるのではないかと思います。

- 後輩からのコメント

地震・火山の研究者として

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プレゼンする杉村君

オリエンテーリングに対してそうであったように、学生時代から続けていた研究についても真摯に取り組んでいたようです。

杉村君は東北大学理学部を2015年に卒業したのち、東北大学大学院理学研究科へ進学し、修士・博士課程の5年間、火山地震学・火山物理学の研究を行っていました。博士時代の研究テーマは「Dynamics of small repetitive eruptions at Stromboli volcano as inferred from seismic and acoustic analyses(地震・空振の解析から推定されるストロンボリ火山の小規模繰り返し噴火のダイナミクス」。その後2020年4月からは、博士研究員として東北大学地震・噴火予知研究観測センターで研究を行っていました。彼の上司によれば、彼は亡くなる直前までほぼ毎日大学の研究室に出勤し、彼らしく真面目に・地道に研究に取り組んでいたとのことです。

オリエンティアは名前で検索するとだいたいオリエンテーリングの成績が上位に出てきますが、杉村君の場合はまず研究の話が出てきます。修士時代からイタリアにある火山島「ストロンボリ火山」についての研究を進めており、博士に進学してイタリア留学に赴いた際にはついにストロンボリ火山での実地の観測活動を行うことになったようです。筆者は昨年(2020年)、杉村君とオンラインで雑談する機会がありましたが、その際に間近で見た火山の噴火する画像を興奮気味に見せてくれたことを覚えています。

修士時代の2017年に九州の霧島山でフィールド実習を実施したレポートで、「参加した学生の声」として杉村君の言葉が取り上げられています。

https://www.kazan-edu.jp/report-vol2.php

地質・岩石学の人たちが地層や鉱物を見つけた瞬間、すぐ飛びついてその場で議論を始める研究姿勢に多くのことを学んだ。自分も得られたデータに対して、より貪欲に取り組みたい。

周囲から刺激を受けて自分の取り組みに活かそうとする彼の姿勢は、オリエンテーリングも研究も一緒ですね。

その他、杉村君を語るうえで欠かせないエピソードなど

スポーツ観戦が大好き、特に熱心な「虎党

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東北大同期3人でタイガースの応援!

野球やサッカーなどのスポーツ観戦が好きだったようです。特にプロ野球では阪神タイガースの熱心なファンで、オンラインで飲み会などをする際には彼の部屋の背景にはタイガースグッズが並んでいました。今年に入ってからも仙台で行われた交流戦の観戦に行っていたようです。

インカレのテーマソングはSuperfly

大学4年生で臨んだ最後の春インカレ前に愛聴していたのは「Superflyのタマシイレボリューション」だったそうです。

リレー前はSuperflyのタマシイレボリューションをずっと聞いていました。

 Stand up! モンスター 頂上へ 道なき道を 切り開く時
 Stand up! ファイター とんがって
 Going on! Moving on! 戦いの歌 未知の世界へ
 タマシイレボリューション!

この部分がなんかオリエンテ―リングっぽいし、当時の自分の心境に近いなと思っていたので。これでずっとテンションあげていました。

- 「だっちゃでけさい 2015年4月 ミドル特集号」より

youtu.be

インカレ前のインドカレー文化を流行らせる

ゲン担ぎのため、インカレ前にインドカレーを食べよう!と言ってみんなでナンおかわりし放題のカレー専門店に行ってから、いつしかインカレ前のインドカレーが風習のように根付いていったそうです。発起人は杉村君でした。

もしかして:雨男

彼が東北大学オリエンテーリング部に入部した2011年は、大会の開催と雨が重なるタイミングが非常に多かったと多くの東北大学OB・OGは記憶しているようです。彼が初参加した大会である「さくらんぼ大会」は2日間梅雨空の中開催され、同じく山形県で開催された北東インカレ、長野県で開催されたインカレロングもあいにくの雨模様でした。

3年生で副実行委員長として開催した「第36回東北大学オリエンテーリング大会」も当然のように土砂降り。

大会中はずっと雨だったのに、大会が終わってから雨がやむとか、同期は何か持ってるとしか思えませんね(笑)

- 「だっちゃでけさい 2013年東北大大会特別号」より

また、卒業してからアドバイザーとして開催した練習会は毎回のように雨で流れてしまい、年間で開催できた回数はごくわずかだったそうです。

これらの一連の雨男疑惑については杉村君個人の問題ではなく、同じタイミングで入部した彼の同期に何か“持ってる“人がいたのではないか、という説が有力で、周辺世代の東北大OBOGの間ではたびたび議論になります。

(第2章 おわり)

おわりに

略歴

ここまで杉村君の11年間を詳細に振り返ったところで、今一度、杉村君の略歴をまとめておきます。

1993年
 静岡県藤枝市で生誕
2011年
 静岡県立静岡高等学校を卒業
 東北大学理学部に入学
 オリエンテーリング部に入部
2012年度
 インカレミドル6位入賞
 全日本大会M20E優勝
2013年度
 インカレロング4位入賞
 全日本ミドルM21E優勝
 全日本リレー優勝
 インカレミドル優勝
2014年度
 インカレリレー3位入賞
2015年
 東北大学理学部を卒業
 東北大学理学研究科修士課程へ進学
2017年
 東北大学理学研究科修士課程を修了
 東北大学オリエンテーリング部アドバイザーを退任(任期満了)
 東北大学理学研究科博士課程へ進学
 フィレンツェ大学(イタリア)へ1年間の留学
2020年
 東北大学理学研究科博士課程を修了
 東北大学地震・噴火予知研究観測センターの博士研究員となる
2021年
 28歳の若さで逝去

亡くなる直前の話

自身が選手としてもチームオフィシャルとしても深くかかわってきたことから、日本代表チームへの関心は高く、7月に行われたWOC(世界選手権)についても自宅にて観戦し、以前と変わらない熱量で日本チームの応援をしていたようです。

同じく大学院で研究を続ける、オリエンテーリング部時代からの同期である西本さんが8月2日ごろに東北大学青葉山キャンパスの工学部中央食堂前で杉村君と会って、「一緒に今年の東北大大会に行こう」と立ち話をしており、元気そうにしていたとのこと。2020年裏Advent Calendarの記事で書いていたように「2021年は少しオリエンテーリングを頑張ってみよう」と意気込んでいました。

8月4日には上司と仕事内容についての相談をして、「次はこんな研究をやってみたい」と意欲的な姿勢を見せていた、その矢先の出来事でした。さらに意欲的に研究に取り組み、地震・火山学の研究者として今後ますます活躍していくはずでした。

杉村君のまとめ記事を書くにいたった経緯

彼の訃報が筆者のもとに突然舞い込んできたのは、8月10日のことでした。

当時はコロナ禍の真っ只中であったことから、葬儀も親族の方のみで行われました。そのことにより、本来なら葬儀に参列してお別れの挨拶をするはずだったところ、何もできないまま彼は旅立って行ってしまいました。

そうした経緯から、彼がいなくなったという実感が全く持てないまま数か月が経過。世代の近い東北大学OBと会った際にも、同じように彼がいなくなった実感がなく「今でも大会にたまに姿を現してくれて、たわいもない会話ができるんじゃないかという気がする」という話をするほどでした。

そんなタイミングで「オリエンティア Advent Calendar 2021」の記事執筆依頼を受けました。何を書こうかと考えたときに、ひたむきに頑張っていた杉村君のことをこの先もずっと思い出せるように、そしてより多くの人に知ってもらえるように、彼のこれまでのことを書いて残しておきたいと思いました。

ただ、自分ひとりの手持ちではいかんせん情報量に限りがあるので、周辺の世代の東北大OBに協力を呼び掛けて、情報や写真を提供してもらったり、あるいは集めた情報をもとにした記事のまとめ方の相談や、付加的な情報を収集するためにオンラインで会話したりして、この記事を作成するに至りました。

記事の作成にあたり、まずは杉村君ご本人の実名で公開することについて快諾いただいた杉村君のご家族にお礼を申し上げます。また、情報提供・写真提供および、記事まとめ方針の助言等でたくさんの東北大学OBOGの方にご協力いただきました。下記に名前を挙げさせていただきます。

 西本昌史さん、相場高平さん、五月女貴平さん
 茂木俊之さん、石塚脩之さん、三森創一朗さん
 田邉拓也さん、石井亘さん、髙橋恒二さん
 中村憲さん、平方遥子さん、関淳さん
 堀口奈保さん、乳井草太さん、藤橋涼さん
 宮西優太郎さん、高野柾人さん
 橋本正毅さん、高橋友理奈さん

この場をお借りしてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

杉村君と会って話をすることはもう叶いませんが、彼が周囲の人々に遺してくれたものはとても大きかったのだということを、この記事をまとめる中で改めて実感しました。彼とかかわりを持っていた人たちが、彼のこと、そして彼が遺してくれたものを忘れずに彼の分まで日々を生きていくことができれば、天国にいる彼もきっと喜んでくれるのではないかと思います。

そして最後に杉村君。今までたくさんの思い出をありがとう。君と過ごした日々のことは忘れません。どうか、安らかに。

記事作成:嵯峨駿佑(東北大学 2009年入学)